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BRISBANE 通信(November 2001)



オーストラリアの独立記念日は? (2001/11/02)


 歴史の話です。オーストラリアは6つの州と2つの特別区からなる連邦国家ですが、その連邦国家としての憲法が制定されたのが、1901年の1月1日だそうです。ということは、今年で連邦国家樹立からちょうど百年目ということになります。様々な記念行事も各地で行われているようです。

 では、オーストラリアが独立したのは1901年の1月1日かというと、事はそんなに単純ではないようです。連邦国家としてスタートし、1920年には「独立国」として国際連盟に加盟しながらも、1942年までは宗主国イギリスの議会が、オーストラリアに関する法律を作っていたそうです。第二次世界大戦までは、外国に大使を置くこともなかったといいます。ということで、オーストラリアが独立したのはいつなのか、というのははっきりせず、特定の日が独立記念日として祝福されることはないんだそうです。オーストラリアは形式的には立憲君主制で、名目的国家元首は今でもイギリスのエリザベス女王だということになっています。自分達の大統領を選んで、共和制に移行したいという動きもあります。真の独立記念日は、いつか共和制を成し遂げた日なのかもしれません。



100歳の旗と30歳の旗 (2001/11/03)


 昨日、オーストラリアは今年で連邦制樹立からちょうど百年だと書きました。だから今のオーストラリア国旗も、できてから今年で百年目なのです。オーストラリアの国旗は、背景が紺色で、左上にイギリスとの歴史的つながりを示すユニオン・ジャック、右側には五つの星で構成される南十字星をちりばめ、ユニオン・ジャックの下にはひときわ大きな星があります。この大きな星は、連邦統一を表す星だそうです。

オーストラリアの国旗  この国旗が百歳の誕生日を迎えたというので、先日テレビで、「この国旗をどう思うか」という一般のオーストラリア人のインタビューをやっていました。その中の意見のひとつとして、「この国旗には、アボリジニの人たちのことは全然反映されていない。彼らもオーストラリア人なんだ」というものがあり、私もドキリとしました。

アボリジニの旗  実は、アボリジニの人たちには「アボリジニの旗」というのがあります。こちらの旗は1971年にデザインされたので、まだ30歳です。このアボリジニの旗は、背景の上半分が黒、下半分が赤で、中央に太陽を表す丸く黄色い部分があります。連邦百周年の公式サイトでこの旗の解説を見たら、「黒はアボリジニの黒い肌、赤はオーストラリアの大地を表す」と書いてありました。しかし、以前ブリスベン市庁の「異文化理解研修」で、白人によるアボリジニ虐殺の歴史ビデオを見せられたとき、そのビデオでは「黒は大地、赤はアボリジニが流した血を表す」と言っていました。私は、どうもこっちの方が正しいような気がしてなりません。



老後はオーストラリアで!? (2001/11/04)


 少し前ですが、ブリスベンの地元紙「クーリエ・メール」に、定年退職後にオーストラリアに移り住んだ日本人の記事が出ていました。それによると、ブリスベンのお隣りゴールドコーストには、2千人弱のシルバー世代の日本人がいるそうです。クイーンズランド州全体では、4千人近いそうです。本当でしょうか。

 温暖な気候、新鮮でおいしい食べ物、豊かな自然環境、気さくな人々などなどが、老後にオーストラリアに移住する理由になっているようです。しかし何と言っても一番の理由は、物価の安さです。ゴールドコーストでコンドミニアムは2千万円以下で手に入り、東京ではこれの4倍以上はすると、この記事は書いています。老後にオーストラリアに移住する人々は、通称「退職者ビザ」と呼ばれる、4年間有効の観光ビザで大抵は来るそうです。しかもこれは延長可能だそうです。

 「ゴールドコーストの大名」と呼ばれている日本人のKさん(85歳)の言葉も載っていました。「オーストラリア人は、アメリカ人のように押し付けがましくないし、イギリス人のようにお高くとまってもいないから親しみやすい。やがては、オーストラリアの土になることに幸福を感じます」ということです。自分も、(老後を考えるにはまだ大分早いかもしれませんが)老後は是非またブリスベンに戻って来たいなあと感じています。フロリダっていうのも捨て難いんだけど。



ミッド・キャリア・ブレイク (2001/11/05)


 ブリスベン市庁の同じ部署で働いていたジーンは、6ヶ月休職して南米への冒険旅行に旅立っていきました。当初はシドニーからロサンジェルスへ飛び、アメリカ経由で南米入りする予定だったそうですが、アメリカのテロがあったので、急きょルートを変えて、ニュージーランドのオークランドからアルゼンチンのブエノスアイレスまでの直行便で行くことにしたそうです。彼女は30代半ばの独身女性ですが、宿泊先も最初の数日しか決めていないし、予定もあまり立てずに一人でいろいろな国に行くそうです。「南米は、今や世界で一番安全な地域だから大丈夫」と言ってましたが、それは国によりますよ、ジーンさん。

 一方、9歳の娘がいるロビンは、「仕事に疲れ、家族といる時間を増やしたい」という理由で、先日から1年間の休職に入りました。彼女の夫は、自宅で働いているそうで、今では一日中一緒にいるんでしょうね。ご主人様は仕事になるんでしょうか。

 こういう休職はもちろん無給なんですが、ブリスベン市庁では結構多いみたいです。「ミッド・キャリア・ブレイク」と呼ばれ、家庭の事情、留学、冒険、その他様々な理由で、最高2年までの休職が認められるんだそうです。条件は、ただひとつ。休職前に1年以上ブリスベン市庁に勤める事です。要するに、極端な例では1年勤めれば2年休職できるんです。その他に、10年以上の長期勤務者に対する報酬として、最高13週間の有給休暇が一度与えられるそうです。こっちの方は、有給です。



サンシャイン州からスマート州へ (2001/11/06)


 オーストラリアの各州には、正式なスローガンがあるんです。そのスローガンが、各州に登録している自動車のナンバー・プレートにまで記入されています。オーストラリアで最も古いニュー・サウス・ウェールズ州は「プレミア州(最古参の州)」、南オーストラリア州はお祭りが多いのか「フェスティバル州(お祭り州)」、そして我がクイーンズランド州はその温暖な気候を表して「サンシャイン州(陽光あふれる州)」といった具合です。

 ところがクイーンズランド州のビーティ知事は、つい数週間前に突然、州のスローガンを州民が慣れ親しんだ「サンシャイン州」から、「スマート州(知的な州、あるいは最先端の州)」に変更すると発表しました。その理由は、クイーンズランド州にIT産業やバイオ・テクノロジー産業を誘致したいので、それに見合ったスローガンにするというものです。いつまでも、観光産業やサービス産業だけに依存していては、ダメだというのです。それからが大変でした。ビーティ知事は、自分達のアイデンティティである「サンシャイン州」を死守したいという住民の集中砲火を浴びました。「スマート州なんていうのを考え出した知事は、全然スマートじゃない」と言うわけです。

 州民のあいだであまりにも反対意見が多かったので、ビーティ知事は、「私のボスは州の住民だ」と言って遂に降参し、「サンシャイン州」というスローガンも残すことに同意しました。ということで、今度クイーンズランド州に自動車を登録する人は、自分の車のナンバー・プレートに、「サンシャイン州」か「スマート州」か、どちらを記入するかを選べることになりました。ちなみに、クイーンズランド州はバナナの産地でもあるので、「バナナ州」という俗称もあるそうです。こちらの方は、ナンバー・プレートにはなりません。



メルボルン・カップ (2001/11/08)


 誰か「メルボルン・カップ」ってご存知の方いますか。昨日行われた競馬レースなんですが、オーストラリア国内はもとより、世界的に有名な競馬レースだそうです。「メルボルン・カップ」というからには、当然メルボルンが舞台で、1861年に始まった伝統のあるレースだそうです。昨日は一日、新聞もテレビも職場でも、どこへ行ってもこの「メルボルン・カップ」の話題で持ちきりでした。まるでお祭り状態で、こちらでは「レース中は国中が止まる」と言われ、普段は競馬などに興味のない人も、このレースだけは特別で、ほとんどの国民が賭けるそうです(ホンマかいな)。ちなみにメルボルンのあるビクトリア州では、昨日は祝日でお休みでした。祝日に競馬をやるのではなく、競馬があるから祝日なんです。

 ギャンブルとは全く縁のない私ですが、実は昨日生まれて初めて馬券を買いました。同僚のロンに薦められて、「メルボルン・カップ」初体験となりました。競馬っていろいろな賭け方があるんだって初めて知りました。連勝、単勝、複式、単式。たまたま私が勝った馬券が、「三連勝複式」というんでしょうか(違ってるかもしれない)、三頭の馬を選んで、その三頭がどういう順番でもいいから上位三着に入れば「当たり」というやつでした。競馬初体験の私が、ブリスベンの場外馬券売り場でたまたま手にしたのが、この「三連勝複式」だったのです。どうせ当たらないんだから何でもいいやと思い、この方式の券を2枚買うことにしました。ロンの持っていた新聞を見て、それに載っていた順位予想に近いように三頭選び、そちらに30ドル賭けました。もう一枚、1・5・13という組み合わせに6ドル賭けました。これは、私の誕生日が1日(10月)で、妻の誕生日が13日(3月)なので、1と13をまず選びました。あとひとつは、長女の誕生日の8にしようかなあと思いましたが、それでは次女が仲間はずれになるので、結局、大学時代に着けていた背番号の5を選びました。これが昨日のお昼休みのことです。

 いよいよ午後2時を過ぎてレースの時間になりました。するとほとんどの職場の同僚が、近くのテレビに集まりました。当然「メルボルン・カップ」を見るためです。3200メートルのそのレースは、普通の競馬より距離が長いような気がしましたが、よく分かりません。何かテレビのアナウンスもよく聞こえなかったんですが、アウトコースから逆転し、鼻差で勝ったその馬が、13番の「エテリアル」という名の馬だというのは分かりました。13番が勝っても、自分の馬券は「三連勝」タイプだから、あとの二つの馬が二着、三着に入らないとダメなんだよなあと思っていると、誰かが、「二着は『ギブ・ザ・スリップ』だ」と言いました。へえ〜と思って自分の馬券を見ると、この馬は5番だということが分かりました。すると周りにいた皆が騒ぎ出し、「三着は何だ、何だ、あっ、『ペルシン・パンチ』だあ」と言うではありませんか。「ペルシン・パンチ」は1番なんです。何と、私が生まれて初めて買った2枚の馬券のうち、6ドルで買った1枚が大当たりとなったのです。私は、「アメイジング」と「アンビリーバブル」を繰り返し、笑いを噛み殺していました。

 でもその時はまだ、まあせいぜい配当は100ドルくらいのもんだろうと思っていたんです。しばらくして、ロンと一緒に再び場外馬券場に配当をもらいに行きました。ロンは全てを単勝方式で買っていて、何枚も買ったのに1枚だけ当たって、たった9ドルの配当をもらっていました。さて私の番、コンピューター付きの変な機械にその当たった馬券を差し込むと、配当金を表す数字が出てきました。小数点の上が、何と4桁(当然オーストラリア・ドルです)もあって、またまた「アメイジング」。現金では財布に入りきらないので、小切手を書いてもらいました。これが私の、嘘のような本当の競馬初体験物語です。この「メルボルン・カップ」、一生忘れません。



ブリスベンは仕事、タスマニアは休み (2001/11/09)


 「メルボルン・カップ」の日(11月第1火曜日)は、メルボルンのあるビクトリア州は祝日になっている、と昨日書きました。オーストラリアでは、祝日が州によって異なるんです。全国的にお休みとなるのは、元旦やクリスマスなど一年で7日あります。ブリスベンのある我がクイーンズランド州では、この7日に加えて4日の州独自の祝日があります。面白いのは、同じ「レイバー・デイ」という祝日でも、ビクトリア州では3月第一月曜日、クイーンズランド州では5月第一月曜日、ニュー・サウス・ウェールズ州や南オーストラリア州などでは10月の第一月曜日と、ばらばらになっていることです。

 しかし何と言っても特筆すべきは、タスマニア州の祝日の多さでしょう。タスマニア州以外の州では、全国的に休みになる7日の祝日に加えて、州独自の祝日はせいぜい3日か4日です。だけどタスマニア州だけは、州独自の祝日が驚くなかれ14日もあります。要するに、年間で7プラス14=21日も祝日があるのです。これは何か羨ましいというか、ブリスベンに来て損をした気分にさせられます。今度は、ブリスベン市庁ではなく、タスマニア州都のホバートの市庁にでも出向しようかな。でももしかしたら、タスマニア州の企業や役所って、祝日が多い代わりに有給休暇の日数が少ないのかもしれませんね。誰かタスマニアに詳しい人がいたら、是非教えて下さい。



亜熱帯の怠慢、亜寒帯の怠慢 (2001/11/10)


 ブリスベンで街を歩いていると、「Pokies(ポーキーズ)」という看板をよく目にします。同僚のゴーディに聞いたら、これは「ポーキー」の複数形で、「ポーキー」とは「ポーカー・ゲーム・マシン」の短縮形だそうです。要するに、日本で「スロット・マシン」と呼ぶギャンブルの機械が、こちらでは「ポーキー」だそうです。

 気をつけていると、僕の周りのオーストラリア人が話す英語には、単語の短縮形が頻繁に出てきます。最初は何のことか分からなかったことが多かったのですが、最近は大体分かるようになってきました。初めて聞くような単語も、「ああ、これはおそらく、あの単語の短縮形だろう」と想像できるようになってきました。具体的には、「ポーキー」の他に、「ブレッキー」、「テリー」、「リッピー」などなど。「ブレッキー」は「ブレックファースト(朝食)」、「テリー」は「テレビジョン」、そして「リッピー」は「リップスティック(口紅)」です。アメリカにいた7年間では、こんなの一度も聞いたことありませんでした。

 一般に、「亜熱帯の人々は多少怠慢だ」という俗説がありますよね(僕はそうは信じてませんが)。ということは、これらの短縮語は、長い単語を口にするのが億劫だという怠慢から来ているのでしょうか。そうだとすれば、これは亜熱帯のブリスベン地域に独特なものなのか、それともオーストラリア全土で話されているのか、ちょっと興味がありますね。

 これとは正反対なんですが、日本では、「寒い地方に行くほど単語が短くなり、言葉が少なくなる」というのを聞いたことがあります。具体的には、自分を表す「わたくし」という言葉は、寒くなるほど、「わたし」、「わし」、「わ」と短くなっていくという説です。事実、僕の故郷・青森県では、自分のことを「わ」と言います。こちらの方は、「亜熱帯の怠慢」ならぬ、「亜寒帯の怠慢」と呼ぶのでしょうか。



ハワード首相が政権を死守 (2001/11/11)


 5週間にわたる選挙戦が終わり、昨日オーストラリア総選挙の投票が行われました。結果は、ハワード首相率いる与党連合(自由党+国民党)が下院の過半数を獲得し、政権を死守しました。これでハワード政権は三期目(一期は3年)に突入することになり、ハワード首相はあと2年程首相を務めると、オーストラリア史上で一番長く首相の座にいたことになるそうです。

 昨日は、職場の同僚に、「選挙の開票結果を見るパーティー」というのに誘われました。このパーティーは、彼の家では恒例になっているそうです。一緒にテレビで開票速報を見ていると、何とコメディアンが出てきて、政治ネタのギャグを飛ばしていました。日本ではちょっと考えられませんが、このあたりは何でも楽しんでしまうオーストラリアならではという気がしました。パーティーに来ていた人は、ほとんどの人が野党・労働党に期待していたみたいです。選挙結果に不満が残った人も多かったようです。「これで当分、政治の話は終わり。明日からはまたスポーツ観戦に専念する」と言っていた人もいました。

 私は、テレビや新聞で選挙戦を見る限りでは、労働党のビーズリー党首の方が、ハワード首相より勝っていたように感じました。結局、オーストラリア国民は、政権交代を望まなかったということでしょう。そのビーズリー氏は、敗北が決まると直ちに支持者の前で演説をし、労働党党首から退くことを表明しました。彼は、「この選挙結果に対しては、99%悔いが残るが、残りの1%は、これで釣りに行けるという慰めの気持ちもある」と言っていました。



首相を選ぶ総選挙 (2001/11/12)


 オーストラリアの政治については今までほとんど無知でしたが、今回の選挙を見ていて分かったことを、日本と比較して述べてみたいと思います。まず、オーストラリアも日本も、議員内閣制であり、国会で多数を占めた政党の党首が首相になります。オーストラリアには、ハワード首相率いる自由党と、選挙後に辞任を表明したビーズリー党首の労働党という二つの大きな政党があります。その他に、国民党、民主党、緑の党、ワン・ネーション党などの小さな党があり、国民党は自由党と連立政権を組んでいます。この構図も、今の日本の政界に近いものがあると思いませんか。すなわち日本でも、自民党と民主党が二大勢力としてあり、その他に自由党、社民党、公明党、保守党、共産党などの小党が林立しているというあたりです。さらに言えば、与党が連立政権だというところまで同じです。

 それでは相違点はと言えば、選挙キャンペーンの期間がオーストラリアでは5週間ありましたが、日本は確か2週間ほどだったはずです。さらに、オーストラリアでは投票は義務(棄権者は罰金)ですが、日本は権利であるため、投票率に大きな差が出てしまうことです。このようなキャンペーンの長さと投票率の差が、選挙結果にどのような影響を及ぼすのかというのは、面白い研究テーマだと思います。

 しかし何と言っても、僕が今回の選挙戦を見ていて感じたのは、オーストラリアの総選挙は、首相を選ぶ選挙だということです。要するに、ハワード氏とビーズリー氏のどちらがオーストラリアの首相に相応しいのか、という一点が最も重要な争点なのです。マスコミも有権者も、そこに注目します。この二人の党首どうしのディベートが行われたのも、その好例です。ちょっとびっくりしたのは、私の知る限り、個々の選挙区から立候補している一般の候補者の情報が、極端に少なかったことです。自分の選挙区の個々の政治家の政策や資質よりも、ハワード氏かビーズリー氏かでどの政党に投票するかを決める有権者がほとんどだと聞きました。どちらのリーダーシップが優れているかという訳です。今回の選挙戦中のマスコミの論調は、ビーズリー氏の方がよりよいビジョンを持っていると書いていました。一方、ハワード氏の方は、難民問題やテロ対策などで断固とした態度を貫き、いわゆる緊急時にリーダーシップを発揮できるという点で、国民の支持を伸ばしていたようです。日本で度々話題に上る「首相公選制」という制度改革をやらなくても、選挙キャンペーンのやり方次第では、オーストラリアのように「首相を選ぶ選挙」というものの実現も可能なんだと思いました。



姉妹都市の無理な要求 (2001/11/13)


 私のいるブリスベンは、神戸と姉妹都市なんです。その他に、インドネシアの中部ジャワにある「スマラン」という街とも、姉妹都市を結んでいます。このスマランでは、ブリスベンとの姉妹都市締結を記念して、空港から市内へ続く道路を「ブリスベン通り」と名付けたそうです。そして、ブリスベン側にも、ブリスベン国際空港から出ている主要な道路に、「スマラン通り」と名付けてくれと要求してきたそうです。しかし、ブリスベン空港周辺の全ての道路には、既に名前がついており、やんわりとお断りしたそうです。それが何年も前の話だということです。スマラン側は、それ以降もあきらめずに、ブリスベンのどこかの道路に「スマラン通り」と名付けてくれと、事あるごとに要求してくるんだそうです。しかし、ブリスベン市内の主な道路には既に名前がついているし、宅地開発などに伴い新設される小さな路地に「スマラン通り」と名付けても、相手は納得しないだろうからと、担当部局では、ほとほと手を焼いているんだそうです。

 かなりフラストレーションが溜まっているのか、「道路は無理だから、いっそのことゴミ処理場にでも『スマラン処理場』と名付けてやろうかしら」と、その担当者は言ってました。ウ〜ン、それはまずいでしょう。せめて公園くらいにしてあげないと。おっとこの話、スマラン市の人には絶対に内緒ですよ。



チップはいりませんよ! (2001/11/15)


 今年の5月までいたアメリカでは、タクシーに乗ったり、床屋で髪を切ったり、レストランに行ったりすると、大体10〜15%のチップを払わなければなりません。「払わなければなりません」と書いたのは、文字通りチップが義務化しているからです。このようなサービス産業の従業員たちは、チップをもらえることを見込んで、正規の給料はかなり安く設定されていると聞いたことがあります。ですから、チップが少ないと怒ってもっと要求するウェイトレスやタクシー運転手も結構います。レストランの場合は、ウェイトレスやウェイターごとに担当のテーブルが決まっていて、そのテーブルごとのチップが担当のウェイトレスやウェイターの稼ぎになります。ですから、手が空いているウェイトレスさんに用件を頼んでも、「そちらは私の担当のテーブルじゃないから」と、断わられることがしばしばあります。誠に合理的で、チップにならない仕事はしないんです。

 一方現在住んでいるオーストラリアでは、基本的にはチップは必要ありません。本当にいいサービスをしてもらったと、心から満足した場合にだけ、少しばかりの心付けをあげればいいそうです。これこそが、本来のチップのあり方ではないでしょうか。でもブリスベンに来てからも、私はついアメリカにいた時の癖で、時々チップを払ってしまうことがあるんです。レストランでは、大抵クレジット・カードで支払いをするんですが、カードの勘定書にサインと一緒にうっかりチップの金額を書き込んでしまうのです。日本食屋さんなどで、ビールやお酒を飲み過ぎて酔っ払った時ほど、そういう傾向があります。そういえば、フィギュア・スケートの女王ミッシェル・クワン(中国系アメリカ人)も、ブリスベンでのグッドウィル・ゲーム開催中に和食屋「おしん」に来た時、しっかりチップを払って帰ったそうです。



敵はウルグアイ (2001/11/17)


 来年、日本と韓国で開催されるサッカーW杯の予選も大詰めを迎えました。本戦出場の32カ国のうち31カ国が決まり、残りひとつのイスを争うのは、我がオーストラリアとウルグアイです。圧倒的な強さでオセアニア地区予選を制したオーストラリアと、南米予選で5位となったウルグアイとのプレーオフ決戦です。今月20日にメルボルンで第一戦を行い、25日にウルグアイのモンテビデオで第二戦があります。一勝一敗の場合は、二試合の得失点差でW杯出場が決まるみたいですが、得失点差も同じ場合はどうなるんでしょうか。ちなみにFIFAの現在の世界ランキングでは、ウルグアイが23位、オーストラリアは48位です。しかし、オーストラリアは7月のコンフェデレーション杯で、ランキング1位と2位のフランスとブラジルに勝つなど、今年は好調なようです。是非ウルグアイに勝って、W杯に行って欲しいですね。

 オーストラリアには、FIFAが決めるW杯の予選形式に大いに不満があるそうです。オーストラリアは、大抵オセアニア・チャンピオンになるのですが、今までは、アジアのチームとプレーオフを行ってきました。4年前の前回は、イランとのプレーオフで、2点リードしながら土壇場で追いつかれ、W杯出場を逃しました。今回は南米チームとのプレーオフです。オーストラリアが望んでいるのは、オセアニア地区に出場枠をひとつ与えてくれということです。それが無理なら、せめてプレーオフの相手を固定してくれというのです。前回がアジア、今回が南米と、相手がその都度変わるのでは、長期的な対策も立てづらいという主張です。この言い分は、一理あると思います。しかし、とにかく今は、メルボルンでの対ウルグアイ第一戦に勝つことに集中すべきでしょう。オーストラリアがW杯の常連になれば、いつの日かオセアニア地区に一代表が与えられる日が来るかもしれません。



CATV加入 (2001/11/18)


 僕の場合、テレビはニュースとスポーツくらいしか見ません。オーストラリアのニュースを見ていると時々、「それではCNNに切り替えてみましょう」とか言って、画面も音声もアメリカのCNNに替わってしまうことがあります。9月のアメリカ中枢同時テロの時は、しょっちゅうでした。これって、共に英語圏だから可能なことで、日本のNHKが突如CNNに切り替わっても、英語の分からない普通の日本人は困りますよね。

 ということで、CNNやイギリスのBBCを見ようと思い、「FOXTEL」というケーブル・テレビに加入しました。本当はもうひとつ理由があって、クリスマスにワシントンから家族が来るので、子供番組も充実させようと思ったのです。特に長女は、「ブルー・クルー」という青い子犬が出てくるアメリカの子供番組が大好きで、調べたらFOXTELではこの「ブルー・クルー」を放送しているんです。小さい頃からあまりテレビは見せたくないのですが、長女はこの「ブルー・クルー」を見ている時だけおとなしくしているので、親の体力温存にもケーブル・テレビは不可欠だと思ったのです。

 という訳で、申し込んでから一ヶ月も経って、昨日取り付けが完了しました。こんなに遅れたのは、僕のアパートの前の住人が、やはりFOXTELに加入していたのですが、料金を滞納したまま引っ越してしまったので、僕がその人じゃないということうを証明するのに時間がかかったためです。アメリカでは、テレビのチャンネルが100以上あって、ケーブルに加入すると、見れるチャンネルが増えていくという仕組でした。オーストラリアでは、テレビのチャンネルが0〜9までの10個しかなくて、ケーブル・テレビは3チャンネルに設定してもらいました。ケーブル・テレビを見るには、テレビのチャンネルを3に合わせ、ケーブル専用のリモコンで、見る番組を変えていくのです。日本はどうでしたっけ。僕が覚えているのは、日本は12チャンネルの他にUHFというのがあったということくらいです。そういえば、日本ではケーブルにも衛生放送にも加入していませんでした。



スタバより地元カフェ (2001/11/19)


 オーストラリアで一番よく飲まれている飲み物は、ビールでもワインでもなくコーヒーだそうです。ブリスベンのスーリー市長も一日に10杯以上飲むと、何かの雑誌に出ていました。そういう訳で、ブリスベンの街にはカフェがとても多いんです。そして、ほとんどのカフェがテラス・スタイルか、店の前の歩道スペースでコーヒーを楽しむオープン・カフェになっています。

 日本で大流行しているらしい、あのシアトル発祥の「スター・バックス」も、ブリスベンに2軒あります。しかし、1軒は中心街から少し離れたところ(僕のアパートに近い)で、もう1軒はクイーン・ストリート・モールの裏側と、あまりいい立地条件とは言えず、はっきり言って地元のカフェに押され気味です。おそらく、「スタバ」のブリスベン進出は遅かったんでしょう。事実、僕の課にいる若い女性で、自宅でご主人がカフェをやっているというゴーディでさえ、「スター・バックス」を知りませんでした。ブリスベンでは「スタバ」の影が薄いんです。コーヒーの味も、何か「スタバ」より、「コーヒー・クラブ」や「ザラファ」といった地元カフェの方が、僕はおいしいと思います。でも、「スタバ」のそばを通ると必ずと言っていい程、若い日本人がコーヒーを飲んでいます。日本人ってやっぱり「ブランド」に弱いんですね。



スキニー・ラッテ (2001/11/20)


 昨日のコーヒーの話の続きです。僕は比較的コレステロールの値が高いので、普段も普通の牛乳ではなく、なるべく脂肪分のない「スキム・ミルク」を飲むようにしています。ここ5年くらいは、コーヒーに入れるミルクも「スキム・ミルク」にしてもらっています。たかがコーヒー一杯に入れるミルクの脂肪分なんて微々たるものだから、そんなの気にしたってしょうがないよと言う人もいますが、長い目で見ればやっぱり違うような気がします。ということで、アメリカのスター・バックスでよく飲んでいたのが、「スキム・ミルクを使ったカフェ・ラッテ」=「スキム・ラッテ」です。ところが、こちらブリスベンのカフェで「スキム・ラッテ」と言っても、ほとんど通じません。こちらでは、スキム・ミルクを使ったコーヒーは、「スキニー・ラッテ」とか「スキニー・カプチーノ」とかと言わなければならないんです。痩せっぽちの、という意味の「スキニー」という形容詞と、スキム・ミルクの「スキ」とを掛け合わせてこのように呼んでいるのでしょう。

 オーストラリアでは、この「スキニー・ラッテ」だけではなく、いろいろなコーヒーの呼び方がユニークです。いわゆるレギュラー・コーヒーは「ロング・ブラック」、ミルク入りコーヒーは「フラット・ホワイト」、そしてエスプレッソは「ショート・ブラック」とそれぞれ呼ばれています。オーストラリアに来ようと思っている人は、覚えておいてください。実は、今年6月1日にブリスベン市庁に初出勤した日、課長のマークから受けた最初のレクチャーが、この「オーストラリア流コーヒーの呼び方」でした。



オーストラリアはビジネス・クラス、ウルグアイはエコノミー (2001/11/21)


 昨日メルボルンで行われた、サッカーW杯予選のプレーオフ第一戦は、テレビで見ていても手に汗握る試合でした。僕は当然オーストラリアを応援していましたが、一方的に攻め込んでいながらゴールが奪えないというイヤな展開でした。一試合を通したコーナー・キックの本数は、確かオーストラリアが10でウルグアイが2でした。これだけを見ても、いかにオーストラリアが主導権を握っていたかが分かります。ゴール・ポストに当たったオーストラリアのシュートも2本ありました。結局、後半終了10分前にペナルティ・キックをものにして、1対0で勝ったのですが、ヤキモキさせられた試合でした。

 第二戦は25日にウルグアイのモンテビデオで行われます。この試合に最低でも引き分けなら、オーストラリアの28年ぶり2回目のW杯出場が決まります。両チームは今朝同じ飛行機で、既にモンテビデオに旅立ちました。南半球をひたすら東へと飛び、アルゼンチンのブエノスアイレス経由だそうです。呉越同舟となりましたが、オーストラリア・チームがビジネス・クラスを全席押さえていたため(たぶんカンタス航空でしょう)、ウルグアイ・チームはエコノミー・クラスでの長旅だそうです。これが第二戦の結果に影響するんでしょうか。しかし、ブエノスアイレスからモンテビデオまでは、ウルグアイ・チームは自国政府が奮発したチャーター機を使うため、オーストラリア・チームよりも一足先に到着するそうです。サッカーどころ南米の雄で、W杯で2度の優勝経験もあるウルグアイにとっては、W杯に出場できないということは、国家の一大事なんだそうです。第二戦も、テレビに釘付けになりそうです。オーストラリア頑張れ!



アンセット航空救済のための特別税 (2001/11/22)


 シドニーに行くために国内線のチケットを買ったら、「アンセット特別税」というのと、「セキュリティ増強税」というのを取られました。「アンセット特別税」とは、文字通り、経営破綻したアンセット・オーストラリア航空を支援するために連邦政府が課している税金です。チケットを買った旅行代理店「HIS」によれば、オーストラリア国内線のチケット一区間あたり5ドル(往復10ドル)、オーストラリア発の国際線チケットには一律10ドルの課税だそうです。この税金は、アンセット航空の解雇予定の従業員への支払いや、一部区間での運航再開のために使われるそうです。

 一方、「セキュリティ増強税」の方は12ドル40セントで、こちらはアメリカでのテロ事件を受けて、オーストラリア国内各空港のセキュリティ要員の増加などの費用に充てるものです。従って、シドニーへの往復チケットは、合計で22ドル40セント高い買い物となりました。まあ、それくらいならいいけど。というわけで、今日これからシドニーへ飛びます。



花の都シドニーより (2001/11/23)


シドニーのオペラハウス  初めてシドニーに来ました。ブリスベンとは比べ物にならないくらいの大都会ですね。中心街の高層ビル群は、まるでニューヨークの摩天楼のようで、見上げても空が所々しか見えません。実際、空港からのタクシーを降りたとき、自分はニューヨークにいるんじゃないかと錯覚しました。

 そのタクシーには、「このタクシー内はカメラで監視されています」という張り紙がありました。犯罪防止のためなんでしょうね。どこかに隠しカメラがあるのかなと思って探してみましたが、それらしき物は見当たりませんでした。まあ仮にカメラがないとしても、この張り紙だけで、犯罪抑止効果があるのかもしれません。そう言えば、ニューヨークに最初に行ったときも、タクシーの運転席と後部座席が防弾ガラスで仕切られていて驚きました(あれって本当に防弾なんでしょうか)。街が大きくなる程、犯罪が増加する傾向にあるというのは、アメリカもオーストラリアも変わりませんね。まあシドニーはそんなに危なくないんでしょうが。

 空港から乗ったそのタクシーの運転手は、ブリスベンではほとんど見かけないアフリカ系の黒人でした。やはりシドニーは、ブリスベンよりもさらに「人種の坩堝」ぶりが進んでいるようです。その黒人運転手は、とても懐かしいアフリカ訛りの英語を話していました。懐かしいと言ったのは、ワシントンの世銀本部には、ああいう英語を話すアフリカ出身のスタッフが結構いるからです。その運転手さんに出身を聞いてみたら、西アフリカのトーゴだそうで、シドニーに来てもう11年だと言っていました。彼の英語だけでなく、一般にシドニーで話されている英語は、何か「国際語としての英語」に近いような気がします。少なくとも、ブリスベンでよく耳にする、いわゆる「オーストラリア訛りの英語」よりは分かり易いように思います。このあたりも、国際都市シドニーならではでしょうか。



オペラハウスの屋根 (2001/11/24)


 世界で最も有名な建築物のひとつ、シドニーのオペラハウスを見てきました。貝殻を何枚も重ねたような、あるいは帆船の帆のようなあのオペラハウスの白い屋根は、写真やテレビで何度も目にしていましたが、実際に見るまでは真っ白なんだろうと思っていました。近づいてみると、その屋根はいくつもの小さな四角いタイルを張り合わせて出来ていることが分かります。しかも、光の屈折を考慮してか、光沢のある白いタイルと、光沢のない少し灰色がかった二種類のタイルが交互に並べられています。太陽の光に照らされると、ちょうどタイルの目地の部分が、金色に光って見えるような気がしました。このオペラハウスの屋根のタイルは、過去10年間で、たった5枚しか張り替えられていないそうです。

シドニーのオペラハウス  このシドニーのオペラハウスを設計したのは、Utzonさんというデンマーク人の建築家です。1956年に、32カ国から233のエントリーがあった国際コンペで選ばれたそうです。しかし、極めて斬新なデザインだったため、実際の建設にはかなりの苦労が伴い、結局Utzonさんは完成させられずに、道半ばでシドニーを去ったそうです。それから、オーストラリアの何人かの著名な建築家たちが仕事を引き継ぎ、建設が始まった1959年から実に14年後の1973年に、ようやく完成したそうです。当初は7百万ドルの建設予算でしたが、建設の遅れによるコストの上昇もあって、実際は約15倍の1億2百万ドルもかかったそうです。設計者が投げ出そうが、何年かかろうが、しかもこれだけコストが嵩もうが、その都度その都度対処策を見出し、一度やろうと決めた仕事を最後まで成し遂げた関係者の熱意と努力には頭が下がります。1億2百万ドルというのは確かに高い買い物でしょうが、シドニーのシンボルとして世界中からこれだけの観光客を集めているという事実を見ると、悪い投資ではなかったのではないでしょうか。ちなみに、建設費には宝くじの売上が充てられたということです。



オーストラリアW杯出場を逃す (2001/11/25)


 ウルグアイのモンテビデオで行われた、オーストラリア対ウルグアイのサッカーW杯予選プレーオフ第二戦は、3−0でウルグアイが圧勝しました。先週メルボルンでの第一戦はオーストラリアが1−0で勝ちましたが、2試合合計の得失点差で、ウルグアイがW杯出場を決めました。これで本戦出場の32チームが出揃ったことになります。

 僕も地元オーストラリアを応援するため、朝5時半に起きて、シドニーのホテルでプレーオフ第二戦の生中継を見ていました。メルボルンではあんなに攻勢だったオーストラリアは、前半守勢一方で、0−1でハーフタイムを迎えました。後半はオーストラリアにも何度かチャンスはありましたが、ウルグアイはいずれもルコーバという選手のアシストから2点を加え、勝利を確実なものにしました。このウルグアイのルコーバ選手には、W杯本戦でも注目です。それにしても、サッカーというのはホームとアウェイでは、こんなに違うものなのでしょうか。ウルグアイ選手たちの動きは、先週のメルボルンでの試合に比べて格段に良かったように思います。

 これで、オーストラリアはまた4年間W杯出場を待たなければなりません。テレビのアナウンサーも解説者も、試合後は皆一様に落胆していました。ここ一週間は、新聞の一面もサッカーの話題一色だっただけに、オーストラリア中が沈んでいることでしょう。僕もかなりがっかりしました。でも僕には、母国の日本と、娘達の国であるアメリカが出るから、まだW杯も応援のしがいがあるというものです。オーストラリアの選手の皆さん、ひとまずは、ご苦労様でした。4年後に期待しています。



シドニーの蝿 (2001/11/26)


 シドニーからブリスベンに帰ってきました。シドニーは先週の金曜日はかなり涼しくて、スーツを着て街を歩いていても全然暑いとは感じませんでした。ところが、土曜の午後から急に暑くなり、日曜、月曜と真夏のような暑さに見舞われました。

 暑さはあまり苦になりませんでしたが、シドニーの蝿の多さにはちょっとうんざりしました。しかも、シドニーの蝿は執念深くて、手で払っても払っても人の頭や顔にまとわりついてくるのです。蚊にさされやすい体質の人がいるという話を時々聞きますが、私は蝿に好かれやすい体質なのかと思ってしまいました。でも良く見ると道行く人々の多くが、私と同じようにしきりに手で顔から蝿を追い払っているではありませんか。私のせいではなくて、やはり蝿のせいなのです。ちょっとホッとしました。蝿を自分の頬に止まらせながら、アイスクリームを食べている人もいました。聞くところによると、オーストラリアでは「蝿よけの帽子」も売っているというから、やっぱりオーストラリアの蝿は相当手ごわいのでしょう。でもブリスベンでは、蝿に悩まされたという記憶がありません。衛生状態の悪い途上国に何度も行った経験もありますが、これほど蝿を鬱陶しく思ったことも今までありません。シドニーの蝿、恐るべしです。



シドニーとエッチロー (2001/11/27)


 もうずうっと昔、まだオーストラリアに来る前のことです。「日本人はどうして皆がみんな、『Sydney』の発音が変なんだろう。でも君はまともな発音に近いね」と、ある外国人に言われたことがあります。おそらく日本人の発音が変なのは、「シドニー」というカタカナ表記があまりにも定着してしまっているせいでしょう。「Sydney」という固有名詞の英語の発音は、残念ながらカタカナの「シドニー」とは全く異なるものです。英語の発音に一番近いカタカナ表記は、「スィッニー」ではないでしょうか。英語では、「Sydney」の「d」の発音は、ほとんど聞こえないんです。以前、「Brisbane」の発音の話題のときにも書きましたが、英語をカタカナで表記するのはかなり無理がある場合が多いんですよね。でも、地名や人名くらい、せめてもう少しオリジナルの発音に近いカタカナ表記にできないんでしょうか。まあ、アメリカ人も「イチロー」のことを「エッチロー」なんて言ってますから、外国人や外国の地名の発音が苦手なのは、何も日本人に限ったことではないのでしょうが。



カントリー・タウン (2001/11/28)


 ワシントンで一緒に働いていた世銀本部のブルースは、オーストラリアのメルボルンの出身です。僕のブリスベン市への出向が決まると、いろいろとオーストラリアのことを教えてくれたものでした。でも彼はよく、「メルボルンやシドニーの人たちは、ブリスベンのことを『カントリー・タウン』と言って馬鹿にするんだ」と口にしていました。「カントリー・タウン」とは、まあ「田舎町」といった意味でしょうか。ブルースの故郷メルボルンにはまだ行ったことがありませんが、今回シドニーに行って感じたのは、やっぱりシドニーは大都会で、ブリスベンは田舎町かもしれないということです。ブリスベンも中心部は割りと華やかですが、シドニーの比ではありませんでした。でも「住めば都」で、僕はブリスベンのことを結構気に入っています。住むんだったら、やっぱりシドニーよりブリスベンだよなあって思います。これって、東京より故郷がいいなあという感情に近いのかもしれませんね。一年の予定でブリスベンに来て、はや6ヶ月が経ちました。折り返し地点ですが、既にブリスベンに対して郷愁の念に似た愛着を感じてしまっています。



ヴァージン・ブルー (2001/11/29)


 先日シドニーに行く時に利用したのは、「カンタス」でも「アンセット」でもなく、「ヴァージン・ブルー」という航空会社です。この「ヴァージン・ブルー航空」は、去年の8月に設立されたばかりの、オーストラリアの新しい航空会社です。今のところ、シドニー、メルボルン、ブリスベン、キャンベラなど、国内主要都市を結ぶ数路線しか運航していません。ブリスベンとシドニーの往復航空運賃を比べたら、「ヴァージン・ブルー」は「カンタス」のほぼ半額でした。安売りチケットを売り物にしているのかもしれません。チケットは当然コストのかからないEチケット、搭乗券もスーパーのレシートのような紙切れでした。

 この「ヴァージン・ブルー」、僕にとって印象的だったのは値段の安さより、スチュワーデスの制服です。銀のバックルが付いた真っ赤なエナメル質の細身のベルトが妙にお洒落で、ベージュの制服にピッタリとマッチしていました。ちなみにこの航空会社は、スチュワーデスさんが機内でマッサージをしてくれることで有名な、あのイギリスの「ヴァージン・アトランティック航空」の系列だそうです。僕も数年前に、「ヴァージン・アトランティック」のワシントンDC〜ロンドン便で、そのマッサージを体験しました。すごく良かったですよ。でも残念ながら、「ヴァージン・ブルー」のスチュワーデスさんは、マッサージしてくれませんでした。



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