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ENDURING FREEDOM

不朽の自由(October 2001)



Bush and Musharraf (2001/10/01)


 あれは、まだ2000年のアメリカ大統領選のキャンペーンも最初の頃だったと思います。ゴア副大統領に比較して、外交政策や国際問題に全く疎いと言われていたジョージ・W・ブッシュは、テレビのインタビューで、当時無血ながら軍事クーデターでパキスタンの政権についた将軍の名前を聞かれて、答えられませんでした。アメリカのマスコミは一斉に、ブッシュの教養のなさを叩いていました。

 ところが今や、そのムシャラフ将軍はパキスタンの大統領となり、ブッシュ大統領が進めるテロリスト包囲網に全面協力を約束しています。ブッシュも1年前には名前も知らなかったムシャラフの協力確約に対して、パキスタンの核実験以来続いていた経済制裁の解除、さらには、世銀やIMFのパキスタンへの追加支援まで、アメリカ主導で踏み込む構えのようです。このあたりは、何とも皮肉と言うか、まさに国際政治の縮図ですね。



Anti-War Demonstration (2001/10/02)


 週末にワシントンで、アメリカ政府の武力行使に反対する大規模なデモがありました。土曜は1万人、日曜は5千人が参加したそうです。そもそもこのデモは、この時期行われる予定だった世銀とIMFの年次総会にあわせて、反グローバライゼーションのデモを行うつもりだった団体が、その総会が中止になったので、反戦デモに切り替えたということです。

 ワシントン・ポストには、デモに遭遇した市民の声が載っていました。「こういう抗議デモが可能だということが、アメリカが偉大な国だという証拠だ」という声もありました。なるほどタリバン政権下では、タリバンの政策に反対するデモを市民が行うなんていうのは不可能か、それこそ命がけなのでしょうから。



Stars and Stripes (2001/10/03)


 あのテロ事件以来初めてワシントンに来てみて気づくことは、街中が星条旗であふれているということです。かなり多くの人が、自分の車に星条旗をつけたり、ベランダや庭や玄関に掲げたりしています。国旗を掲げて、犠牲者を追悼するという意味もあるのかもしれませんが、それ以上にアメリカ人としての連帯感や、アメリカが理想とする「自由と民主主義」を守ろうという強い意志が、この国旗掲揚にあらわれているような気がします。

 今回の事件をきっかけに、ワシントンの我が家のリビング・ルームにも、小さな星条旗が飾られました。アメリカは娘たちの祖国であるという理由からだけではなく、その国家理念に対する尊敬の意味も含まれています。



From Band-aid to Nation Building (2001/10/04)


 去年世銀に入ってきた後輩が、こんなことを言っていました。彼はしばらく国連で緊急人道援助を担当していて、カンボジアやコソボなど紛争地ばかりを転々としていたそうです。そういった地で彼がやっていたのは、彼自身の言葉を借りると「紛争が起こったらバンド・エイドを貼る役目」だったそうです。国連を辞めて世銀に来た一番の理由は、「紛争が起きた後の対処策ではなく、紛争が起きないような長期的な国づくりがしたくなった」からだそうです。なかなかしっかりしたモチベーションだと感心しました。

 さて私ですが、この間のテロのようなことがあると、こういうことを防ぐために、自分には何ができるのかを考えてしまいます。国どうしの戦争も、地域紛争も、テロも、勃発する理由は様々でしょう。そういった全ての争いを未然に防いで、世界平和を保つことに直接貢献できる仕事って何でしょうか。今の仕事がそうなのかどうか?できればいつか、そういう仕事がしたいと思う今日この頃です。



Stressful Days (2001/10/05)


 たとえ肉親や友人がテロに巻き込まれなかったとしても、ワシントンやニューヨークでは、精神的に打撃を被った人たちがかなり多いようです。いつかまたテロに襲われるんじゃないかと悩まされたり、自分がハイジャックに遭ったという悪夢を見たりと、ストレスから病気になる人も多いと聞きます。ワシントン・ポストによると、頭痛や腰痛など痛みを伴う慢性の持病を患っている人たちは、ストレスからその痛みが倍加しているということです。世銀ではカウンセラーを置いて、そういうストレスに苦しんでいる職員の相談を引き受けているそうです。私も、最近はよく胃が痛くなったり、眠れなかったり、本気で笑えなくなったりしています。これもテロによるストレスが原因のような気がします。



Reagan National Airport (2001/10/06)


 ワシントンには、国内線のみのレーガン・ナショナル空港と、国際線が主流のダレス・インターナショナル空港の二つがあります。レーガン・ナショナル空港の方は、ホワイト・ハウスなど米国の中枢部に極めて近く、安全が保障できないということで、あのテロ以来ずうっと閉鎖されていました。しかしようやく昨日、3週間以上経って、そのレーガン空港が再開されました。とは言っても初日の昨日は、通常の12%に相当する約百機の飛行機が離発着したに過ぎず、テロ以前の状態に戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。ワシントンの我が家は、このレーガン空港に近いので、窓からよく飛行機が見えたものです。先週ワシントンに戻ってからは、空港の閉鎖のために一機も見ませんでしたが、昨日は窓からレーガン空港に向かう飛行機が見えました。何か懐かしいと感じる反面、飛行機がビルに突っ込むシーンが脳裏によみがえり、ぞっとしました。

 再開したレーガン空港は、全米で一番セキュリティのしっかりした空港になったそうです。昨日は、飛行機の乗客より警備担当者の数の方が多かったといいます。最新式で超高感度の金属探知機を導入し、ブラジャーのワイヤーが探知機に反応してしまったという女性のことも、ワシントン・ポストには載っていました。この空港を離発着する全ての飛行機には、私服の武装警官が乗り込むそうです。また、昨日再開した便は、ニューヨークやボストン行きなど比較的短距離のフライトだったため、乗客は全て搭乗前にトイレを済ませるように言われ、機内では着陸まで座席を離れることが許されなかったそうです。また空港内のレストランでは、ナイフはプラスチック製のみが許可されるため、アメリカ特有の分厚いステーキもメニューから消えたそうです。私は来週の月曜日にワシントンを発ってブリスベンに帰りますが、幸か不幸かこのレーガン空港ではなく、ダレス空港を利用します。



Military Strikes (2001/10/08)


 今、ワシントンのダレス国際空港からです。きのうタリバンの軍事拠点に対する米英の空爆が始まりました。やはり、ブレア英首相がパキスタンとインドを訪問して、帰ってすぐというタイミングでした。実はブレア首相は10月9日までは、ブリスベンでの「コモンウェルス首脳会議」に出席予定だったため、ブレアがロンドンに戻る10月10日までは、軍事行動はないだろうと、私はよんでいました。10月8日にワシントンを発って、10月10日にブリスベン到着という日程は、少なからずそういう「よみ」に基づいていたのです。報復の報復のためのテロ第二段に巻き込まれないため、軍事行動が始まる前に戻ってこようという目論みでした。それが、「コモンウェルス首脳会議」の中止で、全て狂ってしまいました。これから、成田経由でANAとJALを乗り継いでブリスベンまで飛びます。まあ、世界中で空港の警備が厳しくなっているので、ハイジャックは当分の間ないでしょうが。これからどのような戦争になっていくのか、とても不安です。



Slow Business (2001/10/09)


 ワシントン滞在中に、ランチを食べようと行ったMホテル内のシーフードレストランは、閉まっていました。ホテルの人によると、あのテロ事件以来、ホテルへの滞在客も極端に少なくなり、ビジネスもスローなので閉めているとのことでした。家族で訪れた市内の国立水族館も、「当分の間休業します」という張り紙があり、閉館中でした。替わりに行ったスミソニアンの自然史博物館も休日なのに人はまばらで、入り口では荷物を厳しくチェックされました。

 あのテロ事件は、アメリカ経済にも深刻な影響を及ぼしているようです。特に人々が飛行機に乗るのを控えているため、航空業界やホテルなど観光産業は大打撃を受けています。それに伴い、ニューヨークやワシントンでは、観光客目当てのレストランやバーなどにもしわ寄せが来ているようです。うちのベビー・シッターの旦那さんは、Mホテルに勤めているのですが、あの事件以来3週間以上も自宅待機が続いて、出社したのはつい最近だということです。事件のあとに、全米で約20万人が失業したという数字も新聞に出ていました。



Anthrax Scare (2001/10/15)


 全米で広がっているミステリアスな炭疽菌の脅威は、言葉にできないほど恐ろしいです。アメリカ当局も、これが生物テロであると断定したようです。ただ、オサマ・ビン・ラデンのグループ「アル・カイーダ」との関連については、言明していません。こういう時に病気になると、炭疽菌ではないかと思ってしまい、とても怖いです。自分も、アメリカ帰りですぐ病気になったために、かなり心理的な圧迫がありました。ワシントンの家族に対する心配は、当分の間続きそうです。

 世界中で、白い粉末や怪しい物質を見ただけで、パニックになってしまう現象が次々と起きています。昨日はシドニー空港でも、カンタス機から白い粉末が発見されたため、空港の一部が閉鎖されて、検査が行われました。結局、炭疽菌ではなかったということで、すぐ通常に戻ったそうですが。日本でも、福島の郵便局で白い粉が付いた郵便が見つかったと、ウェッブ・ニュースに出ていました。アメリカでは、メディア関連の会社に、炭疽菌が郵便で送られるケースがほとんどだということです。オーストラリアの郵便当局も、特に国際郵便を対象にしたチェックを厳しくすると聞きました。不審な郵便物やダイレクトメールは、しばらく開封しないことにします。



Show the Flag (2001/10/17)


 あのテロ事件の後、アメリカの軍事行動に対する日本の支援策に言及して、アーミテージ国務副長官は柳井駐米大使に「Show the flag」と言ったという報道がされていました。これを、「日の丸を見せろ」、要するに「自衛隊の艦船に日の丸を立てて派遣しろ」という意味にとって、日本政府は慌てて自衛隊派遣の準備を進めているんだ、という一部の報道もありました。

 その後、この件についての面白い進展がありましたので、少し古くなりましたが、書き留めておきます。10月4日の菅直人のHP「今日の一言」の中で、菅氏は「Show the flag」には、「旗幟を鮮明にしろ」、要するに「態度をはっきりさせろ」という意味もあるんだと書いています。さらに菅氏は、衆議院本会議で、小泉首相に英和辞典を見せて、アーミテージ氏の言葉はどういう意味だと思うかと迫ったそうです。首相の答弁は、「日本に協力してくれという意味だ」というもので、いつものように対話になっていませんでした。

 こういうことが国会であった後、アメリカのベーカー駐日大使は記者会見で、「あのアーミテージ氏の発言の趣旨は、旗幟を鮮明にしてくれという意味だったと思う」と、菅氏の意見を支持していました。さらにベーカー氏は、「自衛隊を派遣するかしないかは、日本自身が決めることで、アメリカが命令するはずがない」というような、全くの正論を述べていました。でも、当のアーミテージ氏がどういう意図で「Show the flag」と言ったのかは、結局のところ本人に聞かなきゃ分からないでしょうね。



Quetta (2001/10/19)


 最近ニュースに「Quetta」という地名がよく出てきます。アフガニスタンと接しているパキスタンのバロチスタン州の州都です。私も行ったことがあります。気になるのは、日本のメディアがこの街のことを、必ず「クエッタ」と書き、あるいはそのように発音していることです。おそらく「t」が二つ並んでいるので、このように小さな「ッ」を入れているのでしょうが、現地の発音にもっとも近いカタカナ表記は「クウェタ」です。

 この街や周辺の村々を訪れた時の印象は、石と砂と風だけです。非常に過酷な自然条件です。アフガニスタンには行ったことがありませんが、おそらく自然条件はバロチスタンにかなり似ているんでしょう。バロチスタンでの移動中に、アフガン難民キャンプも遠くから目にしました。ちなみに、バロチスタン州で「クウェタ」に次いで人口が多いのは、アフガン難民キャンプだということです。



Japan's Peace (2001/10/20)


 ワシントンの自宅で書類を整理していた時に、以下の文章を見つけました。湾岸戦争があった1991年に書いたものです。今の世界情勢にも通じるし、記録に残すという意味でここに掲載します。少し青臭い文章ですが、10年前の私ということでご容赦下さい。

「日本は平和か?」

 先日、夏休みを東南アジアで過ごしてきたばかりの議論好きの友人に、「日本は平和か?」という、一見シンプルで実は奥の深い質問を投げ掛けられた。私は「そんな質問はありえない」と、答えの代わりに質問自体の矛盾を指摘したのだった。

 そもそも平和とは何か。政治や経済が安定し、治安が良く、貧富の差も少なく、武力を行使するような紛争がないというだけの状態を「平和」と呼ぶのであれば、確かに日本は平和すぎるくらいに平和である。しかし鎖国時代ならいざ知らず、これだけ国と国とが多くの分野で相互に依存しあい、地球の裏側で起こった事でさえ瞬時に知り得る時代になると、我々はもう世界のあらゆる出来事に無関心ではいられないし、むしろ無関心でいることは罪である。それに、局地的な環境破壊が地球環境に重大な影響を及ぼしたり、偏在する天然資源をめぐって紛争が起こったり、一国の市場閉鎖性が世界貿易を狂わせたりと、国内問題と国際問題のボーダーがはっきりしない現代では、「平和」を考えるということは、政治や経済、環境、資源、人権、食糧、人口、南北問題といった複雑かつ有機的に絡み合う様々な問題を地球的規模で考えるということに他ならない。そういう意味では、「日本は平和か?」、「アメリカは平和か?」、「イラクは平和か?」、「カンボジアは平和か?」といった国を単位とした平和(一国平和)なんていうのは存在しないか、無意味なものであって、唯一存在するのは「世界は平和か?」という質問のみである。

 「それでは世界は平和なのか?」とその友人は続ける。これはもう、聞いた本人だって「分かりきったことだけど」、と前置きはしないまでも、目がそう言っていた。私は即座に「平和なもんか」と吐き捨てた。私が思うに平和な世界とは、改めて「平和」について議論したり、考えたりする必要のない世界であろう。そういう定義に照らしてみると、今ここでこんなことを書いている人間がいるということ自体が、現代の世界がこれっぽっちも平和でないことの証しである。平和について考える必要のない理想的な世界を目指して、今我々は真剣に平和について考えなければならないと思う。
(1991年7月 慶長寿彰)



Elite Troops (2001/10/23)


 アフガニスタンで軍事行動を続ける米英軍に加わるため、オーストラリアの精鋭地上部隊150人が近々出発するそうです。昨日、その出陣式がオーストラリア南西部の都市パース近郊であり、ハワード首相と野党労働党のビーズリー党首が揃って激励の挨拶をしました。与野党の別なく、国を挙げて参戦を支持しているんだという強いメッセージを送る意味があったんでしょう。オーストラリアは、アメリカ、ニュージーランドと、アンザス(ANZUS)条約という軍事協定を結んでいて、あのテロ事件後、いち早く集団自衛権の発動を決めました。

 タリバンの駐パキスタン大使であるザイーフ氏は、このオーストラリア参戦のニュースについて、「オーストラリアは全く無意味なことをしている」と、ジョークとして笑い飛ばしたそうです。日本の自衛隊派遣というニュースには、どのように反応するんでしょうか。



UNHCR (2001/10/24)


 アフガン難民が、続々とパキスタンとの国境に押し寄せているようです。昨日は、パキスタンの国境警備隊と難民との衝突の映像をテレビで見て、心が痛みました。ここオーストラリアでも、現在進行中の国政レベルの選挙キャンペーンの中で、国境警備と難民受け入れ政策が大きな争点のひとつになっています。

 難民と言えば国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ですが、実は私は1994年に世銀に受かっていなければ、UNHCRで働いていたかもしれません。世銀の採用試験に合格する以前に、JPOという国連の見習い職員の方には受かっていて、UNHCRが勤務先の最有力候補だったのです。実際、難民帰還地の住環境整備の担当官として、モザンビークとリベリアのUNHCR事務所から、赴任の打診も受けました。その後、世銀の合格通知が来たので、国連の方は蹴ってワシントンに赴任した次第です。あの時、もしUNHCRに入っていれば、今とは全く違う人生だったでしょうね。



Welcome to the New Century (2001/10/27)


 少し紹介が遅れましたが、リンク集に作家・池澤夏樹氏の「新世紀へようこそ」というデイリー・コラムを加えました。これは、「アメリカを襲った同時多発テロ以降、世界はどこへ行こうとしているのか」をテーマに、池澤氏が日々の思考を綴ったものです。是非読んでみてください。私自身、共感できるものもあれば、ちょっと意見が違うなあと思うものもあります。

 もう大分前に読んだんですが、池澤夏樹氏の「南の島のティオ」という短編集は、爽やかで、ほのぼのしていて、暖かくて、とても好きでした。今は彼の「マシアス・ギリの失脚」という長編を読んでいます。



Poverty and Terrorism (2001/10/28)


 世銀のプレス・レビューに、10月21日付けのニューヨーク・タイムズの記事が載っていました。それによると、アンソニー・ルイスというコラムニストが、「長期的に途上国の貧困を撲滅することが、テロの脅威をなくすことに繋がる」と書いていたそうです。そういう意見も最近よく聞きますが、事態はもうちょっと複雑なような気がします。

 今回のテロの首謀者と言われているオサマ・ビン・ラデンは、確かサウジアラビアの大富豪の息子でしたよね。貧困とは縁のない生活をしていたはずです。でも、ビン・ラデンを支える「アル・カイーダ」の兵士や部下たちの多くは、途上国の貧困が生み出した犠牲者かもしれません。そういったことを考えると、貧困を撲滅すれば、テロ組織を小さくし、テロ発生の可能性を少なくすることはできるかもしれません。ただ、貧困対策だけでは、ビン・ラデンのような人物が再び登場してくる可能性は排除できないと思うのです。

 昔、都市の犯罪に関する本を読んでいた時に、「犯罪を生むのは貧富の差と差別だ」と誰かが書いていたのを覚えています。テロリストも同じような心理かもしれません。誤解を恐れずに言えば、貧困だけではなく、差別(あるいは、差別を受けているという被害妄想)の方も、何とかして無くさないといけないのではないでしょうか。



Justification (2001/10/30)


 もう何週間か前ですが、こんな報道があったと思います。ニューヨークのジュリアーニ市長が、どこかアラブの産油国の王子からテロへのお見舞として大金を受け取ったけれど、すぐに突き返したという記事です。返した理由は、その王子が記者会見で、「テロの背景には、アメリカの中東政策に対するイスラム教徒の反感がある」と言及したためです。ジュリアーニ市長は、「テロを正当化する人からの見舞いは受け取れない」と怒ったそうです。

 同じようなやりとりが、最近の中国でのAPEC会議の際に、マレーシアのマハティール首相と日本の小泉首相の間でもあったようです。私の記憶が正しければ、「アメリカの片寄った中東政策がテロの背景にある」とするマハティール首相に対し、小泉首相は「そういう発言はテロの正当化に繋がる」というようなことを述べたそうです。

 これらの会話の正確な内容を知る由もありませんし、報道が正しいのかどうかも分かりません。ただ、こういう記事を読んでいて、どうもしっくりいきませんでした。「いかなる理由があろうとも、テロは絶対に正当化されるべきではない」というのは、全く当たり前のことです。それに対しては、これっぽっちの反対もありません。ただ、テロを計画・実行したテロリストの心理や、それに影響を与えている背景を探る事は、テロを正当化することとは全く違うことだと思うのです。

 「何故アメリカはこれほどまでに嫌われるのか」、「どうしてアメリカがテロの標的になるのか」という一般のアメリカ人の素朴な疑問がありました。それに対し、ブッシュ大統領をはじめ、テレビに出てくるアメリカの政府関係者は、「アメリカは自由で民主主義だからだ」とか、「文明社会への挑戦だ」とか、「アメリカのライフ・スタイルが脅かされているんだ」というような、答えになっていない答えを繰り返していました。再度述べますが、いかなる事情があっても、テロは絶対に正当化されるべきではありませんし、正当化してはいけません。でも、テロの標的になる理由や、テロの背景を真剣に探る事は、テロを正当化することとは全然イコールではないと思うのです。反論を「ゲスト・ブック」でお待ちしています。



On the High Alert (2001/10/31)


 最近時々ワシントンの日本大使館からEメールが来ます。テロ関連の情報を在留邦人に送っているようです。私はまだワシントンにいることになっているので、私のところにも送られてくるのでしょう。昨日も来ました。内容は、「来週にかけてテロがあるかもしれないので警戒してください」ということです。この日本大使館からのメールが来る前に、既にニュースで知っていましたが、FBIは「近いうちに再びテロが起こるという信頼できる情報を得た」ので、国民に警戒するように呼びかけたようです。しかし、どういうテロなのか、アメリカのどこが標的になるのかなど、具体的なことは一切分からないということです。これでは警戒しろと言われても、飛行機に乗らないことくらいしかできないですよ。

 一方、ブッシュ大統領は、ニューヨークで行われた大リーグのワールド・シリーズ第三戦で始球式をしました。「人が集まるところはテロの標的になるかもしれない」と怯える国民に、「テロに屈せず普段どおりの生活をしよう」というメッセージを送ったんだ、というニュース解説もありました(私は、ブッシュ大統領はただの野球好きだと思いますが)。警戒しろと言う反面、普段どおりにしようとも言う。一体どうすればいいんでしょう。ブッシュ政権に対するアメリカ国民の信頼が急速になくなっているようです。ともあれ、今回のFBIの警告が無駄になることを心から願っています。



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