フロントページブリスベン通信>2001年9月

BRISBANE 通信(September 2001)



移民、難民、国民 (2001/09/01)


 ここ数日間、オーストラリアのトップ・ニュースは、常にこの話題です。460人のアフガニスタン難民を乗せた船が、インドネシア領海で沈没寸前にノルウェーの貨物船に救われました。ノルウェーの貨物船は、国際法に則って、一番近いインドネシアの港に寄港しようとしたところ、難民たちは猛反対し、オーストラリア行きを主張したそうです。船がオーストラリアに向かったところ、オーストラリア政府はこの船の寄港と難民の受け入れを拒否したため、このノルウェー船籍の船は、難民を抱えたまま、オーストラリア領クリスマス島の近海で錨を降ろして待機中だというのです。もう5日近くもこういう状態で、今のところ事態打開の決定打が見つかっていません。

 オーストラリアのハワード首相の主張は、国際法上この難民はインドネシアが受け入れるべきもので、オーストラリアは難民の「安易な目的地」には決してなるべきではないというものです。そもそも今回のアフガン人たちは、「難民ではなく不法移民だ」という声もあります。今回のオーストラリア政府の強硬な受け入れ反対の背景には、オーストラリアは既に毎年1万2千人の難民を受け入れていて、その難民たちに住居や教育・医療などのサービスを提供する社会的コストに対する国民の不満がある、と言われています。

 このアフガン難民たちは、インドネシアからオーストラリアを目指して船に乗ったそうですが、どうやってインドネシアまでたどり着いたかは明らかになっていません。ただ、アフガニスタンから陸路でパキスタンに抜け、パキスタンから飛行機でインドネシアに入ったのだろうと言われています。インドネシアには、オーストラリアへの「難民密輸業者」が暗躍していて、彼らから船をチャーターしたのではないかとも見られています。要するに、飛行機代や船のチャーター料を入れると、今回の難民は一人当たり少なくとも数千ドルのお金を払っていることになり、そんなお金持ちは難民ではない、という議論もあります。本当に擁護が必要なのは、アフガニスタンから出国もできずに貧困と迫害に喘いでいる人たちだというわけです。インドネシアには、難民密輸業者の力を借りてオーストラリアへの渡航の順番を待っている、似たようなリッチなアフガンや中東からの難民たちが5千人はいると言われています。贔屓目に見れば、オーストラリア政府は今回の一件を通して、このような「難民密輸業者の存在」や「先進各国による難民の公正な受け入れ配分」、「難民認定の国際基準の見直し」などの問題提起をしていると言えなくもありません。

 ともあれ、政治経済状態の不安定なインドネシアに、この大量の難民を受け入れてもらうのは、現実的ではありません。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の仲介で、オーストラリア、ノルウェー、インドネシア各国政府との交渉が続いているようですが、こういう時に日本が何もできないっていうのは、何か歯がゆいです。こういう事態が日本近海で起こったら、日本政府や日本人はどういう対応をするのでしょうか。全く起こらないとも限りませんよね。現代は、国内問題と国際問題の境目があいまいな地球時代です。国際社会に生きる全ての人が、この難民問題について真剣に考えるべきではないでしょうか。



ナウル共和国 (2001/09/02)


 きのうアフガン難民の話題を書いてすぐに、事態が動き出しました。交渉の結果、ニュージーランドとナウル共和国が、一時的にこの難民を受け入れ、難民認定の審査を行うというものです。ニュージーランドには女性、子供とその家族150人、ナウルには、むくつけき男たちばかり310人が送られるそうです。ナウルへの輸送や難民審査など、ナウル受け入れに関わる全ての費用はオーストラリアが負担するそうです。難民審査後に正式に「難民」と認定されれば、定住のためナウルからさらにまたニュージーランドや、オーストラリア、ノルウェーその他に行くことになり、難民認定がされなければ、理論上はアフガン本国へ送還ということになるのでしょうが、それは事実上無理でしょうね。

 結果的にオーストラリアのハワード首相の言い分が通った形ですが、今回の難民騒動で一番株を上げたのは、ニュージーランドとナウル共和国でしょう。私もナウルなんて、名前を聞いたことが数回あるだけで、この国についての知識は全くありませんでした。ナウル共和国は、南太平洋ソロモン諸島の中の、小さな小さな島国で、人口は1万2千人足らずだそうです。ブリスベンにいる間に、こういう南太平洋の島々に行ってみたいのですが、実現するでしょうか。ちょっと無理かな。



父の日は9月第一日曜日 (2001/09/03)


 昨日9月2日は父の日でした。えっ、と思う人が多いと思いますが、こちらオーストラリアでは、父の日は9月の第一日曜日なのです。母の日は5月の第二日曜日、父の日は6月の第三日曜日というのは、世界的に決まっているのかと思っていましたが、違うんですね。ちなみにオーストラリアでは、母の日は5月の第二日曜日だそうですが、父の日だけは違うそうです。同僚のロンは、「北半球で制定された父の日が、南半球まで伝わるのに時間がかかったんだろう」と言ってました。

 昨日のこちらの新聞によると、子供たちが父親を偉大だと思う時は、(1)母親を助けている時、(2)物を作ったり修理したりしている時、(3)スポーツで活躍している時、という順番だそうです。スポーツの中でも、クリケットができるのが偉大な父親の条件だそうで、このあたりはオーストラリアっぽいところです。その記事の締めくくりは、「仕事に負われて子育てに参加しない男性が多いけれど、何が人生で一番大切なのかを考えてほしい」という一言でした。キャリアのためにブリスベンでの単身赴任を選んだ私には、耳が痛い言葉です。



リバー・フェスティバル (2001/09/04)


 ブリスベンでは8月末から今度の週末まで、「リバー・フェスティバル」という一大イベントが開催されています。これは、毎年この時期に行われる「川」をテーマにしたお祭りで、今年で4回目だそうです。内容は、ブリスベン川の上空に打ち上げる花火に始まって、この川にかかるビクトリア・ブリッジを屋外レストランに変える「リバー・フェスト」、河川や水に関する国際会議「リバー・シンポジウム」、ブリスベン川の特設ステージで行われる「リバー・コンサート」や「リバー・シンフォニー」、川沿いを走る10キロレース「リバー・ラン」などなど盛りだくさんです。私も先週「国際リバー・シンポジウム」に参加してきました。

ブリスベン川の花火  ブリスベンは、中心部をくねくねと蛇行したブリスベン川が流れていて、川を中心とした街づくりを進めています。ブリスベン市民のアイデンティティは、このブリスベン川だと言えるでしょう。スーリー市長は、この川の健康に大変気を配っていて、数年前には土砂採掘のために長年行われてきた浚渫を、市長の一声でやめさせたそうです。その他、ブリスベン川の水質向上のための活動や、親水機能を高める事業などを積極的に推進しています。この「リバー・フェスティバル」も、スーリー市長のイニシャチブで始まったと聞きました。毎年のイベントとして定着したので、ブリスベン市民だけではなく、オーストラリア内外に徐々に知れ渡ってきたようです。スーリー市長は、このお祭りのプログラムの中で、「川は生きているということを忘れないで下さい。この川が健康で生き続けるためには、一人一人が責任を持って川を大切にすることが必要なのです。このお祭り期間中だけではなく、一年を通して、わが街の最も偉大な財産であるこの川を守るために、あなたができることをしてください」と訴えています。



「イカ刺し」と「豪酒」と「ミッシェル・クワン」 (2001/09/05)


 おととい、八戸のイカが食べられる例の「おしん」という日本食屋に行きました。板前さんが、「八戸のイカ」のパッケージを見せてくれたんですが、「Packed by Maruyo Suisan Hachinohe; Imported by Jun Pacific」となっていました。要するに、八戸のマルヨ水産で冷凍・梱包されて、こちらの Jun Pacific という会社が輸入したということです。八戸の皆さん、どういう経路で八戸からオーストラリアに輸送されているのか、マルヨ水産に問い合わせてみて下さい。

 やっぱり、イカの刺身には日本酒だろうということで、日本酒をたのんだら「豪酒(ごうしゅ)」というのが出てきました。これは、オーストラリア米だけを使ってこちらで造られたお酒で、製造元は「Sun Masamune(サン・マサムネ)」となっていました。結構おいしかったです。

 最近ブリスベンでは、どの日本食屋さんに行っても「ウニ」がありません。板前さんの話では、普段は大抵オーストラリア南部のタスマニア産の「ウニ」を使っているそうですが、今は季節的にこちらではウニが捕れない時期だそうです。「ウニ」って日本では年中ありませんでしたっけ?それから、「ウニ」って冷凍して輸出できないのですかねえ。昔、瓶詰めの冷凍ウニを八戸で見たような気がするのですが。八戸の水産関係者の人、誰か教えてください。それからこちらには、「トロ」もないですよ。

 実はおととい、この「おしん」というお店で、フィギュア・スケートの女王「ミッシェル・クワン」に会いました。彼女は今、ブリスベンで開催中の「グッドウィル・ゲーム」に参加するために、こちらに来ているのです。真っ赤なノースリーブに細身のパンツという出で立ちでした。彼女は刺身をふた皿食べただけだそうです。ちなみにミッシェルの好物は、マグロの刺身です。八戸のイカも食べたかもしれませんね。えっ、クワンはそんなもん食わん?!



オーストラリア人は働き者 (2001/09/07)


 ちょっと信じられないニュースがILOから入ってきました。ILOの調査による、主要国における2000年の労働者一人当たりの平均労働時間ランキングです。一位の韓国と三位のアメリカは納得できるとしても、二位のチェコと四位のメキシコは意外でしたね。しかし、最も意外だったのは、五位がオーストラリアで、六位が日本だということです。いくらなんでも、オーストラリア人の方が日本人よりも労働時間が長いなんて、毎日4時頃帰ってしまうブリスベン市庁の人たちを見ている私としては、何かの間違いとしか思えません。これって、日本の不況のせいですか?あるいは、以前指摘されていた日本の「サービス残業」が換算されてないとか。もしかして、ブリスベン市職員以外のオーストラリア人って、本当に働き者だったりして。おっと、ブリスベン市庁にも働き者はたくさんいます。



マイケル・ジョンソン@Goodwill Games (2001/09/08)


 先日も少し触れましたが、現在ブリスベンでは「グッドウィル・ゲーム」が開催されており、世界中から1300人以上のトップ・アスリートたちが来ています。このあいだは、オーストラリアの天才スイマー「イアン・ソープ」が、ブリスベン中心部のショッピング・モールでサイン会をしており、多くのファンでごった返していました。

 「グッドウィル・ゲーム」とは、1986年に大金持ちのメディア王、テッド・ターナーが始めた国際スポーツ大会です。そもそも、80年代にアメリカをはじめ西側諸国がモスクワ・オリンピックをボイコットしたことがきっかけになり、「Goodwill(親善)」の名のもとに、西側と東側の一流選手たちを一同に集める大会を開催できないものかと考えた、ターナーのイニシャチブで始まったそうです。以降、ソ連(あるいはロシア)とアメリカで4年おきに行われてきて、今回のブリスベン大会は、ソ連とアメリカ以外では初の開催だそうです。世界ランキングを基にした招待選手だけしか参加できず、優勝者や世界記録達成者には賞金が出ることでも有名です。今回のブリスベン大会では、陸上、水泳、体操、重量挙げなど14種目だけの開催ですが、何故かウィンター・スポーツのフィギュア・スケートが1種目混じっています。

 今回のブリスベン大会は、開幕前から、アメリカのスプリンター「マイケル・ジョンソン」の最後のレースになると報道されていました。しかし数日前の日本のあるウェッブによると、何かマイケル・ジョンソンは日本で9月中旬に行われる「スーパー陸上」でも走ると出ていました。ご存知のようにマイケル・ジョンソンは、5つの五輪金メダル、9つの世界選手権優勝、五輪史上初の200メートルと400メートルの同時金メダルという輝かしい記録を持つ、超スーパースターです。今年限りでの引退を既に表明していて、最近はリレーにしか出ていません。ブリスベンのANZスタジアムで行われた昨夜の400X4リレーで、マイケル・ジョンソンは米国チームのアンカーを務め、予想通り優勝しました。走ったあとのインタビューで、「まだ世界のトップなのに引退するのはどうしてですか?」と聞かれ、「自分は走り始めた時からトップだった。トップで始まり、トップで終わりたいんだ。」と答えていました。こういうこと、嘘でもいいから一度言ってみたいですね。

 ところで、このマイケル・ジョンソンと、マイケル・ジョーダン(バスケット)、マイケル・ジャクソン(歌手)をいつも間違えるのは私だけでしょうか?この3人の名前をきちんと区別するのに、いつも相当な時間を要します。以前は、ソウル五輪で一旦金メダルを獲得しながら薬物使用で失格した「ベン・ジョンソン」と、ミュージシャンの「ジョージ・ベンソン」もよく混同していました。そう言えば、「カール・ルイス」と「パール・ライス」っていうのも昔ありましたね。



ミッシェルに首ったけ (2001/09/09)


 昨夜行われたグッドウィル・ゲームの女子フィギュア・スケート最終日で、ミッシェル・クワンは惜しくも銀メダルに終わりました。優勝したのはロシアのイリーナ・スルツカヤで、日本の村主章枝(すぐり・ふみえ)さんが銅メダルを獲得しました。

 僕が和食屋「おしん」で月曜日にミッシェルに会ったことは先日書きましたが、実は金曜日にまた「おしん」で会ったのです。結局ミッシェルは「おしん」に3回来たそうで、いつも刺身だけしか注文しなかったそうです。やっぱりフィギュア・スケートのようなスポーツをしていると、食事にかなり気を使うのでしょうね。板前さんの成田さんは、「お通しに揚げ物を出してしまって失敗したかな」と言ってました。ミッシェルは、いつもお母さんと二人で「おしん」に来ていました。金曜日はウェートレスのマリコさんが、一緒に写真を撮ってくれと頼んだそうですが、「頭が痛いから」と断られたそうです。アメリカとオーストラリアは昼と夜が全く逆なので、時差調整が大変で、ミッシェルは時差ボケで体調を崩したとも伝えられていました。近くで見たミッシェルは、テレビで見るよりも格段に綺麗で、僕ははっきり言ってファンになってしまいました。

 ご存知のように、ミッシェル・クワンはカリフォルニアに住む中国系アメリカ人で、現在UCLAの学生(21歳)だそうです。既に4度の世界選手権優勝を果たしていて、今度のグッドウィル・ゲームでも大本命に挙げられていました。長野オリンピックでも、優勝候補の筆頭に挙げられながら、同僚のタラ・リピンスキーに敗れて銀メダルに終わっています。ミッシェルの今の目標は、オリンピックの金メダルだけと言われており、今回のブリスベンでのグッドウィル・ゲームは、5ヵ月後にせっまているソルトレーク・シティ冬季五輪での練習のようなものだったのでしょう。

 今回3位になった日本の村主さんも注目です。彼女は早稲田の3年生で、小さい頃お父さんの仕事の都合でアラスカにいたことがあるそうです。お母さんが、「英語は忘れても、体で覚えたことは忘れないだろう」と、アラスカでフィギュア・スケートを始めさせたそうです。ソルトレークでも頑張ってメダルを獲ってほしいですね。でも金メダルはやっぱりミッシェルに獲ってほしいです。



次は五輪開催を目指すブリスベン (2001/09/10)


 グッドウィル・ゲームが大成功のうちに閉幕しました。こちらの地元紙には、クイーンズランド州(ブリスベンはクイーンズランド州の首都です)のビーティ知事の一面広告が載っていました。知事は大会の主催者、参加選手、大会を支えたボランティア、そしてブリスベン市民に感謝の意を表し、「今大会の真の勝者はクイーンズランド州だ。このようなビッグ・イベントはビッグ・ビジネスと同意語なんだ」と述べていました。グッドウィル・ゲームの創始者テッド・ターナーも、今回のブリスベン大会は大成功だったと褒めていました。その他、過去4度のグッドウィル・ゲームと7度の夏季オリンピックを取材した経験があるという、アソシエイティド・プレス(AP)社のベテラン記者ロゼンタール氏の、「いい大会だった。五輪とは規模が違うので比べたくないが、過去にソ連で行われた2度のグッドウィル・ゲームとは、比較にならないくらい立派な大会だった。セント・ペテルスブルグの大会なんて、プールに入れる水を確保するのにも苦労していたくらいだ。そんなのと比べちゃあ、ブリスベンに失礼だ」というコメントも載っていました。

 今回の大成功に気を良くしたのか、ビーティ知事は、「次はオリンピックの開催を目指す」とぶち上げました。オーストラリアは去年、シドニーで開催したばかりのはずですが。まあ、まだまだ先の話でしょうが。でも我がブリスベンは、実は1992年のオリンピックに立候補していて、スペインのバルセロナに敗れたそうです。バルセロナというと、確かノーマークだった岩崎恭子さんが金メダルを獲った大会ですね。もう大分昔のような気がします。岩崎さんは、今どこで何をしていらっしゃるんでしょうか?



ブッシュに住むのはビル (2001/09/11)


 前アメリカ大統領のビル・クリントンさんが、現在私用でオーストラリアを訪れているようです(と言っても、もう大統領じゃないんだから、全ての行動が私用かもしれませんが)。昨日はメルボルンの動物園に行ったそうで、コアラの赤ちゃんを抱く母コアラと一緒に写ったビル・クリントンの写真が、今日の新聞に載っていました。このコアラの赤ちゃん、まだ名前がないそうで、昨日訪れたクリントンにちなんで「ビル」と名づけようという案が急浮上しているそうです。何か、浮気者のコアラになりはしないかと心配です。

 こちらでは、コアラが棲息するユーカリの林を「ブッシュ・ランド」と呼びます。いくら動物園の中とは言っても、「ブッシュ」に住むのが「ビル」では、何か変ですよね。やっぱり、「ブッシュ」にふさわしいのは「ジョージ」の方だと思うんですけど。



ビールおあずけの祝勝会 (2001/09/19)


 9月上旬までニューヨークで行われていた、テニスの全米オープンの話題です。サンプラスを敗って優勝したレイトン・ヒューイットは、オーストラリア南部の都市アデレード出身の20歳です。実は優勝後の祝勝会で、彼は「ビールを飲めなくてがっかりした」そうです。というのは、アメリカでは飲酒が許されるのは法的には21歳からなので、彼はアメリカ国内ではまだアルコールを飲めない年齢だったのです。そのため、コーラでの祝勝会となったそうです。ところが、彼の母国ここオーストラリアでは、18歳から飲酒が許されているのです。帰ったらビールを浴びるほど飲む、と言っていたヒューイットのことですから、地元での祝勝会は派手にやったことでしょう。日本では、20歳から飲酒できますが、この3カ国とも飲酒できる最低年齢が微妙に異なるというのは、ちょっと興味深いですね。



I  AM  AUSTRALIAN (2001/09/20)


 今週の月曜日、新たにオーストラリア人になった移民の人たちのための、「市民権取得セレモニー」に招待されました。オーストラリアは現在、世界最大数の移民を受け入れており、多民族・多文化主義国家への道を進んでいます。オーストラリアの中でも、温暖なブリスベン地域への移民はとても多く、この街だけで年間3千人ほどの新オーストラリア人が誕生しているそうです。月曜日のセレモニーにも、イギリス、ニュージーランド、南アフリカ、バングラデシュなど様々な国から百数十人の移民たちが参加していました。

 オーストラリアの市民権を取得する主要な条件は、2年以上オーストラリアに住んでいること、英語の基礎ができること、性格がいいこと、オーストラリアに住み続ける意志があることなどなどです。これだったら、僕も望めばオーストラリア人になれそうです。

 セレモニーで挨拶に立った政治家たちは、ほとんど全ての人がアメリカのテロ事件に触れ、民主主義の重要性や、異文化に対する寛容の心を育むことの必要性を説いていました。その中でも、クイーンズランド州知事の代理でスピーチをした、州議会議員のチョイさんの話が印象的でした。彼自身も香港からの移民だそうで、香港にいた時は、様々な書類の「国籍」という欄を見るのがとてもイヤだったそうです。香港は国ではないし、中国は自分たち香港人の存在を認めてくれなかったし、香港の統治をしていたイギリスも自分の国ではないからです。でも今は、「国籍」の欄に「AUSTRALIA」と誇りを持って書いているそうです。彼はさらに、「オーストラリアの多文化主義が、この国の食卓に春巻をもたらした」と言い、「今日晴れてオーストラリア国籍を取得した皆さんは、あなた方の子供や孫のために本当にいい選択をした」と締めくくっていました。最後に皆で、オーストラリア国歌を歌ってセレモニーを終了しました。僕は国歌を全然歌えなかったんですが、何か心の温まるとてもいいセレモニーでした。



鮫よけネット (2001/09/22)


 9月上旬にアメリカの東海岸で、たて続けに鮫による海水浴客の被害がありました。ある人が、「オーストラリアの海岸は大丈夫なのだろうか。もしかして、鮫に海水浴客が襲われても、観光産業の打撃になるから、報道規制されているのかもしれない」と言っていました。そこでちょっと調べてみたところ、次のような事実が分かりました。

 ブリスベンからも近い国際的に有名な観光地・ゴールドコーストの沖合いには、なんと「鮫よけネット」が張られているそうです。このネットは1962年に導入されたそうで、それ以来、海水浴客が鮫に襲われて死亡するという事故は一件も発生していないということです。この鮫よけネットの維持・修繕には、年間約10万オーストラリア・ドルもかかるそうです。

 ところが最近、この鮫よけネットの見直しが検討されているらしいのです。その理由は、経験の浅い子クジラが、沿岸の鮫よけネットに引っかかって死亡する事故が続発しているというものです。海水浴客と海洋生物の両方の安全を守るために、何かいいアイデアはないのでしょうか。



001、011、0011 (2001/09/23)


 これ何だと思いますか。数学の2進法の問題ではありません。これは、国際電話をかける時に使う番号です。日本では、今でこそいろいろな会社が国際電話サービスを提供しているようですが、やはり最もポピュラーなのは、KDDのゼロ・ゼロ・ワンダフル(001)ではないでしょうか。アメリカから国際電話をかける時は、001ではなくて、国番号の前に011です。そしてオーストラリアはというと、これが0011です。

 この3つは、非常に紛らわしくて、特に私は今までアメリカにいたせいで、混乱しています。オーストラリアからアメリカに電話をする時が最もややこしくて、注意が必要です。アメリカの国番号は1なので、こちらから電話をする時は、まず最初に00111で始めなければなりません。その後にワシントンなら202という市外局番が続きます。0や1を何回プッシュするかに細心の注意を払わないと、今でも時々間違ってしまいます。いつになったら慣れるんでしょうか。



アボリジニの掟 (2001/09/24)


 ブリスベン市庁の「異文化理解講座」という研修に出ました。異文化と言っても、オーストラリアの先住民であるアボリジニ文化に特化した研修でした。まず最初に、白人によるアボリジニ虐殺の歴史を題材にしたビデオを見せられました。私以外の参加者は、当然ながら全員白人のオーストラリア人だったのですが、皆が「学校ではこういう歴史は学ばなかった」と口を揃え、ショックの様子でした。200年あまり前にオーストラリアを発見したキャプテン・クックが、「白人にとっては英雄だが、アボリジニにとっては侵略者だ」というビデオの説明は、アメリカを発見したコロンブスが、「白人にとっては英雄だが、ネイティブ・アメリカンにとっては侵略者だ」というのと、全く同じ構図だと思いました。

 オーストラリアにおける白人の歴史はたかだか200年ですが、アボリジニはオーストラリアに4万年から8万年ほど住んでいると言われているそうです。これほどの長い間アボリジニたちは、家も畑も道も造らずに、ただひたすら環境と調和することによって、オーストラリア大陸で暮らしてきたそうです。

 アボリジニの文化で非常に面白いと思ったのは、アボリジニ社会では、義理の母と息子は口をきいてはいけないという掟があるということです。その理由は次のとおりです。典型的なアボリジニ社会の結婚は、花婿が30歳、花嫁が15歳だそうです。この夫婦に結婚後すぐに娘ができたとすると、その娘が15歳になって嫁ぐ時、父親は45歳、母親はまだ30歳です。その娘の結婚相手は30男ですから、娘婿と母親は同じ年齢ということになります。この娘婿は大抵の場合、まだ子供じみた15歳の自分の嫁より、同じ年齢の義理の母親に魅力を感じてしまい、過ちを犯す確率が非常に高いというのです。そこで、そういうことのないようにと、アボリジニの義理の母と息子は、話をしてはいけないという掟ができたそうです。文化が異なると、社会のルールも異なるのは当然と言えば当然ですが、このアボリジニの掟は興味深いものがありますよね。



BYOとMYO (2001/09/25)


 ブリスベンのレストランでは、看板や入り口のところに、よく「BYO」という文字を目にします。これは、「Bring Your Own (Drinks)」の略で、「アルコール持込み可」という意味だそうです。こちらでは、アルコール類を置いていない「BYO」のレストランって結構多くて、ビールを飲もうと思っても、置いていなくてがっかりさせられることが時々あります。おそらくアルコールを置いてある店と、そうでない店では、飲食店経営のための免許の種類が違うんでしょうね。

 「BYO」のほかに、「MYO」というのもあります。こちらは、「Make Your Own」というサンドウィッチ屋さんです。ハムやチーズや野菜、パンなどの食材がたくさん並んでいて、その中から自分で好きな物を選んでサンドウィッチを作るお店です。好きな物を好きなだけ詰め込んで、値段はそのサンドウィッチの重さによって決まります。この「MYO」は、お昼時はスゴイ人気です。



火の蟻 (2001/09/26)


 ブリスベンでは現在、「Fire Ants(火の蟻)」と呼ばれる害虫の一大駆除作戦が展開中です。この蟻は、見た目は普通の蟻とさほど変わらないらしいんですが、毒を持っていて刺すために、非常に危険だということです。子供や病弱な人が刺されたら、死ぬこともあるそうです。この蟻に刺されると焼けるように痛いので、「Fire Ants」という名前が付いたそうです。もともと南米に棲息していたこの蟻が、オーストラリアの亜熱帯地域に何らかの形で運ばれてきて、繁殖してしまったらしいのです。この火の蟻は、地面の温度が摂氏20度以上になると活動を始めるそうで、現在初夏のブリスベンは、今が大体その時期なので、駆除作戦が始まったそうです。

 この駆除作戦は、クイーンズランド州の「一次産業省」の担当で、400人を動員し、1億2千万オーストラリア・ドル以上をかけて行われます。何もしないで放っておくと、家畜や人間の健康、生態系の破壊などに67億ドルの被害が想定されているそうで、それに比べたら1億2千万ドルは安いと言えるのでしょう。害虫駆除にもきちんとコスト・ベネフィット(費用・便益)分析を用いているあたりは、さすがです。



アンセット・オーストラリア航空 (2001/09/27)


 アメリカのテロのニュースで霞んでしまったかもしれませんが、同じ時期に起こった「アンセット・オーストラリア航空」の倒産も、豪州国内では大変大きなニュースでした。アンセットは、カンタスに次ぐオーストラリア第二の航空会社だったため、1万7千人という従業員だけでなく、その関連会社やその他の観光産業従事者も含めて、影響を受けた人はとても多いと言われています。

 このアンセット航空は、倒産前には毎日130万オーストラリア・ドルという膨大な赤字を出していたそうです。そのため、親会社のニュージーランド航空が売却を希望していましたが、結局買い手がつかず、倒産となりました。

 アンセット航空は、全日空やユナイテッドなどと共に「スター・アライアンス」のメンバーでした。私は「スター・アライアンス」のマイレッジを貯めているので、5月末にブリスベンに赴任する時は、わざわざ関空から出ているアンセットを使いました。この関空とブリスベンを直行で結んでいたアンセット便は、全日空との協同運行便でしたが、アンセットの倒産後の今はもう飛んでいないそうです。この便が、全日空がらみの唯一の日本からオーストラリアへの飛行機だったため、この便が飛ばなくなって、全日空のシドニー事務所も閉鎖するかもしれないそうです。今、全日空は、日本からオーストラリアへ自社便を飛ばすかどうかを検討中だそうです。私は、ブリスベンに居る間に「スター・アライアンス」のマイレッジを使って、アンセットで国内旅行をしようと思っていたのですが、今回のアンセットの倒産で、その計画も夢と消えました。オーストラリア政府が公的資金を導入して、アンセットを復活させるべきだという意見もあります。果たしてアンセットは、不死鳥のように蘇って再び飛ぶことができるんでしょうか。ということで、明日はJALで成田まで飛び、あさってANAでワシントンに帰ります。



ブリスベン〜成田〜ワシントンDC (2001/09/30)


 無事ワシントンに到着しました。ブリスベン空港も、成田空港も、アメリカで起こったテロの関係で、やはりセキュリティ・チェックがいつもより厳しかったです。ブリスベン空港では、チェックイン前に、スーツケースを開けられて中味をチェックさせられました。しかし、このチェックの厳しさは、検査の担当者によってかなり差があると感じました。化粧品バッグや小物入れまで、開けられて調べられていた人もいましたが、私の検査官の場合は、荷物を手で上から押さえつけるようにして触っていただけでした。まあ、私の人相がいいからかもしれませんが。機内持込手荷物の方は、通常のX線検査だけで、開けられることはありませんでした。搭乗手続きを済ませると、買い物などせず直ちに出国審査場へ向かうようにと指示されました。それは、混雑を避けて飛行機の遅れを最小限にするためだそうです。あのテロの後は、乗客の荷物検査などに時間がかかって、ブリスベン空港でも飛行機の出発に最高で2時間の遅れが出ているそうです。ビジネス・ラウンジでは、軽食用のフォークとナイフは全てプラスチック製でした。スプーンだけが金属でした。ビジネス・ラウンジはセキュリティ・チェックを済ませた後に利用するので、そこから金属のナイフやフォークをハイジャック犯が盗まないようにという配慮でしょう。やはり出発は30分くらい遅れました。JALの機内でも、食事の時のナイフはプラスチック製でした。ただフォークは金属でした。スチュワーデスさんに聞くと、エコノミークラスはフォークもナイフもプラスチックだけど、ビジネスクラスではフォークは金属だということです。フォークが凶器になるのかは分かりませんが、一貫性がないように思いました。ハイジャック犯がビジネスクラスに乗る可能性は低いという考えでしょうか。

 成田空港では、スーツケースを開けられることもなく、最初は通常とあまり変わらないなあという感じがしました。ただ機内持込手荷物は、搭乗手続き前と、出国審査前の2回X線検査がありました。でもこのX線検査というのは、X線に映し出された一品一品を、危険物が入っていないか、係員が目で確認するしかないので、人的ミスが起こる可能性があるのではないでしょうか。そういう意味では、2回別の人が確認するというのはいいと思いました。成田のビジネス・ラウンジでは、フォークは金属でしたが、ナイフはどこにも見当たりませんでした。搭乗前には、ゲートで全員パスポートによる身分確認があり、ゲート通過後にも、抜き打ちでアット・ランダムに機内持込手荷物を開けての検査が再度ありました。私の荷物は検査されませんでした(やはり人相?)。ANAの機内では、ナイフ・フォークともにプラスチックでした。



Local & Global〜地方公務員から転身した国際公務員のサイト
( http://www.keicho.com )