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BRISBANE 通信(January 2002)



正月気分のない正月 (2002/01/02)


 新年第一回目の「ブリスベン通信」です。今年もどうかよろしくお願いします。

ブリスベン川に上がる花火  ブリスベンの新年は、ブリスベン川に打ちあげる花火で幕を開けました。1月1日の零時をまわってすぐに、私のアパートの目の前で花火が打ち上げられました。既に寝ていた私も、花火の音で目が覚めました。ワシントンから約10日前に来て、やっと時差ボケを克服したばかりの娘達は、花火の音にも目を覚ましませんでした。このいわば公式な花火に合わせるように、隣のアパートのベランダからロケット花火を何発もあちこちに飛ばしている輩がいました。川に落ちる分にはいいのですが、向かいのビルにこのロケット花火がぶつかったり、川沿いの遊歩道に落ちたりして、ちょっと危ないんじゃないかとハラハラしました。まあ何事もなかったみたいですが。

 ブリスベンは酷暑のお正月です。クリスマス前から、ずっと半端じゃない暑さです。公式発表が、37度とか38度なので、直射日光の下では、優に40度を越えているはずです。さらに都心のアスファルトやコンクリートの上では、50度近いんじゃないでしょうか。外に出ると途端に汗が吹き出てきます。この暑さと、休日は1月1日だけで大晦日も今日1月2日も仕事ということで、全く正月気分はありません。やっぱり、正月は日本がいいですね。そういえば、日本のお正月って、ここしばらく体験していません。とても懐かしいです。



サンシャイン・コーストへ行ってきました。明日からはゴールド・コーストです。 (2002/01/04)


 ブリスベンから北へ車で約1時間走ったところに、海岸が連なるサンシャイン・コーストがあります。同じように南へ約1時間走ると、日本ではとても有名なゴールド・コーストがあります。私のまわりのオーストラリア人たちは皆一様に、「ゴールド・コーストはあまりにも観光地化されすぎてしまったので行きたくない。行くならサンシャイン・コーストにしなさい」と言います。で、先週そのサンシャイン・コーストのムルラバ海岸に行ってきました。結構よかったですよ。娘達は波打ち際で、波と戯れて喜んでいました。このムルラバ海岸のすぐ近くには、アザラシのショーを楽しめたり、頭上を巨大な鮫やエイが泳ぐ「海底水族館」もあります。ビーチでもこの水族館でも、日本人観光客らしき人には全く会いませんでした。やっぱり皆、ゴールド・コーストの方に行くのでしょうか。

 クリスマス前に家族を迎えに行く時に、ブリスベンから成田に行くJALの機内でたまたま隣り合わせた日本人サーファーのYさんは、ゴールド・コーストでオーストラリア人から生卵をぶつけられたと言っていました。ゴールド・コーストは、あまりにも日本人観光客が多く、街が「日本化」してしまっているので、それを快く思わないオーストラリア人もいるようです。実際、私も以前ゴールド・コーストに行った時、あまりの日本語の多さに、「ここは真夏の原宿か」という錯覚を感じたくらいです。さて、そのゴールド・コーストへ、明日から2泊3日の家族旅行に行ってきます。卵をぶつけられないように気をつけないと。



保育施設つきリゾート (2002/01/07)


 ゴールド・コーストから先ほどブリスベンに帰ってきました。やっぱりゴールド・コーストは、日本人とお土産屋さんとリゾート・ホテルが多いですね。ゴールド・コーストの街は、原宿と熱海をミックスさせた感じです。幸い、卵はぶつけられませんでした。

 さて、そのゴールド・コーストで宿泊したのが、たまたま数日前にインターネットで見つけて予約した「マキュア・リゾート・サーファーズ・パラダイス」です。ここは「ゴールド・コースト初の親のためのリゾート」というキャッチ・フレーズ通り、宿泊客のほとんどが我が家のように小さい子供のいる家族連れでした。お陰でレストランなどで、子供が泣いても全く気兼ねせずに済みました。このリゾートは、ゴールド・コーストの中心であるサーファーズ・パラダイスにあり、比較的ビーチにも近く、プールも子供用から大人用まで各種揃っていて良かったです。さらに保育施設もあり、私たちも2日目の午前中は8時半から12時半まで娘達をそこに預け、久しぶりに夫婦二人だけの時間を楽しみました。以前アメリカでも、コロラドの保育施設つきリゾートに行った事があります。日本でもこのような「保育施設つきのリゾート」ってあるんでしょうか。欧米では、子供がいても夫婦の時間は大事にする風潮があるように感じます。方や我が日本では、このような事をすると、「子供をほったらかしにして」というように否定的にとられてしまうのかもしれません。ともあれ、この「マキュア・リゾート」は、小さな子供のいる家族にはお薦めです。



ポーター兼ベビーシッター (2002/01/08)


 家族がワシントンからブリスベンに来て、三週間が経ちました。うだるような猛暑の中、カンガルーを追いかけたり、ビーチで波と戯れたり、ホーム・パーティーに呼ばれたりと、とても楽しい年末年始を過ごしました。明日の朝、成田経由でワシントンに戻ります。私も、ポーター兼ベビーシッターとして、ワシントンまで行って帰ってきます。ワシントン滞在はたった二日という文字通りの「とんぼ返り」です。来週の火曜日にブリスベンに戻る予定です。それでは行ってきます。



成田空港でゴジラとニアミス (2002/01/14)


 只今、成田空港のオーディオ・ビデオルームでコンピューターを使っています。真夏のブリスベンから、北風ピューピューの真冬のワシントンまで家族を送って行き、ワシントンに着いた途端に風邪をひいてしまいました。ワシントンをほんの数日で後にし、成田に引き返してきました。これから夜行便でブリスベンに戻ります。ブリスベンとワシントンの気温差はほぼ40度で(ブリスベン40℃、ワシントン0℃)、案の定、体調を崩してしまいました。今は風邪薬が効いたのか大分復調しました。

 先ほど第2ターミナルの「寿司田」のカウンターで寿司をつまんでいたら、店の人が「今日は巨人の松井が7時半頃に来る予定だ」と話していました。ゴジラ君、どこか海外に行くようです。私は7時半前に店を出たので、ゴジラ君には会えませんでした。ということで、明日からはまたブリスベンから書きます。



ブリスベン空港でゴジラと遭遇 (2002/01/15)


 ブリスベンに戻ってきました。さすがに疲れました。
 今朝ブリスベン空港で入国審査の列に並んでいる時、体格のいい長髪の男が僕より十数人前の方にいました。昨夜の成田空港のお寿司屋さんで、あのような話を聞かされたし、ブリスベン行きJALの搭乗ゲートではカメラを構えた報道陣が何人もいたので、もしやと思ったら、やっぱりゴジラこと巨人の松井秀喜選手その人でした。同じ飛行機で成田からブリスベンまで来たんですね。思ったより背は大きくなかったです。でも顔はやはり迫力満点でした。巨人軍関係者らしい二人の男性と一緒でした。

 そのゴジラ君、入国審査を終えて荷物受け取り場に向かう途中、空港係員に呼び止められて何やら質問されていました。彼ほどのスター選手でも、ここオーストラリアでは無名なのでしょう。完全に一日本人旅行者として扱われていました。入国審査の長い列にもきちんと並ばなければならず、預けた荷物も他の旅行客と同じように出てくるまで待たされていました。まあ当然と言えば当然ですが。結局、預けた荷物がなかった私の方が、松井選手より先に空港から出てきてしまいました。それにしても、松井選手はどうしてこの時期にブリスベンに来たのでしょうか。暖かいこの地で、春季キャンプに備えて自主トレを開始するためでしょうか。誰か知っている人がいたら教えて下さい。おそらく今日か明日の日本のスポーツ新聞には、「松井のブリスベン入り」が記事になってると思うんですが。



そして僕は途方に暮れる。 (2002/01/16)


 昨日ブリスベンのアパートに戻ってきた後、年末年始に娘達が使っていた食卓の幼児用座席や、トイレの幼児用便座、居間にちらかったおもちゃなどを片付けていました。砂浜で遊んだ小さなシャベルとバケツも仕舞いました。三週間家族と一緒に過ごしたアパートに、ひとりポツンとたたずんでいると、何とも感傷的な気分になってきます。改めて家族のありがたみや大切さを噛み締めているところです。あ〜あ。楽しい日々はあっと言う間に過ぎてしまうものですね。そして僕は途方に暮れる。



職住近接の通勤地獄 (2002/01/17)


 私の職場であるブリスベン市庁は、ブリスベンの中心部にあり、私のアパートからは徒歩で15分くらいです。当然、毎日徒歩通勤です。家族がブリスベンに来ていた年末年始は、家族と一緒にランチを食べるために、毎日昼休みはアパートに戻ってきていました。こういうのが職住近接の良さのひとつですね。

 ただし困ったことがありました。この時期のブリスベンは本当にとても暑いんです。お昼時、直射日光の下ではおそらく50℃近いでしょう。外に出た途端に汗が吹き出てきます。そんな状態で15分もネクタイをしたまま歩いていると(ジャケットなんか当然着ていませんが)、サウナにでも入ったように汗だくになります。正に通勤地獄です。そういう訳で、ランチの後オフィスに戻る時は、いつも途中のスターバックスで一息ついていました。そこでクリーム抜きの「バニラ・フラッパチーノ」を買い、それを食べ歩きしながらオフィスに戻るのです。ちょっとみっともないかもしれませんが、どうかお許しを。この「バニラ・フラッパチーノ」、甘さ控えめで結構いけますよ。よかったらお試しあれ。



基本はアウトドア (2002/01/18)


 家族が来ていた年末年始に、僕の職場のマークとガビンからホーム・パーティーに招かれました。いずれの家でも、食事はアウトドアでした。マークの家では庭のダイニング・テーブルで、ガビンの家ではテラスのテーブルで食べました。ブリスベンに来てから、今までにも何度か食事に招かれましたが、その都度ことごとくテラスか庭で、爽やかな風にあたりながらのアウトドア・ダイニングでした。

 アウトドアで食事をするという習慣は、何も一軒家に限ったことではなく、アパートやマンションでも同様のようです。何ヶ月か前に僕のアパートの向かいに建ったマンションにも、とても広いベランダがあり、家族がベランダで食事をしている光景を目にすることがあります。そのマンションには、ベランダにソファーを置いているところや、ベランダに小さなプールがある世帯もあります。

 ブリスベンではレストランもカフェも、ほとんどが基本はアウトドアです。それどころか、仕事の打ち合わせもアウトドアで行うことがよくあります。何でもかんでも外でやってしまうんです。年中温暖で雨が少ないので、このようなライフ・スタイルが可能なんでしょうね。北国出身の僕としては、こういうライフ・スタイルを可能にする自然条件が羨ましいというか、憧れてしまいます。



Double Stroller, Double Trouble, and Double Happiness (2002/01/19)


 僕にはもうじき3歳になる長女と、1歳半になる次女の二人の娘がいます。そういう訳で、年末年始に家族がブリスベンに来ていた間、二人乗りのストローラー(日本では最近はベビーカーと呼ぶそうですね。昔の乳母車とはどう違うんでしょうか?)をレンタルしました。ワシントンで使っていたのは前後に二人乗れるタンデム・タイプでしたが、今回は試しに左右に二人並んで乗れるツイン・タイプにしてみました。アメリカでは双子が多いせいか、こういう二人乗りのストローラーを押している母親や父親を良く見かけますが、そういえば日本では見たことがありませんね。

 このツイン・ストローラーに娘達を乗せ、よいこらしょ、よいこらしょと押して、ブリスベンのあちこちに行きました。このツイン・ストローラーは、幅が約1.5メートルくらいあるのですが、歩道の広さも段差も問題なく、どこでも行けました。車椅子やベビーカーに優しいまちづくりがなされている証拠でしょう。まあ店によっては商品が所狭しと並べられているせいで、店内の通路が狭く通行困難のところもありましたが。ブリスベン川を走る高速フェリーのシティ・キャットにもこのツイン・ストローラーで入れましたが、小型のシティ・フェリーの方はドアの所でつっかえてしまいました。

 ある時、このストローラーを押して買い物に行く途中で、一人乗りのストローラーを押している主婦から、「Double Trouble!(まあ、二人もいて大変ね)」と微笑みながら話し掛けられました。「全くその通りです」と答えましたが、実際小さい子が二人いると、いろいろと大変です。この三週間で、改めて思い知らされました。だから、ワシントンで頑張っている妻には本当に頭が下がります。でも、Troubleも2倍ですけど、子供と一緒に笑ったりする時に感じるHappyな気持ちも2倍になるような気がします。困難も2倍、幸せも2倍で差し引きゼロっていうところでしょうか。



ブリスベン空港は豪州一?! (2002/01/21)


 あの石原伸晃・行革担当大臣も最近視察に訪れたというブリスベン空港は、昨年末、オーストラリア空港協会より「オーストラリアで最高の空港」という賞を与えられました。このブリスベン空港は1997年に民営化され、現在は「ブリスベン・エアポート・コーポレーション」という企業が所有・運営をしています。石原大臣は、日本の空港の民営化実現のために、ブリスベン空港民営化の経験を参考にしたかったのでしょうか。この「ブリスベン・エアポート・コーポレーション」は、資本のうち8割ほどがオーストラリア国内のいくつかの企業の共同体ですが、残りはオランダのアムステルダム空港を運営している会社が入っています。ヨーロッパの空港経営のノウハウも取り入れているというわけです。

 この空港、確かにきれいだし、お土産屋さんやカフェなども結構充実していますが、今日はちょっと最近の自分の体験から不平を述べたいと思います。少し長くなりますが、ご勘弁を。クリスマス前に、家族を迎えに成田まで行くために訪れた、ブリスベン空港のJALのチェックイン・カウンターでのことです。いつものようにアメリカン航空のマイレッジ・カードを見せると、カウンターにいたそのオーストラリア人の係員は、「JALはワン・ワールドに加盟していないから、アメリカン航空のマイルは貯まりません」と言うではありませんか(ワン・ワールドとは、ブリティッシュ航空やアメリカン航空、それにカンタス航空などで構成している航空会社の同盟で、相互にマイルをやりとりできたり、マイル数による特典を使えたりします。他にはユナイテッドやルフトハンザ、全日空などが構成するスター・アライアンスもあります)。僕はびっくりして、「今まで何度もJALのマイル数をアメリカン航空のアカウントに貯めてきました。JALはワン・ワールドに加盟していなくても、アメリカン航空とマイレッジ提携をしているんです」と反論しました。しかしその係員は、「そんなはずはない。カンタスならいいけどJALはダメです」と言ってくるのです。僕は自分が正しいことを確信していたので、「つべこべ言わずに、このアメリカン航空のアカウント番号をコンピューターに入力してください」と、かなりムッとして言いました。後で成田空港のJALのカウンターで確認したら、やっぱり正しいのは僕の方でした。

 まだあります。今度は、ほんの一週間ほど前です。家族を送ってワシントンまで行く時に、またまたJALのチェックイン・カウンターでのことです。まず、折りたたみ式の簡易ベビーベッドをチェックインしたら、「取っ手がないから、行き先の空港コードが付いているタグ・シールを貼りにくい。一応貼っておくけど、このタグ・シールが剥がれてもしらないよ。タグが途中で剥がれたら、成田の係員には乗り継ぎ便が分からず、ワシントンまで着かないかもしれない」と言われたのです。またまたムッとして、「そのタグが剥がれないように工夫するのは、あなたの仕事じゃないのか」と抗議して、タグの端をテープで止めてもらいました。さらに、成田空港などではベビーカーをチェックイン・カウンターではなく搭乗ゲートまで運べて、搭乗直前にチェックインできるので、そのように頼んだら、「それはできない。ベビーカーはチェックインする所が違うので、あそこへ持っていけ」と言われました。「おいおい、こちらは大量の荷物と小さな子供を二人抱えているんです。あなたが、そこまで持っていってくれませんか。ワン・ストップ・サービスという言葉をご存知ですか」と僕の言いかけた言葉を遮るように、よく出来た冷静な妻が、ベビーカーをしかるべき場所まで運んでいきました。後で、「この空港、あんまりサービス良くないね」と、妻と二人で話していました。

 こういった事例は、直接ブリスベン空港の経営とは関係ないかもしれません。たまたまJALのカウンターにその日いた人が、無礼だったり、勉強不足だったり、サービス精神がなかったりしただけです。でも利用者が空港などの施設から得る印象なんていうのはそんなもので、実際に接した係員や店員の態度ひとつに大きく左右されてしまうのです。国営だろうが民営だろうが、そんなことは一般の利用者にはほとんど関係なく、やっぱり「人」なんですよね。欠陥のある制度や経営システムも、「人」次第で補うことが可能ですが、逆に言えば、せっかくのいい制度も、それを運営する「人」が悪ければ活かされないというものではないでしょうか。



それに引き替え、全日空のファミリーサポートは最高です。 (2002/01/22)


 最初に断わっておきますが、別に僕は全日空の回し者ではありません。今日は昨日とは180度逆の話です。先日、家族を送ってブリスベンから成田に着き、さらに成田からワシントンへの全日空便を利用した際には、成田空港でもワシントンのダレス国際空港でも、全日空のスタッフに大変良くしていただきました。ファミリーサポート・サービスと言って、小さな子供がいる旅行者には空港内でアシスタントを付けてくれるのです。成田空港では、ラウンジから出国審査を通って、さらに搭乗して座席に着くまで、全日空のスタッフがいくつも荷物を持って付き添ってきてくれました。実は飛行機の座席に付ける子供用のカーシートを持参していたので、それを持ってもらうだけでも大助かりでした。ダレス国際空港でも、飛行機を降りる時から、入国審査を経て、バゲッジ・クレームまで、全日空の係員が荷物を持ってくれました。

 さらに成田空港では、搭乗前に「ファミリー用ラウンジ」というのを利用させてもらいました。初めて入ったのですが、とても良かったですね。ここは、小さな子供がいる家族専用のラウンジで、床にラバーが敷いてある遊び場と様々なおもちゃがたくさんあります。さらに、授乳室兼オムツ替え室として、ベビーベッドの置いてある小部屋も3っつ併設されていました。僕たちが利用していた時は、たった二家族しかいなくて、広々と利用できました。ということで、全日空の皆さん、大変お世話になりました。また今度もよろしくお願いします。ちなみに僕は、全日空のプラチナ会員です。



キツいドアと重いドア (2002/01/23)


 年末に気づいたんですが、アパートの部屋中のドアというドアが、ことごとくキツくなって閉まりにくくなりました。以前は、このようなことはなかったのですが、最近はかなり力を入れて引っ張らないと、ドアがきちんと閉まりません。同じように、一度閉めたドアはかなり開きにくいです。誰かこんな経験ありますか?

 アパートのドアは、全て木でできていて、同じような木の枠にハマるように閉まるんです。何の変哲もない普通のドアです。それでは何故最近急にキツくなったのでしょうか。僕は、ブリスベンのこの暑さのせいだと思っています。暑さのために、ドアとドア枠をつないでいる蝶番や、あるいは鍵の部分などの金属部位が膨張してしまったのではないかと思うのです。今のところ、それ以外の原因は思い当たりません。これが正解であれば、この夏が終わってもう少し涼しくなれば、元のように簡単に開け閉めできるドアに戻るかもしれません。

 ドアと言えば、アメリカにいた時、ほとんどの建物のドアがとても重かったのを覚えています。キツいんではなくて、重いんです。あの国では、そもそも女性がドアを開けるようにはできていないんですね。いつも男性が、女性のためにドアを開けてあげなければいけないんです。



姉妹都市訪問という名の観光旅行 (2002/01/24)


 こういう批判って、日本だけじゃなくてどこにでもあるんですね。数日前のブリスベンの地元紙「クーリエ・メール」に、こんな記事が出ていました。それによると、ブリスベン市議会の議員や市の幹部職員が、過去3年間に計17回もいろいろな姉妹都市を訪問し、約4万2千オーストラリア・ドルの税金が使われたというのです。それに対し、「これらの姉妹都市訪問が、仮にブリスベン市のためになっていたとしても、市民は全く知らされていない」という野党市議デウィット氏のコメントが載っていました。

 記事によると17回の内訳は、台湾のKaohsiung(高雄)へがトップで9回、次に日本の神戸へが6回、そして中国のShenzhen(深セン)へが2回となっています。ブリスベンはこれら三市の他に、インドネシアのスマランとニュージー・ランドのオークランドとも姉妹都市になっています。しかし、スマランとオークランドへの公式訪問は、少なくとも過去3年間には一回もなかったようです。「どうせ行くなら....」という思惑が見え隠れするような、しないような。

 実はブリスベンは、1995年まではフランスのニースとも姉妹都市でした。しかし95年に、オーストラリアのお膝元である南太平洋でフランスが核実験を行ったので、怒ったスーリー市長が独断でニースとの姉妹都市協定書を破り捨てたそうです。それから最近では、同じ渡り鳥の飛来地ということで、日本の習志野市とも友好を深めています。去年、習志野を訪れたブリスベン市の職員を何人か知っていますが、習志野は姉妹都市にはなっていないので、さすがに「クーリエ・メール」の記者さんも見逃したようですね。ブリスベン市庁の皆さん、今行くなら、習志野が狙い目かもしれませんよ。

(注)中国の深セン市の「セン」という漢字は土へんに川です。



首都キャンベラは「会合の場」 (2002/01/25)


 今日仕事が終わってから飛行機に飛び乗り、首都のキャンベラ(Canberra)にやってきました。週末に渡っていろいろと探検してみたいと思います。飛行機を降りた途端、さすがにブリスベンよりは少し肌寒い気がしました。

 空港からホテルまでの約10分間、タクシーの中から見た夜のキャンベラの印象は、「何かイスラマバードみたい」というものです。政府関係の大きな建物が所々に建っている以外は何もないなあと思いました。まあ夜だから見えなかったのかも。パキスタンの首都イスラマバードもこんな感じだったような記憶があります。そう言えば、キャンベラもイスラマバードも、首都移転によって計画的に造られた人工都市ですよね。

 来る前にウェッブでいろいろとキャンベラの情報を調べていたら、いくつか面白いことが分かりました。キャンベラは1911年にオーストラリアの首都に指定された時は、人口がたった1714人で、馬が1762頭、羊が22万匹以上いたそうです。ちなみにキャンベラの現在の人口は30万強です。おそらく今は、人間と羊の数が逆転したのではないでしょうか。それから、キャンベラという地名は、アボリジニの言葉で「会合の場」という意味なんだそうです。これって、首都にとても相応しいと思いました。だって、ここキャンベラで、オーストラリアの政治家たちが、国会を舞台に会合を重ねているわけですから。



運転中はカンガルーの飛び出しに注意!! (2002/01/27)


 キャンベラ市内からほんの数分くらい車で走ったところに、市内を見下ろすアインスリー山という小高い山があります。今日、あるツアーに参加して、その山の展望台に向かう途中に、野生のカンガルーを何匹も目にしました。超近代的なキャンベラの街のこんな近くに野生のカンガルーがいるなんて、ちょっと驚きました。

カンガルーの標識  道路の脇には、「カンガルーに注意」という標識がいくつかありました。ガイドのダイアナさんの話では、キャンベラ首都特別区の周辺だけで、年間約500匹のカンガルーが交通事故の犠牲になるそうです。とっても可哀想ですね。

 今晩の飛行機でブリスベンに戻ります。キャンベラの見聞録は、ブリスベンに戻ってからまたゆっくりと書きますので、乞うご期待。



オーストラリアの日と国民栄誉賞 (2002/01/28)


 昨夜遅く、キャンベラからブリスベンに戻りました。今日月曜日は、「Australia Day(オーストラリアの日)」で休日です。正確に言うと、「オーストラリアの日」は1月26日なのですが、ブリスベンのあるクイーンズランド州では、毎年この日に最も近い月曜日が休日になるのです。

 1月26日というのは、1788年に、キャプテン・アーサー・フィリップという人がイギリスからシドニーに総督として赴任した日だそうです。要するに、オーストラリアにおける白人支配の始まりの記念日なわけです。これに対して、白人上陸よりずうっとずうっと前からオーストラリアにいたアボリジニと呼ばれる人たちにとっては、この日は「侵略の日」であり、同時に、白人により虐殺された無数のアボリジニに対する「追悼の日」であり、あるいは生き延びたことを祝う「生存の日」であるというようなことが書かれている記事をいくつか目にしました。事実、フィリップ総督赴任からちょうど二百年目にあたる1988年には、アボリジニ達によるかなり大規模なデモ行進が行われたそうです。昨日、キャンベラの国会前でも、数十人のアボリジニ達が、小規模なデモをやっているのを見かけました。

 この「オーストラリアの日」に合わせて、毎年「Australian of the Year」という賞が発表されます。この賞は、各界(芸術・文化、科学、医学、スポーツ、コミュニティ活動など)で偉業を成し遂げたオーストラリア人を表彰するものです。差し詰め、オーストラリアの「国民栄誉賞」といったところでしょうか。今年の受賞者は、テニスのパトリック・ラフターでした。ラフターは、去年のウィンブルドンでは準優勝し、デビス・カップでもオーストラリアを準優勝に導きました。それ以上に、病院に寄付をしたりという「社会貢献」の方もかなり評価されたようです。今年この「オーストラリア国民栄誉賞(と勝手に呼ばせてもらいますが)」の最終選考に残ったのは、先日ゴールデン・グローブ賞を受賞した女優のニコール・キッドマンや水泳のイアン・ソープだそうです。最近はスポーツ選手が多く受賞しているようですが、過去の受賞者を見ると、ノーベル賞受賞者や建築家、医者、自然保護活動家、起業家、アボリジニのリーダーなど、その分野は多岐に渡っています。

 この「オーストラリア国民栄誉賞」の選考過程は、ちょっと面白いですよ。まず、一般の国民が、自分が推薦したい人をノミネートするんです。そして、「National Australia Day Council(NADC)」の7人の委員が、ノミネートされた人の中から、最終的に決定を下します。この7人の委員は、ひとりが政府代表のようですが、残りはこの栄誉賞の過去の受賞者や元オリンピック選手などなど全て民間人です。そこには、政治的な意図が入る余地が限りなく小さく、要するに、「国民が選んでいる賞なんだ」ということが言えるような気がします。時の首相は、このNADCが選んだ人を公式に発表し、表彰するだけです。

 方や、日本の「国民栄誉賞」はどのように決められているのでしょうか。日本の場合は、よく、「時の政権の人気取りのための賞だ」、とかという批判が聞こえてきますが、本当のところはどうなんでしょうか。メジャー・リーグでMVPを獲得したイチローは、国民栄誉賞の受賞を拒否したそうですが、彼はどういう気持ちでこの賞を拒んだのでしょうか。何か、日本の国民栄誉賞を取り巻く「政治的な胡散臭さ」も、拒否の理由のひとつくらいにはなっていたのかもしれません。オーストラリアのように、国民が選考に参加できる「栄誉賞」にできないものかなあと、新聞一面の晴れやかなラフターの笑顔を見ていて思いました。あの笑顔、イチローの仏頂面とは好対照でした。



キャンベラとワシントンDC (2002/01/29)


 週末に訪れたオーストラリアの首都キャンベラの都心部は、とても人工的で無機質な感じがしました。都心部の街路は、僕の第二の故郷であるワシントンDCのように、幾何学的ないくつかの軸と円によって整然と構成されています。キャンベラの街のデザインは、1911年に行われた国際コンペにより決められたそうです。そのコンペで優勝したのが、アメリカはシカゴのバークレー・グリフィンさんという人です。このグリフィンさんは、キャンベラをデザインする際、ワシントンDCの街を参考にしたと言われています。ちなみにワシントンDCは、1791年に、フランス人建築家のランファン氏によりデザインされました。

 ということで、キャンベラとワシントンDCの共通点をいくつか挙げてみたいと思います。まず、お互いに都市の主要軸があることです。ワシントンDCにはモールと呼ばれる広い緑地帯があり、このモールの端から一直線上に連邦議会議事堂、ワシントン・モニュメント、リンカーン・メモリアルと配置されています。同じようにキャンベラでは、「ANZACパレード」という名のドデカい道路が軸となり、これに沿ってやはり一直線上に、新連邦議会議事堂、旧議事堂、ウォー・メモリアルが配置されています。

 第二の共通点は、都心部にいずれも湖があることです。設計者の名前を冠したキャンベラの人工湖「バークレー・グリフィン湖」は、湖畔の桜で有名なワシントンDCの「タイダル・ベイシン」にどことなく似ています。キャンベラのバークレー・グリフィン湖からは、ジェット噴射が噴き出ており、これはスイス・ジュネーヴのレマン湖を真似したそうです。

 第三は、キャンベラもワシントンDCも、連邦議会議事堂が小高い丘の上に建っていることです。この丘の名前までそっくりで、ワシントンは「Capitol Hill」、キャンベラは「Capital Hill」と、たった一文字違いです。

 第四の共通点は、いずれの都市にも、「Constitution Avenue(憲法通り)」という道路があることです。これは、首都に相応しい名前の道路なんでしょうね。

 たった二日のキャンベラ滞在で、僕が気づいたワシントンDCとの共通点は、まあざっとこんなところです。最後になりますが、キャンベラは日本の奈良市と姉妹都市なんだそうです。おそらく奈良が、昔の日本の首都だったからでしょう。キャンベラ、ワシントンDC、奈良ともに、「首都つながり」ということのようです。



圧巻!!豪州連邦議会の新議事堂 (2002/01/30)


 キャベラで見たいくつかの観光スポットのうち、一番印象に残っているのは、やはり豪州連邦議会の「新・議事堂」です(日本風に言えば国会議事堂)。「新」と付くのは、キャンベラには新旧二つの議事堂があるからです。

キャンベラの豪州連邦議会議事堂  「旧議事堂」の方は、「新議事堂」建設までの仮の議事堂で、現在は博物館として利用されています。「新」の方は、1988年に完成したということですから、まだ10数年しか経っていません。そのせいか、とても綺麗で洗練された建物でした。

 この新議事堂は、「Capital Hill」と呼ばれる丘に埋め込まれるように造られていて、建物の正面は、両側を芝生の斜面に囲まれています。この様な建築物を私は今までに見たことがありません。上院と下院のそれぞれの議場も見させてもらいましたが、上院は薄緑、下院は上品な赤で統一されていました。ガイドのダイアナさんによると、この緑はユーカリの葉の色で、赤はユーカリの花の色を現しているということです。

 その他に特筆すべきは、この議事堂の敷地内には、サッカー場がありました。議員さんたちが、空いた時間にサッカーをするためだそうです。それから、この議事堂で行われる議会は、完全にオープンで、議会開会中は、誰でもいつでも議事堂に入って傍聴してもいいんだそうです。このあたりは、何事にもオープンなオーストラリアらしいところです。

 実を言うと、私は、日本の国会議事堂にも、ワシントンDCのアメリカ連邦議会にも、建物の中には入ったことがないんです。ですから、このオーストラリアの新連邦議会議事堂が、初めて入った記念すべき国家レベルの議会ということになります(おっと、もしかしたら、「東南アジア青年の船」に参加した時、インドネシアの国会に入っているかもしれませんが、ちょっと記憶が定かではありません)。ともあれ、キャンベラの新議事堂は、一見の価値ありですよ。



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