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BRISBANE 通信(April 2002)



ワライカワセミに話すなよ〜♪ (2002/04/01)


 オーストラリアには、珍しい動物も多いんですが、珍しい鳥もたくさんいます。先週末、日本から来ていた友人達とブリスベンの「ローン・パイン・コアラ保護園」に行った時、コアラやカンガルーだけでなく、鳥達もしっかり見てきました。その中に、オーストラリア原産の「ワライカワセミ」がいました。鳴き声が人の笑い声に似ているというので、こういう名前がついているんだと思います。残念ながら、その鳴き声は聞くことができませんでしたが、前から見たかったので、じっくり観察してきました。結構ずんぐりむっくりとした、頭のでかい鳥でした。

 「ワライカワセミ」というと、昔よくテレビで流れていた歌を思い出します。確かあれはNHKの「みんなのうた」か何かだったと思いますが、サビの部分はこんなでした。

♪ワライカワセミに話すなよ〜
ケララ・ケラケラ・ケセラ・セラと、う〜るさいぞ♪

 この歌の出だしの部分がどうしても思い出せません。インターネットでざあっとサーチしてみてもダメでした。多分もう25〜30年くらい前の歌だと思いますが、もし知っている人がいたら是非教えて下さい。



金メダリストはシャイな奴 (2002/04/03)


 2月のソルトレーク五輪で、オーストラリアに冬季五輪史上初の金メダルをもたらしたブラッドバリー選手を覚えていますか。スケート・ショートトラック千メートルで、決勝進出5人のうち4人が転倒し、ビリを走っていた選手がタナボタ的に優勝してしまったという、あのブラッドバリーさんです。以前、彼はブリスベン出身だと書きましたが(2月18日付ブリスベン通信を参照ください)、先日ブリスベンの中心街で、このブラッドバリーさんのパレードがありました。

 僕も仕事の合い間に見に行ったのですが、警察に先導され、金メダルを首に下げてオープンカーに座るブラッドバリーさんは、何故かとても恥ずかしそうでした。最初は、なかなかサングラスをはずしませんでした。沿道の観衆に促されるようにして、ようやくサングラスをはずすと、一斉に拍手が沸き起こりました。それでもまだ恥ずかしそうに、時折片手を挙げて声援に応えただけでした。そのシャイな性格とは裏腹に、彼の容貌はかなり過激です。金髪の髪の毛は、オーストラリア原産の「ハリモグラ」のように逆立て、左の眉にはピアスをしていました。

 このブラッドバリーさん、一躍ブリスベンの有名人になってしまいました。先月末には、ブリスベンのスーリー市長、クイーンズランド州のビーティ知事主催による彼のためのレセプションも、それぞれあったようです。ビーティ知事のコメントが新聞に載っていたので紹介します。「勝負事は、最後の最後まで分からない。だからこそ、最後まで決してあきらめずに、目の前の仕事に全力で取り組むことが必要なんだ。ブラッドバリーさんは、そういう貴重な教訓を、若者達に模範として示してくれた。」



ブリスベンはCM撮影のメッカです。 (2002/04/04)


 おととい、ブリスベンの和食屋「おしん」で一杯やっていると、とても不思議な団体がドカドカと店に入ってきました。20人くらいの団体だったんですが、その構成が変わっていました。日本人の若い女性が数人、オーストラリア人らしき頑丈な白人の男たちが数人、そして残りは日本人の男性でした。その日本人の男性のうち、10人くらいはお坊さんのように頭を丸く刈り上げていました。最初は、仏教関連の宗教団体の旅行者たちかなあと思っていました。

 僕は例によってカウンターで飲んでいたのですが、この団体客のうちの一人が、カウンターの脇を通りかかったので、思い切って聞いてみました。Hさんという名の彼は、頭を丸めていなかったので、あの団体の日本人男性の中では少数派でした。彼によると、この団体は、あるCM撮影のためにブリスベンに来たそうです。おそらくあの中のオーストラリア人たちは、こちらで撮影のお手伝いをしている人なんでしょう。問題は、あの丸刈りの人たちです。日本の広告代理店勤務だというHさんによると、あの人たちは、このCM撮影のために頭を丸めたそうです。でも、何のCMかは結局教えてくれませんでした。そのうち日本で、丸刈りの男達がたくさん登場する何かのテレビCMが放送されるはずです。それを見た人は、是非教えて下さい。そして、そのCMはブリスベンで撮影されたということを、思い出してください。

 CMと言えば、今年1月に成田発ブリスベン行きのJALで一緒になった巨人の松井選手も、やはりCM撮影のためのブリスベン入りでした。彼の場合は「オロナミンC」のCMですが、これは日本で既にオン・エアされてますか?もし見た人がいたら、このCMの様子も教えていただければ有難いです。「ゲストブック」に書いてくださいね。お願いします。おそらく、巨人戦のナイター中継の合い間に流れていると思うんですが。

 こうなると、ブリスベンは「CM撮影のメッカ」と言ってもいいかもしれません。晴天率が非常に高いので、屋外での撮影が必要なCM撮影には、うってつけです。季節が日本と逆ですので、日本の冬に、夏用のCMを撮ったりすることもできます。広告代理店にお勤めの方、あなたもブリスベンでCM撮影をしませんか。



メルボルンに来ました。 (2002/04/05)


メルボルンの夜景  環境関係の国際会議に参加するために、メルボルンに来ました。今日から一週間滞在します。

 メルボルンの空港ターミナルを出たときの第一印象は、「寒い」の一言です。気温はブリスベンより10℃近く低いんじゃないでしょうか。街を行く人々も、コートを着ている人がたくさんいました。ブリスベンはまだ半袖なのに、メルボルンはもう秋が深まっているという感じです。それから、メルボルンにはトラム(市電)が走っていますよ。そのうち乗ってみることにします。それでは今日はこの辺で。



発言しすぎるインド人、発言しない日本人 (2002/04/07)


 今回メルボルンに来たのは、「ENVIRO-2002」という環境関連の国際会議に参加するためです。この国際会議は、「水」、「ゴミ」、「悪臭」、そして「企業の環境に対する責任」という4つの別々の会議を一箇所で同時開催するというものです。世界中から2千人近い参加者が、ここメルボルンに集まるそうです。そのうちの「水」に関する会議は、僕も会員になっている「国際水学会(IWA)」が主催する「世界水議会(World Water Congress)」で、僕は主にこれに参加します。今回はオーストラリアのメルボルンが会場ということで、僕もブリスベンからこの「世界水議会」の開催準備を少しだけ手伝っていました。今日、日曜日の夜の歓迎レセプションに始まり、金曜日までびっしりとプログラムが詰まっています。

 メルボルンに早めにやってきたのは、この「世界水議会」に先立って昨日行われた、IWAの理事会に参加するためです。参加すると言っても、僕はIWAの幹部でもなんでもないので、通訳としての参加です。「日本水道協会」から、この理事会に参加する日本代表団のために通訳をしてくれと頼まれていたのです。「同時通訳はできませんが、それでもいいのなら」ということで引き受けました。

 トランシーバーのような小型通信機に繋がったマイクを頭に固定し、一番後ろの席に座って、小声でぼそぼそと話すと、やはり同じ通信機に繋がったイア・ホンを耳につけている会場の日本人に僕の声が聞こえるという仕組です。「同時通訳はできませんよ」とは言ったものの、いざ理事会が始まってみると、これは同時通訳をしなければならないという状況でした。最初は、「発言者の発言が終わってから、その都度発言の概要を通訳しよう」と思っていました。しかし、発言者は途切れなく話すし、待っていたのでは前に言っていたことを忘れてしまうので、同時進行で訳していくしかないのです。いろいろな場で、通訳もどきのことをしたことは過去に何度もありましたが、こういう本格的な「同時通訳」をやったのは今回が初めてでした。

 この同時通訳、コツをつかむと結構うまく行くものです。そのコツとは、「主語+目的語+述語」という日本語の語順に関係なく、「主語+述語+目的語」という英語の語順にそって訳していくことです。具体的には、「I Love You」を訳すのに、「You」という目的語を待っていたのでは「Love」という述語を忘れてしまうので(長い文章の時は、そういうこともあるんです)、「私は愛しています。あなたのことを」と訳しちゃいます。日本語としては、少しおかしいかもしれませんが、意味は通じるでしょう。ということで、自分で言うのもなんですが、素人の同時通訳初体験としては、まあ85点くらいの出来ではなかったかと思っています。一人で、朝の9時から夕方6時まで慣れない同時通訳をしていたので、終わった時は本当にクタクタでした。確か、プロの同時通訳の方々は、必ず二人セットで10分とか15分とかの交代制でやっていたような気がします。

 このIWAの理事会には40カ国くらいの代表団が参加していましたが、通訳を必要としていたのは、日本からの参加者だけでした。各国の代表たちは結構積極的に発言していましたが、日本の代表団からの発言はゼロでした。「国際会議の議長にとって、最も困難なことがふたつだけある。それは、インド人に口を閉じてもらうことと、日本人に口を開いてもらうことだ」という、英語のジョークを思い出しました。そう言えば、インド人が一人参加していましたが、彼はよく発言していました。コーヒー・ブレイクの時に聞いたら、彼はインドからニュージー・ランドへの移民で、今回はニュージー・ランドの代表ということでした。



黄色いシルバー・トップ、オレンジ色のイエロー・キャブ (2002/04/08)


 昨日、メルボルンでタクシーに乗ったときのことです。そのタクシーは、「シルバー・トップ(銀色屋根)」という名のタクシー会社でした。ところが、その名前に反して車体は黄色でした。ワシントンには「レッド・トップ(赤色屋根)」という名のタクシー会社があり、その会社のタクシーはみんな車体の屋根の部分が赤いんです。そこで、その「シルバー・トップ」の運転手さんに、「どうして名前がシルバーなのに車体は黄色なのか」と聞いてみました。

 その運転手さんによると、今の市長さんになってから、「メルボルンの全てのタクシーは黄色でなければならない」というルールができたそうです。「シルバー・トップ」も、このルールができる前は、名前の通り屋根の部分が銀色のタクシーだったということです。いろんなタクシー会社があるにもかかわらず、色を黄色で統一したのは、市民や観光客にとって、すぐにタクシーだと見分け易くするためです。政治家のこういうイニシャチブも、ちょっと面白いですね。この話を聞けただけでも、メルボルンに来た甲斐があったというものです。

 ちなみにブリスベンには、「ブラック&ホワイト」と「イエロー・キャブ」という2つの主要なタクシー会社があります。「ブラック&ホワイト」のタクシーは、名前の通り車体が黒と白です。「イエロー・キャブ」の方は当然黄色と言いたいところですが、僕にはあの色は、どう見てもオレンジ色にしか見えません。黄色い車体が、ブリスベンの強い陽射しで少し日焼けしてオレンジ色になったみたいです。



128分の4  (2002/04/09)


 これは何の数字か分かりますか?僕が今メルボルンで参加している環境問題についての国際会議に関係があります。128というのは、この国際会議に参加している日本人の数です。4というのはそのうちの女性の参加者数です。ブリスベン市庁のボスが、この会議の組織委員をやっているので、数週間ほど前に、国別参加者のリストというのを見せてもらったのです。そして、日本人の参加者128人のうち、女性の数を数えてみたら、たったの4人でした。ちなみにこの国際会議への世界からの全参加者数は、2千人くらいです。

 この128分の4という数字を見て、皆さんは何を思いますか。僕は、日本社会の歪みをとてもよく表している数字ではないかと思います。それとも、環境問題や水問題というのは特別に男性向けのトピックなのでしょうか。そんなことはない証拠に、地元オーストラリアをはじめ、他の国では女性の参加者も目立っています。日本は、どうしてこんなに極端に片寄っているのでしょうか。



メルボルンにはイカなかった! (2002/04/12)


 先ほどメルボルンからブリスベンに戻りました。今回メルボルンでは、ヒルトンではなく、国際会議の会場「メルボルン・コンベンション・センター(MCC)」に比較的近い「サヴォイ・パーク・プラザ」というホテルに泊まりました。このホテル、外観はかなり古く伝統を感じさせる建物でしたが、中はとてもきれいで、値段もそれほど高くなく、はっきり言って「当たり」でした。おそらく、内装のリノベーションを行ったばかりではないでしょうか。メルボルンに行く人には、結構お薦めのホテルです。

 さて、まるまる一週間メルボルンに滞在しましたが、昼夜あわせて3回くらい、いろいろな和食屋さんに入ってみました。やはり、和食メニューは、メルボルンの方がブリスベンより豊富ですね。でも、メルボルンで訪れた三軒の和食屋さんでは、何故かことごとく「イカ」が切れていました。「イカ納豆」、「イカめんたい」、「イカ刺し」などなどメニューには載っているのでそれを注文すると、「すいませんが、あいにく今日はイカがありません」という応えがいつも返って来るのです。三軒が三軒ともそうだったので、この時期メルボルンにはイカがないのかもしれません。

 僕はブリスベンの和食屋さんでもよくイカを注文しますが、ブリスベンでは今までイカがなかったということはただの一度もありません。ブリスベンでよく行く「おしん」では、僕の故郷の八戸から冷凍輸入しているイカを使っていますが、メルボルンの和食屋さんも、八戸からイカを輸入してはどうでしょうか。



驕るカンタスは久しからず (2002/04/13)


 昨夜、メルボルンからブリスベンへ帰るカンタス航空の機内で、またイヤなことがありました。料理がおいしくないくらいなら我慢できますが、スチュワーデスの態度が極めて悪かったのです。離陸前に、僕がコンピューター・バッグを前の座席の下にきちんと押し込めようと、座席で前かがみになっていた時のことです。前方から歩いて来たかなり年配で大柄のスチュワーデスが、僕の頭にぶつかりました。その直後、今度は後方から同じスチュワーデスが引き返してきて、再び思いっきり腰骨を僕の頭にぶつけてきました。この2回目は、明らかに悪意を感じました。このスチュワーデス、ぶつかった直後も僕を振り返るでもなく、一言も発せず、何もなかったように通り過ぎました。後で、同じスチュワーデスが僕の座席の近くに来た時、「さっきは2回もぶつかっておきながら、謝りもしないのはどういうことですか」と問い詰めると、彼女はかなりムッとして、「失礼。でもワザとじゃないわ」という台詞を残し、またどっかへサッサと行ってしまいました。客に対するこの態度はどういうことでしょう。こっちはお陰で、飛行中ずうっと頭と首が痛みました。

 断わっておきますが、一般にオーストラリア人のサービスは、アメリカ人のそれに比べたら、比較にならないほどいいんです。大抵は、どのサービス産業でも、人のいいフレンドリーなオージーばかりです。しかしながら、カンタス航空だけは例外なようです。

 アンセット航空が倒産し、新鋭のヴァージン・ブルーはまだ路線が少ししかないため、オーストラリア国内の航空業界は、カンタスの独占市場と言っても過言ではありません。あのスチュワーデスの態度や、カンタスのサービスの悪さは、この独占状態と無関係ではないような気がします。早く、ヴァージン・ブルーが成長して、健全な競争関係が生まれることを望んでいます。とりあえず、もうカンタスには乗りたくないです。最後にひと言、驕るカンタスは久しからず。



そのままの君でいて...。 (2002/04/14)


 メルボルン滞在中に、「メルボルンとシドニーはライバルだ」という言葉を何度か耳にしました。なる程この2つの都市は、様々な点でオーストラリアの中では突出している存在のようです。シドニー都市圏の人口は約380万人で、メルボルンは320万人です。人口だけを見てもこの2都市は、都市圏人口で第三位の我がブリスベン(160万人)を大きく引き離しています(ブリスベン市の行政区域内人口は90万弱)。オーストラリアの新首都をキャンベラにしたのも、メルボルンとシドニーのライバル関係に配慮したためだとか。そうでなければ、この2都市が首都誘致の激しい競争に巻き込まれていたかもしれません。オーストラリアでオリンピックを開催した都市も、メルボルンとシドニーだけです。その他、メルボルンにもオペラを演じる世界最高級の劇場があって、「外観はシドニーのオペラ・ハウスに負けるが、中味はメルボルンのオペラ・ハウスが世界一」とメルボルンの人は言っているそうです。

 人口規模ではこの二つに負けますが、人口成長率ではブリスベンがオーストラリアで一番なんです。そのため、「もう数十年もすれば、ブリスベンもシドニーやメルボルンに肩を並べるくらいの大都市になるのではないか」と言う人もいます。でも、個人的にはあんまりそうなって欲しくないような気がします。どこかのんびりとした、今のままのブリスベンでいて欲しいのです。好きな街が変わらないでいて欲しいと思うのは、好きな人にいつまでもそのままでいて欲しいと思う気持ちにどこか似ていますね。



メルボルンの路面電車は生き残るか? (2002/04/15)


 メルボルンの中心街は、近くを流れるヤラ川と平行する道路群と、直交する道路群とによって構成されていました。地図で見ると、見事な格子模様です。川と平行する道路群は、大通りと細い通りが交互に並んでいて、道路の名前も「コリンズ通り」、「小コリンズ通り」、「バーク通り」、「小バーク通り」、「ロンズデール通り」、「小ロンズデール通り」といった具合です。この「小」が付かない大通りの方には、大抵、路面電車が走っています。

 この路面電車、英語では「トラム」と言い、日本語では「チンチン電車」とか「市電」とも呼ばれ、どこか懐かしい風情を醸し出しています。日本でも昔は多くの街で、この路面電車が走っていたそうですが、車社会になってしまった現在では、あまり見かけることもないのではないでしょうか。メルボルンでは、「道路が広いから、この路面電車が生き残ったんだ」と聞きました。確かに、メルボルンの中心街の道路は広いです。大通りは、道路の中心部にある路面電車の線路部分を除いても、まだ片側に2車線ずつあります。しかしながら、メルボルンの中心街の交通渋滞は酷いものがありました。そして、この路面電車も乗客離れで経営の危機に瀕しているそうです。

 4月7日付けのメルボルンの地元紙「エイジ(AGE)」によると、路面電車を運営しているいくつかの会社とビクトリア州政府は現在、路面電車の生き残りを賭けて対策を検討している最中だそうです。今のところの案は、会社ごとにバラバラな路面電車の色やデザインを統一したり、駅や案内板も乗客に使いやすいように改修するというものです。

 この記事をメルボルンで読んでいて思ったのですが、そのくらいの対策では、路面電車は生き残れませんよ。そもそもメルボルンの路面電車は、経営効率の改善のために、3年前に数社に分割民営化されたそうです。民営化により競争原理を導入しようという意図は理解できますが、この民営化は明らかに競争相手を間違っています。路面電車が競争すべき相手は、路面電車同士ではなくて、自家用車だからです。自家用車との競争に勝たなければ、路面電車は生き残れないと思います。

メルボルンの路面電車  では、どうすればいいのか。「エイジ」が載せていたような対策では全然ダメです。路面電車のみを対象にサービスを改善しようとするだけではなく(それは当然必要でしょうが)、総合交通政策という視点から、自家用車対策も併せて実施する必要があると思います。中心街への自家用車によるアクセスを割高にして、路面電車の利用を促すのです。具体的には、中心街の路上駐車の禁止や、中心街の駐車料金の値上げ、中心街への車の乗り入れに対して料金を課したりという政策を実施します。こうすることによって、中心街の渋滞も緩和されるし、路面電車の相対的魅力も増すのです。自家用車は、バスや路面電車よりも、乗客一人当たりの道路占有率や環境への負荷が大きいので、公共政策の観点からは、これくらいコストを上げてもいいと僕は思っています。

 ただ、この政策を実施する際には、かなりの割合の市民が同意してくれないことには無理があります。一度自家用車の便利さに慣れてしまった一般市民は、僕の提案する総合交通対策に抵抗するでしょう。街のシンボルとして路面電車を残したいのか、あるいは路面電車は消えても自家用車の便利さを選ぶのか、メルボルンの市民は難しい選択を迫られています。



バルコニーは物干し場にあらず。 (2002/04/16)


 アパートの掲示版に、管理人からのメモが貼ってありました。それによると、「バルコニーに洗濯物を干してはいけません」ということです。アメリカでも大抵は、アパートやマンションなどの高層住宅では、洗濯物だけではなく、目障りなものをバルコニーに置いてはいけないことになっていたと思います。ここブリスベンでも同様のようです。理由はただひとつ。景観が悪くなるからです。

 そのためかどうかは分かりませんが、アメリカやオーストラリアでは、日本より回転式の乾燥機が普及しています。日本の団地などでは、天気がいいと、一斉に洗濯物や布団をバルコニーに干していますよね。僕としては、あれはあれで嫌いな光景じゃないんですが、欧米人は嫌うようです。洗濯物は、天日で乾かした方が衛生的という意見もありますが、欧米人にとっては景観の方が大事なようです。

 そう言えば、昔読んだ「都市景観」に関する何かの雑誌に、「窓辺に飾る花は、日本では内向きだけれど、欧米では外向きだ」と書いてありました。日本では、家の中の人が楽しむように花を飾るけれど、欧米では外を行く人に見せるように花を飾るというのです。「日本はこうだ」とか「欧米はこうだ」という風に、十把一絡げにするのは大嫌いですが、本当にそういう傾向があるのでしょうか。そうだとしたら、この窓辺の花の飾り方の違いも、バルコニーの洗濯物に関する文化の違いに通じるものがあるのかもしれません。



バルコニーは喫煙所にあらず。 (2002/04/17)


 時々僕のアパートのバルコニーに、タバコの吸殻やタバコの空き箱が落ちていることがあります。自分ではタバコを吸わないのに、これらはどこから来るのでしょうか。僕の部屋は8階にあるので、地上でタバコを吸った人がポイ捨てしたものとも思えません。考えられることは唯ひとつ。同じアパートの僕より上の階の住人が、バルコニーでタバコを吸い、吸殻をバルコニーから投げ捨て、風のいたずらで僕のバルコニーに舞い降りるのでしょう。誰かは知りませんが、全く酷いマナーと言わざるをえません。

 オーストラリア人は男女とも、一般にアメリカ人よりもタバコを吸う人が多いようです(それでも、日本人よりは少ないかも)。僕の職場で隣に座っているゴーディも、課長のマークもかなりのヘビー・スモーカーで、しょっちゅうタバコを吸いに外へ出て行きます。オフィス内での喫煙は、当然禁じられているからです。以前、タバコを吸っている時間は勤務時間に含まれるのかどうかが、話題になった程です。

 一部のブリスベンのレストランでは、現時点では室内での喫煙が許可されているようです。しかし、これももうじき違法になります。というのは、今年5月31日から施行されるクイーンズランド州の新しい条例で、レストランでの喫煙は全面禁止(屋外はOK)になるからです。違反者は、罰金1500ドルだそうです。

 ポイ捨て去れたタバコの吸殻は、有機分解されるまでに20年もかかります。管理人に頼んで、「バルコニーからの吸殻の投げ捨て禁止」というメモをアパートの掲示板に貼ってもらおうかなあと真剣に思っています。



渚のバルコニー (2002/04/20)


 バルコニーの話題が続いたので、ついでにもうひとつ。先日、ブリスベン川でフェリーに乗っていて気づいたことがあります。ブリスベン川の川沿いには、アパートやマンションなどの高層住宅が結構多いのですが、その高層住宅のバルコニーの塀というかフェンスが、ことごとくガラス張りなのです。川に面している僕のアパートのバルコニーも、当然ガラスのフェンスに囲まれています。

 ワシントンでもいくつかの高層アパートに住みましたが、いつもバルコニーの囲いは金属の柵でした。それでは何故、ブリスベンのバルコニーはガラス張りなのでしょうか。思い当たる理由は以下の通りです。

(1) 金属の柵だと日光が当たると熱くなり過ぎるので、亜熱帯のブリスベンには不向きだから。
(2) ガラス張りのバルコニーは、単なるオーストラリアでの流行。
(3) 景色がより良く見えるように。

ブリスベン川  隣のアパートを観察していたら、答えが見つかったような気がします。隣のアパートは、川に面しているバルコニーだけがガラス張りで、川と反対側のバルコニーはコンクリートの柵になっているからです。要するにブリスベンでは、「川の景色が良く見えるように、川に面している高層住宅のバルコニーはガラス張りになっている」、というのが僕なりの結論です。答えは(3)という訳です。

 実際バルコニーがガラス張りだと、リビングルームでソファーに座っていても、寝室のベッドで横になっていても、ブリスベン川が見えます。ほとんど「渚のバルコニー」状態です。もし、バルコニーが金属の柵やコンクリートの塀で囲まれていたら、せっかくの素晴らしい景色が遮られているところでした。



課長の転身 (2002/04/21)


 先週の金曜日をもって、僕の直属のボスであったマーク課長がブリスベン市庁を退職しました。木曜日は午後4時から送別会、金曜日もお昼から送別会ということで、ビールやワインで乾杯しながら別れを惜しみました。僕も結構飲みすぎてしまったので(と言うか、あまり飲んだ記憶はないのですが、酒に弱くなっているようで)、帰宅後はすぐ寝ました。という訳で、先週の木・金曜日は「ブリスベン通信」の更新ができなかったのです。

 マーク課長は、ロンドンに本部のある「国際水学会(IWA)」事務局のナンバー2に抜擢されて、近くロンドンに赴任します。奥様もかねがねヨーロッパに住みたがっていたそうで、とても喜んでいるということです。僕自身としても、マークが国際的な学会に転身したことで、これからワシントンの世界銀行に戻った後、彼と仕事をする機会も増えるかもしれません。途上国には、まだまだきれいな飲み水が手に入らないために、健康を脅かされている人々が大勢います。そういう途上国の水問題を解決するために、世界銀行とIWAなどの学会が一層協力して取り組むべきだと思っています。マークも同様の意見のようです。

 ブリスベンに赴任以来、マークには本当によくしてもらいました。忙しいながらも、出向者の僕のことをいろいろと気づかってくれました。部下を単なる労働力としてではなく、人間として扱う「ヒューマン」な上司でした。国際的に飛躍するような上司のもとで働けたことは、僕としても本当に好運だったと思います。彼を失うことはブリスベンにとっては痛い損失ですが、地球にとっては大きな利益になるでしょう。送別会での彼の言葉を引用しておきます。「私は、自分たちの仕事を通していかに物事を変えるか、ということを常に考えてきた。その結果、いくつかの事態がいい方向に変わりつつあることを確信している。これからも、今までの仕事のやり方に満足せず、常に新しいやり方を模索してほしい。」

 このマークのインタビュー記事が、近々「日本水道新聞」と「水道産業新聞」という業界紙に載るはずです。メルボルンの学会の際に、これらの新聞記者が彼にインタビューしたいというので、僕が通訳を引き受けました。水道業界の人は見てください。



市長の失言 (2002/04/22)


 「消防士たちは、勤務時間中にトランプで遊んでいる。それに、ヌード・カレンダーにカッコよく写るために、これまた勤務時間中にジム通いをしている。」これは、先週のあるラジオ放送におけるブリスベン市長の発言です。この発言を巡って、ブリスベンの地元マスコミでは、侃侃諤諤の議論が巻き起こっています。

 事の発端は、ブリスベン市内の消火栓がどこにあるのか、特に夜間は分かりにくいという一見単純な問題でした。単純とは言っても、一刻を争う消火活動の際には、消防士がいかに早く火災現場に一番近い消火栓に辿り着けるかが、重要な意味を持っています。それによって、市民の命や財産を守れるかどうかが左右される可能性があるからです。

ブリスベン市庁舎  市内の消火栓は、水道事業を運営しているブリスベン市役所の管理下にあります。そして、消防署はクイーンズランド州政府の直轄です。クイーンズランド州の消防署は、当初から一貫して「キャッツ・アイ」と呼ばれる反射板を消火栓に設置してくれと、ブリスベン市役所に要望していました。しかし、市内全ての消火栓にこれを設置するには300万ドルもかかるので、ブリスベンのスーリー市長としては、「それはできない。州がお金を払うべきだ」という立場でした。スーリー市長は代替案として、市内全ての消火栓の場所を示した地図を「CDロム」にして、消防署に貸与しました。消防側では、消防車に「CDロム」を読み取れる装置が付いていない現状では、この「CDロム」は全く役に立たないと言い、絶対に反射板が必要だとの立場を変えませんでした。そういう緊張が高まっていた折、冒頭で紹介したスーリー市長の発言となったのです。

 この発言後、消防側はスーリー市長に対して謝罪を要求していますが、市長は頑なに謝罪を拒んでいます。この市長の発言を非難する一般市民の投書も、かなり最近の地元の新聞に載っています。いつもは、スーリー市長の強力なリーダーシップに惚れ惚れしていた自分も、今回の発言には首を傾げざるをえません。どうしちゃったんでしょうか。こういうことは、たとえ腹の中で思っていても、公共の電波で口にしちゃあいけませんよね。もっと冷静になって、消火栓が夜間でも見えやすくなる最も経済的で効果的な方策を、州政府と一緒に考えればいいだけのことです。

 それにしても、クイーンズランド州の消防士たちがヌード・カレンダーを出しているなんて知りませんでした。そんなもん、売れるんでしょうか。昨日の地元紙には、「カレンダーの撮影中だったんだ」と言って、裸で消火活動をする消防士たちのイラストも載っていました。



市長の失言〜その2 (2002/04/23)


 まず最初に断わっておきますが、僕はブリスベンのスーリー市長を大変尊敬申し上げております。仕事はバリバリだし、カリスマ性はあるし、彼の話はいつも面白いんです。スーリー市長が、ワシントンでの面接で僕を選んでくれたおかげでブリスベンに来れたので、そういう意味では恩も感じています。彼のような強力なリーダーから、リーダーシップの何たるかを学ぼうと思ったのも、家族と離れてまでブリスベンに来たかった大きな理由のひとつです。

 スーリー市長はまだ50代の前半ながら、現在で市長4期目です。この次はもう市長選に立候補しないと宣言しているばかりか、もうじき任期半ばで辞任するというもっぱらの噂です。最近の市長の言動を、多選の弊害だと言う人もいます。次の選挙には出ないから、もう世間体はどうでもいいのかも、という人もいます。僕は、単なる短気なんじゃないかと思っているのですが。

 実は数ヶ月前にも、スーリー市長は、失言でマスコミを騒がせています(本人は失言ではないと言うかもしれませんが)。あの時はやはり何かのインタビューで、市営バスの労働組合のリーダーを「外国から来たテロリスト」と呼んだのです。ちなみにその労働組合の人は、イギリスからの移民でした。

 あの事件は確かこんな流れでした。市営バスのある運転手(Aさん)が怪我のために運転ができなくなり、事務職に転任していました。そのAさんは、まだ定年まで数年あったはずですが、いついつまでに早期退職するようにと上司に言われたそうです。しかし、Aさんは退職する決心がつかずに、ずるずるとその上司に指定された期日を迎えてしまったらしいのです。すると、その日にAさんは突然解雇されました。これに怒った市営バスの労働組合は、市長にもマスコミにも知らせず、翌日不意打ちのストライキを決行したのです。僕は徒歩通勤ですが、バスを使っている市民の通勤・通学に大きな影響が出たはずです。この労働組合の仕打ちに激怒したスーリー市長が、「テロリスト」発言をしたという訳です。

 僕が知る限りでは、去年6月に僕がブリスベンに来て以来、スーリー市長が失言をしたのは、昨日書いた消防のケースと、この市営バスのケースのたった二度だけです。まあ仕事をきちんとしているので、仕事をしないで失言ばかりしているどこかの国の政治家よりは百倍ましです。僕としては、この二度の市長の失言と、失言の背景となった事件からも、いろいろ勉強になることがありました。そういう意味では、やっぱりこの市長からは学ぶべきことが多いです。



携帯電話は何番ですか? (2002/04/24)


 オーストラリアに来て、ちょっとイヤだなあと思うことがひとつだけあります。それは、携帯電話の音です。レストランに入っても、カフェでも、フェリーに乗っていても、メルボルンの国際会議の会議中も、あちこちで携帯電話が鳴っています。ブリスベン市庁の職場にいても、同僚の鞄の中に入れられた携帯電話がしょっちゅう鳴ります。これはもう騒音以外の何物でもありません。今の日本もこんなに携帯電話が普及しているのでしょうか。僕は1994年に日本を発ったので、その頃はまだあんまりだったと思います。ちなみにアメリカでは、携帯電話を持っている人は少数派です。

 僕は携帯電話を持たない主義です。ブリスベン市庁に赴任した時も、携帯電話を持つように課長に勧められましたが、やんわりと拒否しました。それは、騒音を引き起こしたくないという理由の他に、いつでもどこにいても電話で追いまくられたのでは堪らないからです。時には、Unreachability(誰からも邪魔されずにいること)をエンジョイしたいのです。

 ブリスベンに来てから、「携帯電話の番号は何番ですか?」と聞かれたことが何回もあります。「携帯電話を持っていますか?」ではなくて、「携帯電話は何番ですか?」と尋ねるのです。これはもう、「携帯電話を当然持っているもの」と想定しているとしか思えません。そういう時には、勝ち誇ったように「Unreachabilityをエンジョイしたいので、携帯電話は持たない主義です」と答えます。



ブリスベン滞在も残りひと月 (2002/04/30)


 今日は4月30日。僕のオーストラリアのビザは5月30日で切れるので、その日に出国する予定です。ということは、ブリスベン滞在も残りはちょうどひと月ですね。

 ブリスベンに来る前に、仕事以外でやろうと思っていたことが三つありました。そのひとつは、ホームページを作って情報発信をすること。これは達成しました。二つ目は、定期的にエクササイズをして、ぶよぶよになった身体を鍛え直すこと。そして三つ目は、アメリカの学会が認定している都市計画と環境政策のふたつの資格試験のための勉強をすること。この二つ目と三つ目は、全然できませんでした。その理由は、根っからの怠慢という自分の性格と、毎日がリゾート気分というブリスベンの気候風土が災いしたせいです。身体を鍛えるどころか、外食ばかりの食生活が祟って、逆に2〜3キロ太ってしまいました。資格試験の勉強にいたっては、せっかく何冊も重い本を持ってきたのに、ほとんど開かずじまいでした。あとひと月。せめて、今まで11ヶ月でたったの3回しか利用していないアパートのフィットネス・ジムに、もう何回かは行かないと...。



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