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BRISBANE 通信(May 2002)



赤いライオンと狂った魚 (2002/05/01)


 オークランドでよく飲んだのが「ライオン・レッド(赤いライオン?)」という名のニュージーランドのビールです。でも、「スタイン・ラガー」というのに替えたら、そっちの方が美味しかった。

 オーストラリアに来てからもいろいろなビールを試しましたが、僕が一番美味いと思うのは「カスケード・プレミアム・ラガー」で、二番目は「クラウン・ラガー」というビールです。「カスケード」の方は、タスマニアのビールで、絶滅した「タスマニア・タイガー」を描いたラベルが目印です。

 オーストラリアのワインでは、最近は「マッド・フィッシュ(狂った魚)」という西オーストラリア州の白ワインをよく飲んでいます。これは、ロンドンに行ってしまったマーク課長お薦めのワインでした。

 「赤いライオン」とか「狂った魚」とか、アルコール類の銘柄には面白いものが多いようです。もしかしたら、ライオンに飲ませたら顔が赤くなったり、魚に飲ませたら狂ってしまったりしたので、そういう名前にしたのかもしれません。こういう名前を考え付いた人は、少なくとも自分の想像の上では、ライオンにビールを飲ませたり、魚にワインを飲ませたり(あるいは魚をワインで泳がせたり)したはずです。そう思いませんか。



寝冷え@ブリスベン (2002/05/02)


 亜熱帯のブリスベンも晩秋を迎え、最近は朝晩めっきり涼しくなってきました。今まで通りほとんど何も掛けずにTシャツ姿で寝ていたら、どうやら寝冷えをしたようで、体調がすぐれません。今日の「ブリスベン通信」では、小泉首相のオーストラリア訪問の話題を取り上げようと思っていましたが、またの機会に譲って早めに就寝することにします。それでは、おやすみなさい。



無駄な外交、無意味なコミュニケ (2002/05/04)


 先日、小泉首相がオーストラリアに来て慌ただしく去っていきました。5月1日には首都キャンベラで、ハワード首相との首脳会談が行われました。その模様がこちらではどのように報道されたかを、記録に残しておこうと思います。

 5月2日の地元紙「クーリエ・メール」によると、主脳会談で話し合われたテーマはいくつかありました。まず、「オーストラリアは、日本が国連・安全保障理事会の常任理事国になることを支持する」と確認。さらに、「オーストラリアは、地球温暖化抑制のための京都議定書を批准しない」と確認。そして、「テロ対策を含めたアジア太平洋地域の安全保障のために、アメリカも含めた三国が協同すること」を確認。オーストラリアが最も期待していた日本との自由貿易協定については、「自由貿易は大事だが、日本は食糧自給率を高める必要がある」と小泉首相が事実上拒否。とまあ、こんな内容でした。これを読んでいて、僕は「全然新しいことが話し合われていないなあ」と思いました。少なくとも報道されている内容を見る限りでは、以前から分かっていることの確認のみ。何のための首脳会談だったのでしょうか。個人的な意見を言わせてもらえれば、「食糧自給率を高める」という名目で、国内農業を保護し続けていたのでは、国際競争力がつきませんよ。これは、農業だけでなく他のあらゆる産業について言える事ですが。

 5月2日朝のテレビのニュース・ショー「TODAY」では、小泉首相の訪問をほとんど無視していました。キャスターが、「日本の首相が来て、ハワード首相と貿易問題を話し合ったようですが、アメリカとの自由貿易協定の締結の見通しはどうでしょうか」と言って、アメリカの駐豪大使が出演しインタビューされていました。あれは何だったんでしょうか。「日本には全く期待していないよ」っていう感じでした。

 5月2日付けの「クーリエ・メール」に戻ります。小泉・ハワード首脳会談の後、「共同コミュニケ」が発表されたそうです。しかしそのコミュニケには、オーストラリア側が強く主張していた自由貿易協定については、ひと言も触れられていませんでした。記事によると、あとでハワード首相は、「このコミュニケは全く無意味なものだ」とかなり率直に認めたそうです。そのハワード首相の言葉を忠実に訳してみると、「コミュニケに使われている言葉は、あまりにもあいまいで一般的すぎるので、これではどういう意味にもとれるね」だそうです。オーストラリア側が無意味だと認めているからには、どうせ日本の外務省の作文でしょう。こんなの、外交じゃないよ。



日本経済を救うのは小泉よりトルシエ?! (2002/05/05)


 少し前のブリスベンの地元紙「クーリエ・メール」に、こんな記事が載っていました。「W杯サッカーが瀕死の日本経済を救うか?」というような記事でした。日本国内でも、「W杯の経済波及効果」が話題になっていると聞きます。W杯開催中は、外国から選手、役員、観客、ジャーナリストなどなど大勢が日本を訪れるはずです。国内の全競技会場には、42万5千人が足を運ぶという試算もありました。これに伴う様々な消費も当然増えるでしょう。これは疑いのないところだと思います。

 さて、「クーリエ・メール」の記事は、こんな内容でした。

「日本経済は、日本チームがW杯で勝ち進めば勝ち進むほど、上向くだろう。そういう意味では、日本経済の鍵を握っているのは、小泉首相よりも、チームの監督である中年フランス人(トルシエ監督)だ。しかしながら、W杯により、日本経済が恒常的に回復することはありえない。回復したとしても、所詮は一時的なものだ。W杯で日本チームが優勝するオッズは、75対1だそうだから、日本経済が好転する賭け率もそんなものだろう。」

 これを読んで皆さんはどう思いますか。僕はユーモアの中にも、なかなか本質を鋭く突いた記事だと思いました。そもそも景気回復をサッカーに期待するのが間違いです。経済は、政治が何とかしないといけません。おっと、その政治が全く期待できないから、皆がサッカーに期待しているんですね。トルシエさん、頼みますよ。



選択肢のある暮らし (2002/05/06)


 公共料金の支払いの話です。ブリスベンでは「Telstra(テルストラ)」というオーストラリアの電話会社と契約をしていますが、ここの電話料金の支払い方法には、実に多くの選択肢があるのです。どういう選択肢があるかというと、以下の通りです。

1.銀行口座からの自動引き落とし
2.小切手を郵送
3.電話会社の窓口に足を運んで払う
4.郵便局に足を運んで払う
5.スーパー・マーケットで払う
6.電話でクレジット・カードにより払う
7.テルストラに電話し、銀行口座を指定して払う
8.金融機関に電話し、支払いを代行してもらう
9.テルストラのインターネット上でクレジット・カードにより払う
10.郵便局のインターネット上で口座を指定して払う

 実に10種類も選択肢があるのです。これだけ選択肢があると、体の不自由な人も、仕事が忙しい人も、オーストラリアにいなくても、どんな人でもいつでもどこでも支払いが可能です。ちなみに僕はいつも、上記6番目の「電話でクレジット・カードにより払う」という方法を選択しています。クレジット・カードの番号と支払う料金などの必要な情報を、電話で入力するだけです。オーストラリアの水道料金や電気料金の支払い方法も、これに近いものがありますが、僕が知る限りでは、このテルストラのケースが一番選択肢が多いですね。日本では、どうでしょうか。

 このような公共料金の支払い方法の例ばかりでなく、あらゆる「公共サービス」は、自分がその時おかれている状況に照らし合わせて、サービスの質やサービスの料金、サービス提供の方法などを、なるべく多くの選択肢の中から選べるのが理想です。最近の小泉内閣のメルマガ第39号で、経済財政諮問会議の牛尾治朗氏も次のように言っていました。「身の回りのサービスを、多くの選択肢の中から自分のニーズに合わせて選べる社会は、豊かな社会と言えます。」全く同感です。



仲良し家族が地球を救う。 (2002/05/07)


 先日、ブリスベン市庁の同僚が面白いプレゼンテーションをしました。ブリスベン地域の人口動態と住宅需要についてでした。ブリスベン市の行政区域内人口は、現在約90万人弱ですが、ここ数年は、毎年2万人ずつ増えているそうです。その2万人のうち、3分の2がオーストラリア内外からの移民で、自然増加は残りの3分の1です。彼のプレゼンテーションによると、この人口増加ばかりでなく、近頃の家族形態の変化が、住宅需要の増加に大きく影響しているらしいのです。その家族形態の変化とは、核家族化と離婚の増加です。特に離婚は、一緒に住んでいた夫婦が別々の家に住むようになるので、離婚一件につき確実に住宅需要が増えます。

 どうしてこれが問題かというと、住宅需要が増えると、自然が残っている土地を宅地に開発しなければならないからです。ブリスベン市は、都心部こそ高層ビルが建ち並んでいますが、少し車で走ると、未だに野生のコアラが棲息しているブッシュランドと呼ばれるユーカリの林などが多く残っています。ブリスベンは、オーストラリアの都市部では最も生物の多様性に富んだ地域なのです。実際、亜熱帯のブリスベンには、1500種類の植物、523種類の脊椎動物、64種類の哺乳類、327種類の鳥類、82種類の爬虫類、29種類の両生類がいます。「離婚によって増えた住宅需要のせいで、これら動植物の貴重な棲息地をつぶすな」という訳です。従って、夫婦仲がいいということは、環境にもいいということなのです。

 よく僕のゲストブックに書き込みをいただく、天間林村のパートナーさんのHPにも、以前次のような記述がありました。「家族がひとつの部屋で団欒することによって、照明や冷暖房に使われるエネルギーが節約され、二酸化炭素など温室効果ガスの排出抑制につながる」とまあ、こんな内容だったと思います。これもなかなか面白い指摘で、要するに夫婦や家族の仲がいいということは、やっぱり環境にいいんでしょうね。

 そう考えると、単身赴任っていうのも、きっとかなり環境に悪いですね。僕のブリスベンでの一年間の単身赴任も、もうそろそろ終わりですが、環境の悪化に多少貢献しちゃったかもしれません。ちょっと反省しておきます。



亜熱帯向きの家 (2002/05/08)


 そうは言っても、ブリスベンの都心高度利用にも限界があるので、新規宅地開発を進めないわけにはいかないのです。という訳で、現在ブリスベン市庁が直面している大きな課題のひとつは、いかにして環境に優しい住宅地開発を行うかということです。僕の仕事もそれに関することが多いんです。

 住宅地開発の際に、できるだけ自然の植生を残したり、雨水を活用したり、太陽エネルギーを最大限に利用したりという様々な試みがなされています。マーク課長は、「50年後のブリスベンは、全ての家庭にソーラー・パネルと雨水タンクが備えられているだろう」と、よく言っていました。中には、開発業者や住民と協定を結び、「庭に植える植物はオーストラリア土着の植物のみ」というルールを決めている住宅地もあります。こちらの植物は、オーストラリア大陸が乾燥しているせいで、あまり水をやらなくても育つ植物が多く、水の使用量を抑制する目的がまずひとつ。当然、そういう植物のまわりに棲息するオーストラリアにしかいない生き物を保護する目的もあります。

 ブリスベンの住宅と言えば、こちらでは、大きなベランダのある木造高床式の「クイーンズランダー」という建築様式の住宅をよく目にします。これは、主に1800年代後半から1900年代前半に造られた、風通しのいい亜熱帯向けの住宅です。ほとんどのクイーンズランダーは、真夏でもクーラーがいらないほど涼しいんだといいます。でも、さすがに去年12月の異常なほどの熱波で、クーラーを買ってしまったという人も結構いました。ブリスベンのスーリー市長は、「21世紀の新しい亜熱帯向け住宅デザインを開発する研究所を、ブリスベンに設置したい」と最近表明しました。太陽光や風、雨などの自然を味方につける新しい住宅建築のあり方を、ブリスベンから世界に発信するつもりのようです。



CMデビュー決定 (2002/05/09)


 ひょんなきっかけで、CMに出ることになりました。今日昼休みに急遽オーディションに呼ばれて、何と合格。明日の午後、さっそく撮影があります。

 昨夜晩飯を食べに「おしん」に行ったのが、事の始まりでした。ウェイトレスのカリーナさんが、「慶長さん、CMに出ない?」と言うのです。詳しく話を聞いてみると、キャセイ・パシフィック航空が、CMに出てくれる45〜60歳くらいの日本人ビジネスマンを探しているというのです。キャセイ側は、どうも人数が集まらずに、ブリスベンの日本食レストランに片っ端から連絡して、助けを求めていたという訳です。年齢的には、僕は45歳までにはまだ大分ありますが、ギャラがかなり魅力的だったので、カリーナさんに担当者の電話番号を教えてもらいました。「おしん」からアパートに戻って早速電話をしてみたところ、今日のオーディションとなったのです。

 撮影クルーが宿泊しているブリスベンのとあるホテルで行われたオーディションは、オーディションとは名ばかりで、はっきり言って単なる面接でした。面接をしたのは、このCM撮影をキャセイ航空から委託されているらしいシドニーのプロダクション会社の人たちでした。何故か、日本の企業の取締役会のシーンをCMに使いたいのだそうです。会ってすぐに、「この人は取締役会の会長の補佐役にいいね」と言われ、すんなりCMデビューが決まってしまいました。魅力的だったはずのギャラは、「ああ、あれは取締役会の会長をやる人のギャラで、君は補佐役だからこれくらい」と、全然魅力的じゃない金額を提示されました。この金額で仕事を半日休んでまで、CM出演を引き受けるかどうか、ちょっと考えましたが、結局やってみることにしました。ちなみに、このキャセイ航空のCMは、香港でのみオン・エアとなるそうです。だから、自分では見られません。誰か香港にお住まいの方か、香港に住んでいる友達のいる方は教えて下さい。撮影の模様は、明日報告します。乞うご期待。



CM撮影初体験 in ブリスベン (2002/05/11)


 前回の続きです。少し長くなりますが、CM撮影初体験となった記念すべき2002年5月10日(金)の出来事を振り返ってみます。

 午前中は仕事に出ました。「撮影用にビジネスの格好で来てくれ」と言われていたので、出勤前、一番気に入っているネイビーの三つボタンのスーツと、ライト・ブルーのストライプのシャツを選びました。ネクタイはかなり迷いましたが、結局やっぱりブルー系のものにしました。朝9時前、撮影の衣装担当だという女性からオフィスに電話が入り、「今日はどんな格好をしているのか?白いシャツはダメ。シャツとネクタイを数パターン持ってきてくれ」等々と言われました。自分の服装を説明し、「撮影場所にはオフィスから直接行くので、シャツやネクタイを取りに家に戻れない」と言って、そのまま行くことにしました。こういう細かい服装の指定は、前の日にやってもらいたいものです。でも白いYシャツを着ていなくて良かった。上司に、「キャセイ航空のCM撮影のため午後は休みます」とEメールを出すと、即座に「よっ、ムービー・スター!!」という返信が来ました。

 ランチを早めに済ませ、予定の12時半より少し早めに撮影現場に到着。場所は、ブリスベンのサウス・バンクにある地元民間企業の本社ビル。その最上階にあるボード・ルーム(企業の取締役会用の会議室)が撮影場所でした。まず控え室に入れられ、衣装のチェック。衣装担当者のおばさんのチェックは、「あなたは、そのままでいいわ。ばっちりね」と、一発で合格。やっぱり僕のセンスは正しかった。僕の他に出演キャストは8人いましたが、僕以外は自前のスーツやシャツではダメで、貸衣装の中から選んで、着替えさせられていました。薄くドーランを塗られて、撮影開始まで待たされます。今回の設定は、香港からキャセイ航空で東京に飛んできた中国人一行が、東京の日本企業とビジネス取引を締結するというものでした。従って、キャストは、中国側から社長と付き添いの社員3人、日本企業の方は企業の会長と、社長、副社長と社員2人といったところでした。ちなみに僕は副社長の役でした。

 中国側の社長を演じたのは、ブリスベンでモデルまがいをしている、上海出身の半分プロのおじさん。中国の社員を演じた3人は、いずれも、映画などの撮影のためのエキストラ出演をエージェントに登録している20代前半の若者(シンガポール出身、台湾出身、中国人とベトナム人のハーフ)でした。日本側は、会長役がロサンジェルス出身の日系三世で、貫禄のあるおじいさん(ブリスベン在住)。あと僕以外の3人は、いずれもゴールドコースト在住の日本人で、やはりエキストラ出演の登録者でした。

 今回の撮影の主役は、中国側の社長と日本側の会長で、僕を含めあとの7人は完全な脇役。しかし僕はちょっとした役をもらいました。第一シーンは、主役の二人が握手する場面でしたが、僕はその背後で中国人社員と二人で契約書をチェックする役です。これはかなりの大役ですよね。その後、主役だけの撮影が何シーンかあり、こちらは他の出演者と雑談をしながら、ただただ次のシーンを待っているだけ。再び出番となったのは、実際の会議のシーン。今度はボード・ルームに座って、中国人社長が話すのを聞くシーンです。でも、単に座っていればいいというものではなく、「話し手の方にもっと身体を向けろ」とか、「自然に見えるように少し手を動かせ」とか、結構皆にディレクターの指示が飛んでいました。同じシーンを何度も何度も撮り直して、最後に主役二人が契約書にサインをするシーンで終わりました。結局僕が映っているのはおそらくたったの2シーンで、編集して実際のCMになったら、出演時間は10秒いくかどうかというところでしょう。

 それにしても、これだけのCMを撮るのに、撮影場所には20人くらいのスタッフが立ち込めていました。ディレクターの他に、当然カメラマンとカメラ・クルー、衣装係、化粧係、照明係、舞台設定係などなどが所狭しと動き回っていました。彼らのほとんどは、キャセイ航空から委託を受けたシドニーのプロダクション会社に所属するスタッフです。何故かカメラマンはフランス人でした。香港からキャセイ航空の担当者と、香港の広告代理店の人たちも撮影を見に来ていましたが、現場では、ほとんどシドニーのディレクターが仕切っていました。

 僕のCM撮影初体験はこんな感じでした。拘束時間は12時半から夕方の6時過ぎまで。実際に撮影に要したのは、このうち2時間くらいでしょうか。あとは、シーンが変わるたびに行われる舞台設定やら、カメラ設定やらの準備が整うのを待っているだけです。撮影より待ち時間の方が圧倒的に長かったです。こういうのは初めてだったので、結構楽しかった面もありますが、もう一回やれと言われたら、やらないかもしれませんね。まあ、主役なら考えないこともないですが。それにしても、このCMは香港でしか放映されないそうなので、自分では見られないというのが残念でなりません。多分オン・エアになるのは、何ヶ月か先でしょうが、誰か香港在住の方、ビデオに撮って送ってくれませんか。



2%のアート (2002/05/12)


手のオブジェ  通勤でいつも通るイーグル・ストリートに、新しいオフィス・ビルができました。そこは、僕が去年5月末にブリスベンに赴任して以来、ずうっと建築工事中だったんですが、ようやく最近完成しました。22階建てのそのビルの地上入り口周辺は、かなり広いオープン・スペースになっていて、そのスペースに、アルミニウムでできた2つの巨大な「手」のオブジェがあります。2メートルを超えるその「手」は、一方が空を指差し、もう片方が地面を指差しています。なかなか芸術的な感じです。

 ブリスベンのあるクイーンズランド州には、ちょっと面白い条例があります。名付けて、「アート設置義務条例」です。この条例によると、総工費が25万オーストラリア・ドルを超える建築物には、その建築物の公共スペースに何らかのアート(芸術作品)を設置しなければならないのです。そして、そのアートにかける費用は、総工費の2%以上でなければなりません。このような条例により、「芸術のある街づくりを推進するばかりでなく、地元の芸術家にビジネスの機会を提供し、雇用の創出と若い芸術家の育成にも役に立っている」と、我がクイーンズランド州政府は考えています。

 5月8日の地元紙「クーリエ・メール」にも、この条例のことが載っていました。その記事では、前出「手のオブジェ」を設置したビルのオーナーの以下の言葉が印象的でした。「アートの設置義務は、ペナルティー(罰)ではなく、プレジャー(喜び)です。それは、コミュニティーに恩返しをする方法なのです。」 それにしても、あの巨大な「手」は、どのように解釈すればいいのでしょうか。「天国か地獄か」という意味かもしれません。



ボトル・キープならぬ箸キープ (2002/05/13)


 ブリスベンに来てから、ほぼ毎週のように「おしん」という和食屋さんで夕食を食べています。一年近くも通っているので、そろそろ「おしん」のメニューにも飽きてきました。そういう訳で、先日ちょっと違う和食屋さんに行ってみました。その和食屋さん「K」は、ブリスベンで一番高級だとされる「S」というホテルの中にあります。このホテルには、コモンウェルス首脳会議の時に訪れたエリザベス女王も宿泊したといいます。その他にも、ブリスベンを訪れる有名人は、大抵この「S」に泊まるんだそうです。

 その高級ホテルの中にある「K」には、今まで何度かランチを食べに行った事はあったんですが、夕食を食べに行ったのは初めてでした。その時に気づいたんですが、このレストラン「K」の中の片隅に、面白いものがありました。いろんな有名人が、この「K」で使った箸が飾られていたのです。箸はケースに入っていたので、どんな箸かは分かりませんでしたが、お店の人の話では、その有名人たちが再びこのレストランを訪れたら、その箸をまた使うんだそうです。要するに、ボトル・キープならぬ「箸キープ」というわけです。それぞれの箸の下には、金色のネーム・プレートまでありました。そのネーム・プレートによると、この「K」に箸キープをしていた有名人は、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ティナ・ターナー、カイリー・ミノーグ、グレッグ・ノーマン、パトリック・ラフターなど錚々たるメンバーでした。

 その有名人達の箸キープの陳列ケースの横に、同じような陳列ケースがもうひとつありました。そっちの方も、箸の下にネーム・プレートがあります。しかし、そっちの名前はどれも聞いたことがありません。店の人に尋ねたら、そっちは常連客の箸キープなんだそうです。そこで、「僕も箸キープができますか」と尋ねたところ、「箸をキープできるのは、Celebrity(有名人)か、Regular Customer(常連客)だけで、あなたは、そのどちらでもないからダメです」と言われてしまいました。がっかり。せっかく、ブリスベンに何か足跡を残したいと思ったのに。



マイナスのチップは違法ですか? (2002/05/14)


 昨日の続きです。「有名人でも常連客でもないから、箸キープはできない」と言われてしまった和食屋さん「K」の話です。はっきり言って、そこの常連にならないのは、料理がイマイチだからです。海草サラダにマヨネーズがたっぷり載っていたり(海草サラダには醤油ベースの和風ドレッシングですよね)、揚げ出し豆腐は揚げてあるだけで出していなかったり(しかも豆腐の中心が冷たかった)、スタミナ焼肉はスタミナを消耗するほど塩辛かったり、寿司の海苔は全然パリっとせずにかなり湿気っていたり、とまあ文句を言えばキリがありません。サービスは結構いいんですけどね。

 そういう料理が出た時は、支払いの際、クレジットカードの勘定書のチップの欄に、思わずマイナスの数字を書きたくなります。オーストラリアは、アメリカと違って、基本的にチップはいらないのですが、マイナスのチップって「あり」でしょうか。それとも、やっぱり違法でしょうか。誰か勇気のある人、試してみてくれませんか。



世界で一番清い国 (2002/05/15)


 汚職撲滅を目指している国際NGO「Transparency International」のウェッブ・ページに、2002年の国別企業の贈賄指数が出ていました。調査対象となったのは、先進国を中心にした21カ国の企業です。これらの国の企業が、外国(主に社会主義から市場経済への移行国や発展途上国)でビジネスをする際に、賄賂を払って不正にビジネス上の契約を得ているかどうかを調べたものです。

 それによると、世界で最も贈賄が少ない企業、要するにクリーンな企業は、オーストラリアの企業です。スウェーデンとスイスが同点で2位。日本企業は21カ国中13位で、かなり贈賄をしているとされています。ちなみに、最下位はロシアです。

 ルール違反を犯してまで勝ちに行くのか、それとも、ルールに則って正々堂々と勝負を挑むのか。勝ち負けという結果に関わらず、称えられるべきは当然後者です。このことは、ビジネスでもスポーツでも同じ事だと思います。オーストラリアはスポーツ大国で、国民は熱狂的なスポーツ・ファンばかりです。そのせいか、オーストラリア人は国際ビジネスにおいても、スポーツマン・シップを発揮しているようです。ちょっと褒め過ぎか。



32歳の女性党首 (2002/05/16)


 オーストラリアには、自由党と労働党という二つの大きな政党があります。今日の話題の主役は、これらの二大政党ではなくて、第三政党のオーストラリア民主党です。オーストラリア民主党の党首は、ナターシャ(Natasha Stott Despoja)さんという弱冠32歳の女性なのです。26歳でオーストラリアの国会に初当選し、以来、副党首を経て既に一政党のトップの座に就いています。頭脳明晰で、なかなかの政策通でもあるようです。今朝もテレビのニュース番組で、政府与党の来年度予算案を鋭く批判していました。

 このナターシャさん、はっきり言って美人です。目がクリッとしていて僕好みです。僕はナターシャさんを見るたびに、元NHKアナウンサーの草野満代さんを思い出します。この二人の顔はかなり似ているんです。

 去年ナターシャさんは、世界経済フォーラムの「明日の地球のリーダー」に選ばれました。今年の「明日の地球のリーダー」には、日本から小渕優子さんが選ばれています。この二人を比べると、現時点ではナターシャさんの方が断然格上だと思います。さて、小渕優子さんは、日本のナターシャになれるんでしょうか。



太陽は殺し屋 (2002/05/17)


 ブリスベンの地元紙「クーリエ・メール」は、ちょっと芸能雑誌やスポーツ紙みたいなところがあって、ほとんど毎日、水着の女性の写真がどこかに載っています。数日前の新聞にもやはり載っていて、別にその写真に惹かれたわけではありませんが、その写真の下の関連記事を読んでみました。それによると、オーストラリアでは今度から、有害な紫外線から身体を守るために、帽子やサングラス、日焼け止めクリームなどを買う費用が、職業上の必要経費として認められ、税控除の対象になるんだそうです。ただし、これは屋外で働く労働者のみに適用になります。僕のようなオフィス・ワーカーではダメです。

 オーストラリアは晴天率が非常に高く、陽射しも強いため、紫外線による被害がかなり大きいそうです。もしかしたら、同じ南半球ということで、南極付近のオゾン・ホールも影響しているのかもしれません。本当かどうかは分かりませんが、「オーストラリアの一番の死因は、紫外線による皮膚ガンだ」というのを何度か耳にしました。「The sun is the No.1 killer in Australia(太陽は一番の殺し屋だ)」という表現もよく聞きました。ちょっと恐ろしいですが、でも僕はやっぱり、熱い陽射しの下でポカーンとしているのが大好きです。



南十字星の下で送別会 (2002/05/18)


 一年間お世話になったブリスベン市庁都市経営局上下水道課の皆が、昨日、僕の送別会を開いてくれました。金曜日という事もあって、午後3時半くらいに皆でオフィスを抜け出しました。目指すは、ブリスベン郊外のクーサ山の頂上付近にある展望レストラン。このレストランは、以前「ブリスベンで最高のレストラン」という何かの賞に輝いた所だそうで、僕のために同僚のゴーディが選んでくれました。僕が注文したのは、カンガルーの肉です。以前食べた時に、あんまり美味しいとは思いませんでしたが、「これがカンガルーを食べる最後の機会かもしれない」と思ったもので。何よりも、オーストラリアの雰囲気にどっぷりと浸りたかったから。

 展望レストランのデッキで、ブリスベンの街を見下ろしながら、まだ明るいうちから飲み始めました。そろそろ冬に突入するブリスベンは、現在とても日が短いんです。アッという間に暗くなり、夜空には満天の星、眼下にはブリスベンの夜景と、最高の送別会になりました。

 僕が、「オーストラリアに来て、実はまだ南十字星を見ていないんだ。いや、見たかもしれないけど、どれが南十字星かイマイチ確かじゃないんだ」と言うと、隣に座っていたブラニーが、空を見上げてすぐに「サザン・クロスは、あれだよ」と指差しました。僕の感想は、「えっ、あれがそうなの」という呆気ないものでした。だって、大きさも明るさも大したことなかったから。しかも、周りにたくさん別の星があって、南十字星は全然目立っていない。何だ、こんなものか。

 そんなこんなで、4時くらいから始まった送別会も、7時半くらいにお開きになりました。終了前に、ロンが代表して、僕が競馬メルボルン・カップで大勝ちしたことなど、僕との一年間の思い出を面白おかしく話してくれました。そして、皆からプレゼントまでもらっちゃいました。プレゼントの中味は、コアラのぬいぐるみが二つ(これは僕の娘達にだって)、オーストラリアの独特の英語表現を解説してあるカード、カンガルーのキーホルダー、そしてブーメランの置物。正に、オーストラリアがびっしり詰まった贈り物でした。何ていい人たちなんでしょう。皆、ありがとう。



南十字星 + ブーメラン = 西城秀樹 (2002/05/19)


 昨日の「ブリスベン通信」を読み返していたら、西城秀樹を思い出してしまいました。確か西城秀樹には、「南十字星」という歌と、「ブーメラン・ストリート」という歌がありましたよね。ちょっと古すぎますが。

 題名は覚えているのですが、「南十字星」という歌がどんな歌だったか、全然思い出せません。誰か知っている人がいたら、また是非教えて下さい。南十字星に関する歌は、稲垣潤一の「サザン・クロス」っていうのもあります。これも覚えていません。それから堀内孝雄には、「南回帰線」という歌があります。これもやっぱり忘れています。その他にも、南十字星や南半球に関係する歌を知っている人がいたら、ゲスト・ブックに書き込みをお願いします。そのうち、日本の歌謡史における「南半球ソング」のリストでも作成しようかと思っていますので。

 西城秀樹の「南十字星」は思い出せませんが、「ブーメラン・ストリート」の方はこんな歌でした。

♪ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、きっと〜彼女は戻ってくるだろう♪

 オーストラリアのアボリジニが猟に使う「へ」の字型の木の切れ端「ブーメラン」については、皆さんご存知だと思います。ブーメランは投げたら戻ってくるものですが、だからといって、この歌詞は今考えると凄いものがありますね。ちなみに作詞は、阿久悠さんです。

 それにしても、「南十字星」といい、「ブーメラン・ストリート」といい、西城秀樹はオーストラリアによっぽど縁があるようです。もしかしたら、あの「ヒデキ、カンゲキ!」の「ハウス・ゴールデンカレー」のCMも、オーストラリアで撮影したのかもしれません。余談ですが、僕は、西城秀樹よりヒロミ・ゴーの歌の方が得意です。



(祝)東ティモール独立 (2002/05/20)


 今日2002年5月20日の午前零時をもって、東ティモールが正式に独立しました。僕は1986年に初めてインドネシアを訪れて以来、ずうっと「東ティモール問題」に注目し続けてきたこともあって、ニュースを見ていても感動がこみ上げてきました。週末から今日にかけて、オーストラリアの主要な新聞はどれも、隣国である東ティモールの独立を特集していました。その中の記事により、東ティモールの初代大統領グスマオ氏の奥さんが、オーストラリア人であることも知りました。

 あまり知られていませんが、東ティモールには「飛び地」があります。ティモール島の東半分は、今回独立した東ティモールで、西半分は西ティモールと呼ばれ、インドネシアに属します。そのインドネシア領の西ティモールの中に、「Oe-cusse(オークシ)」と呼ばれる東ティモールの一部があるのです。我がブリスベン市は、このオークシ地方をいろいろな方面で支援すべく、昨年「友好協定」を締結しました。先月初めには、オークシから4人の代表団がブリスベンを訪問し、ブリスベン市の職員と、自治体運営などについての意見交換をしました。僕もできる範囲でお手伝いをさせてもらいました。市長室からは、ワシントンに戻っても、ブリスベンとオークシの関係強化のために、時々アドバイスをしてくれと頼まれています。

 さて、昨夜ディリで行われた独立記念式典ですが、国連はアナン事務総長、オーストラリアはハワード首相と、それぞれトップが参加していました(アメリカはなぜかクリントン前大統領を派遣)。日本の代表として参加していたのは、杉浦外務副大臣です。僕は、これに納得がいきませんでした。これでは、親友だと思っていた人を自分の結婚式に招待したところ、本人は欠席で、その弟が代わりに出席したようなものです。小泉首相は、ゴールデン・ウィークに東ティモールを数時間だけ訪れています。この式典に合わせて、東ティモールを訪れることはできなかったのでしょうか。少なくとも、日本がアジアの友人として、東ティモールの国づくりを積極的に支援していくつもりなら、こんな大事な式典に首相を送るべきではなかったでしょうか。僕は東ティモールに肩入れしているだけに、余計にそう思いました。



スーリー市長との面談 (2002/05/22)


ブリスベン市庁舎  今日の午前中、スーリー市長との面談がありました。来週ブリスベンを発ってワシントンに帰るという報告と、一年間お世話になった御礼を申し上げました。職務多忙の中30分も時間を割いていただき、真面目な話からこの場では紹介できないような危ない話まで、かなり盛り上がりました。

 面談は、朝9時からシティ・ホールの1階、市長のプライベート・ラウンジで行われました。スーリー市長は、ノーネクタイのラフな格好で「ハーイ、トシ」と叫びながら現れました。そして握手をしながら、「君が来てから、もう6ヶ月も経ったのか」と言いました。僕が、「市長、6ヶ月ではなくて1年です」と答えると、「知ってるよ。でも、本当にアッという間で、6ヶ月くらいにしか感じられないよ」ですって。それから、僕のブリスベンでの仕事の話や、世銀の話をしました。「世銀のウォルフェンソン総裁に手紙を書いて、トシを昇進させるように頼んでおくよ」という市長の有難いお言葉をいただきました。これはジョークだろうと思いましたが、後で市長室の担当者に指示していたので、ジョークじゃないようです。ラッキー。

 それから市長が、ブリスベンの記念にと僕に贈り物をくれました。それは、ブリスベンの写真集とブリスベン市のマークのついたペンでした。写真集には、その場でサインと以下の言葉を書いてくれました。

「トシへ、ブリスベンに君を迎えられたことは、大変すばらしいことでした。多くのアイデアと改革への熱意を世銀に持ち帰ってください。 2002年5月22日 ブリスベン市長 ジム・スーリー」

 「改革」という言葉がありますが、これは「大国の言うことばかり聞いていないで、世銀ももっと多様な意見を受け入れるように改革しなければいけない」というスーリー市長の持論を反映しています。僕が、「このサイン入りの写真集は、将来市長がオーストラリアの首相になった時に皆に見せびらかします」と言うと、市長は爆笑しながら「そういうことは起こらないと思うよ」と答えました。

 最後に写真撮影をお願いすると、「じゃあ、市長らしく見えるように、ネクタイをしよう」と言って、隣の市長室に戻って黄色いネクタイを取ってきました。そして、市長と並んで写真を撮ってもらいました。

 今日の面談で僕が一番嬉しかったのは、サイン入り写真集をもらったことでも、市長と一緒に写真を撮ったことでもありません。それは、「来年4月にブリスベンで開催されるアジア太平洋都市サミットに、スピーカーの一人として参加してくれ」と市長から直接要請されたことです。どうやら、来年またこの美しいブリスベンに来れそうです。スーリー市長、本当にありがとうございました。来年4月に再びお会いできるのを、楽しみにしています。



カモノハシのネクタイ (2002/05/23)


 ここ数週間はとても忙しいです。ブリスベンを発つ前に仕事を終わらせなければいけないし、引越し業者の手配や、運送荷物の保険や通関に関する書類の準備、電話やCATVなどの解約手続き、その合い間に市長や局長への最後のブリーフィング、そして、日本から頼まれていた原稿の執筆などなど。ブリスベンに来てから割とのんびりしていたのですが、最後になってバタバタしています。さらに、今週は2つプレゼンテーションをしなければならなかったので、その準備に追われていました。

 その今週2つめのプレゼンが、今日でした。全豪水学会のコンファレンスで、「環境への負荷などの間接的コストを、いかに水道料金に反映するか」というような発表をしてきました。水道の間接的コストと、単身赴任の間接的コストを比較させてユーモラスに話したあたりは、大いに受けまくりました。ちょっと新しい話題だったので、質問もビシバシ来て面白かったですよ。まずは、今週の分は終わりましたが、来週の水曜日、最後にもうひとつプレゼンをしなければなりません。そっちの準備はまだ全然です。

 実は、今日のプレゼンテーションの後、全豪水学会から「カモノハシのネクタイ」をプレゼントされました。そのネクタイはブルー系で、川をたくさんのカモノハシが泳いでいる図柄になっています。残念ながら、本物のカモノハシは見たことがありませんが、僕はカモノハシの大ファンなので、とても嬉しかったです。こんなネクタイ、オーストラリアにしかないでしょうね。もったいないから、あんまり着用せずに、大事にとっておこうと思っています。



ケアンズにて (2002/05/24)


 職場の同僚達に「オーストラリアを発つ前に絶対行った方がいい」と言われて、ケアンズにやってきました。今週末はオーストラリアでの最後の週末になりますが、ケアンズで過ごします。ケアンズはもう冬だそうですが、熱帯だけあってやっぱり暑いです。気温はブリスベンより5℃くらい高いと思います。今日の最高気温も30℃近くありました。夏は暑くて湿度が高すぎるので、ケアンズを訪れるのは冬がベストだそうです。日本人の観光客も、とても多いです。

 今日はツアーに参加して、クランダという熱帯雨林の山の上にある小さな村と、ケアンズ北部のポート・ダグラスという古い港町に行ってきました。いずれも、ブリスベン市庁の同僚に勧められたところです。クランダには、上りは「スカイレール」と呼ばれる熱帯雨林の上を通るロープウェイで行き、下りは熱帯雨林の山中を走る列車で帰って来ました。「スカイレール」の方が断然良かったですね。眼下に一面に広がる熱帯雨林は、壮観でした。蝉や鳥の鳴き声が響き、珍しい蝶が舞っていました。途中で熱帯雨林の散策もできます。ケアンズの熱帯雨林は、背の低いシダ類と、背の高いつる植物が多かったです。

 ポート・ダグラスの方は、現在は高級リゾート地になっているようです。この地はクリントン前アメリカ大統領のお気に入りで、彼はほぼ毎年のようにリゾートに来ていると聞きました。クリントンさんは、去年のあの9月11日も、ポート・ダグラスに泊まっていたんだそうです。



グレート・バリア・リーフでエコ・ツーリズムを考える。 (2002/05/26)


グレート・バリア・リーフ  昨日はケアンズからツアー・クルーズに参加し、グレート・バリア・リーフまで行ってきました。グレート・バリア・リーフは、豪州クイーンズランド州北部の近海に帯状に広がるとても美しい珊瑚礁です。様々な種類の魚や亀、海老など水中生物の宝庫で、ユネスコの世界遺産に指定されています。3階建ての船に数百人が乗り込み(半分くらいが日本人)、フィッツロイ島という美しい熱帯雨林の島を経由して、約2時間くらいでムーア・リーフというところに到着しました。ムーア・リーフは、グレート・バリア・リーフを構成している珊瑚礁の一部です。そこには、ポントゥーンと呼ばれる船着き場がありました。このポントゥーンは、ダイビングやシュノーケリングなどのための設備も整っていて、さしずめ多目的海上基地といった感じでした。僕は、まずこのポントゥーンから潜水艦に乗り込み、海中の珊瑚と魚たちを観察しました。次に、船底がガラス張りになっているボートで、再度グレート・バリア・リーフを堪能しました。あの美しさはとても言葉では表現できません。いろんな種類の珊瑚や魚たちを間近に見られて、とても感動しました。海亀にも2度遭遇しました。

 このツアーに参加して僕が気になったのは、あのポントゥーンの存在です。珊瑚礁の海に浮かんだ観光のための人工構造物。こんなの設置されて珊瑚は迷惑だろうなあ。かなり気になったので、ツアー・ガイドに質問してみました。彼によると、このようなポントゥーンは各ツアー会社が所有しており、グレート・バリア・リーフの中にいくつかあるんだそうです。各ツアー会社は、このポントゥーンの設置をクイーンズランド州政府から許可され、これを設置する換わりに毎年約50万オーストラリア・ドルを州政府に納めているといいます。そうして各ツアー会社から集めたお金を、州政府がグレート・バリア・リーフの保護のために使っているというわけです。ツアー会社が州政府に払うお金の元手は、当然僕のような観光客が払っているツアー参加費でしょう。ということは、自分はこのツアーに参加することにより、グレート・バリア・リーフの保護に貢献しているのか。あるいは、自分のような観光客がいるせいで、ポントゥーンみたいな人工構造物が珊瑚礁の真ん中に必要であり、それは珊瑚の破壊をもたらしているのではないか。グレート・バリア・リーフを後にしてケアンズまで辿り着く間、「果たして自分の観光という行為は、珊瑚の保護と破壊のどちらに繋がるのか」と、ずうっとそのことを考えていました。そして思いついたのが、「こういうツアーは、もっと教育的要素が必要だなあ」ということでした。グレート・バリア・リーフのツアーなら、「あの素晴らしい珊瑚礁を保護するためには、一人一人がどうすればいいのか」、というようなことを伝える教育的プログラムがツアーに組み込まれているべきです。僕が参加したツアーに限って言えば、そういう教育的要素は全くありませんでした。

グレート・バリア・リーフを泳ぐ魚たち  「持ち去るのは思い出だけ、残すのは足跡だけ」とは、観光地を訪れる際の心構えとしてよく使われる言葉です。これは、観光地から草花などを採って帰ったり、ゴミやまして落書きなどを残して行ってはいけないという意味です。グレート・バリア・リーフでは、当然珊瑚や貝殻を持ち帰ってはいけないばかりではなく、珊瑚礁に触ったり珊瑚礁の上に立ったりすることも禁じられています。そういう意味では、手型も足跡も残して来てはダメなのです。でも、楽しい思い出だけを持ち帰ってもらっても困ります。グレート・バリア・リーフのような大自然を訪れたら、思い出と一緒に、「地球環境を守ろう」という強い決意も持ち帰ってほしいのです。参加者の一人一人にそういう気持ちを喚起させるようなツアーであれば、あのポントゥーンも納得できたのに。ツアー参加後に、環境を守るための小さなアクションを起こす。これこそが、最近よく耳にする「エコ・ツーリズム」の精神ではないでしょうか。



オパールは丸く磨く。 (2002/05/27)


 埼玉県吹上町の元町議会議員・打越紀子さんのHP(http://member.nifty.ne.jp/uchikoshi/index.htm)のコラムに、とてもいい言葉が載っていました。以下にそのまま引用します。

「子ども達は宝石の原石。磨けばどんどん光っていく。しかし磨き方を間違えれば、きれいに光らない。もし、オパールの原石にルビーのカットを施そうとしているのに気づいたら、『その石は丸く磨いたほうがよい』と声を出していかなくては。」(引用ここまで)

 オパールはオーストラリアの宝石です。国の宝石として指定されています。打越さんの言うように、表面を丸く球状に磨いているものが多いですね。形も楕円形のものがほとんどです。中でもブラック・オパールという種類が高級で値も張るようです(黒くないのにブラック・オパールと呼ばれます)。

 ブリスベンにもオパールを売っているお店がたくさんあります。ちょっと高級なオパール店には、必ずといっていい程、日本人の店員さんがいて、日本人観光客を狙っています。そう言えば、ゴールド・コーストにもケアンズにも、日本人が経営していて日本人の店員だけしかいないオパール店がありました。以前、日本から友人達が来た時、ゴールド・コーストでその店に入ってみました。壁には、その店を訪れた日本の有名人の写真がびっしりと貼られていました。日本のスポーツ選手や芸能人は、こういうお店でお土産を買うんですね。僕達はオパールには目もくれず、その有名人の写真だけをたっぷり時間をかけて鑑賞し、そのまま出てきました。変な客だと思われたことでしょう。



ワーキング・ホリデー (2002/05/28)


 ワーキング・ホリデーについて書こう書こうと思っていましたが、最後の最後になってしまいました。ワーキング・ホリデーとは、働きながら一年間外国に滞在できるという素晴らしい制度です。日本は現在、オーストラリアを初め、ニュージーランド、カナダ、韓国、イギリス、フランス、ドイツという7ヶ国とワーキング・ホリデーに関する協定を結んでいます。制度の詳細は国と国との合意で決められていて、年齢制限や割り当て数などは、相手国によって微妙に違うようです。

 オーストラリアは、このワーキング・ホリデーに関しては日本の最も古いパートナーで、1980年より日本の若者を受け入れています。現在も、オーストラリアは日本人にとって一番人気で、年間約9千人の日本人がワーキング・ホリデーでオーストラリアにやって来るそうです。30歳までという年齢制限がなければ、僕もワーキング・ホリデーしたいところです。というか、30歳までにそういう体験をしたかったですね。

 という訳で、ブリスベンにもとてもたくさんの日本人の若者がこのワーキング・ホリデーで滞在しています。ブリスベンの和食屋さんのウェイトレスやウェイターさん達は、ほぼ間違いなくこのワーキング・ホリデーで来ている日本人です。彼らはこのワーキング・ホリデーを縮めて「ワーホリ」と呼びます。ワーホリは就労が主目的ではないので、同じ雇用主の下では3ヶ月以上働いてはいけないという規則があるそうです。

 若者が旅に出て、いろんな地を訪れ、新しい文化や様々な人に出会う。孤独の中で自分を見つめ、将来を考える。そんな機会を提供してくれる本当にいい制度だと思います。まあ、その一年間をどう過ごし、何を掴んで帰るかは、自分次第なんでしょうが。



愛しのアイツと初対面 (2002/05/29)


 いよいよ明日の朝ブリスベンを発ちます。引越しは昨日済ませました。昨日の引越しは、お昼前に来る予定だった運送屋さんが、なぜか朝9時半にやって来て梱包が始まりました。大小7つの箱に、総重量140キロの荷物を詰め込んで、バタバタと去っていきました。引越しはお昼前に完了し、夕方の送別会まで少し時間ができたので、kinuさんの書き込みを思い出し、急遽「ブリスベン・フォレスト・パーク」へ向かうべくタクシーに飛び乗りました。オーストラリアに来て、まだ見ていなかったカモノハシを見るためです。これが最後のチャンスだと思うと、タクシーの中でも胸が高鳴りました。

カモノハシ  「ブリスベン・フォレスト・パーク」の中には、鳥や魚など様々なオーストラリアの生き物がいるミニ動物園みたいなのがありました。その中の薄暗い特別の小部屋に、「Platypus(カモノハシの英語名)」と書かれた水槽がありました。その水槽には、小さな魚が泳いでいるだけで、カモノハシはいませんでした。水槽と言っても、なるべく自然の川に近づけるように、水辺の周りには木や岩や様々なものがあり、カモノハシはその岩陰にでも隠れているのかなと思っていました。しばらくその水槽の前に佇んでいましたが、全然カモノハシが現れる気配がないので、チケット売り場まで戻って係員に聞いてみました。「カモノハシは本当にいるの?何も見えないよ」と僕が言うと、「あの水槽の奥には、カモノハシのストレスを減らすためにかなり広い自然が広がっているので、カモノハシは時々しか水槽の方に出て来ない」と教えられました。要するに、運が良くなければカモノハシを見られないということらしいのです。

 「せっかくカモノハシだけを見に来たのに、それはないぜ」と思いましたが、仕方がないので、その水槽の前でカモノハシが現れるのを待つことにしました。ただただ水の中に泳ぐ小魚を眺めて、じっと待っていました。僕のように待つ人のためか、幸い水槽の前には小さな腰掛が設置されてあり、そこに座っていました。平日の昼間ということもあって、客は自分だけ。薄暗い中で、カモノハシが現れるのを願って、孤独との戦いでした。「もう諦めて帰ろうか」と何度も思いましたが、その度に思いとどまり、待ち続けました。

 50分くらい経って、もう本当に帰ろうと思った瞬間に、水槽左側の岩陰に何かが動いているのを発見しました。待った甲斐がありました。カモノハシです。感動の初対面です。あんなに感動したのは、いつ以来でしょうか。グレート・バリア・リーフより桁違いに感動しました。カモノハシはすぐに水に潜って、えさを探してすばしっこく泳ぎまくりました。そのすばしっこいカモノハシを僕はずうっと眼で追いかけていました。ネーミングの通り、カモのようなくちばしを持ち、頭と背中は毛皮におおわれ、お腹は蛙かフグのようでした。足は魚のひれのようで、尻尾も平べったくて変わっていました。やっぱり本当に不思議な生物です。生きた化石とも呼ばれ、卵を産む珍しい哺乳類です。僕が見ていたカモノハシ君は、最後に小さな蟹をくわえて水から上がり、再び木陰に消えていきました。カモノハシが水槽の中で姿を見せていたのは、ほんの4〜5分でしょうか。その間、僕の眼はカモノハシに釘付けでした。kinuさん、本当にありがとうございました。お陰様で、オーストラリアを発つ直前に、念願だったカモノハシをこの眼で見ることができました。そして、カモノハシ君も、出てきてくれて本当にありがとう。



「ブリスベン通信」最終回 (2002/05/30)


ブリスベン川  一年間住み慣れたブリスベン川沿いのアパートを引き払い、昨夜は7時過ぎにヒルトン・ホテルにチェックインしました。今は空港に向かう直前に、ヒルトンの部屋でこれを書いています。思えば去年の5月30日、初めてブリスベンにやって来て、やはりこのホテルにチェックインしました。あれから丁度一年です。この一年間、ブリスベン市庁の皆さんには大変お世話になりました。仕事以外で出会ったブリスベンの人々、このHPを通じて知り合った人々、皆さん本当にありがとうございました。でも一番感謝しているのはやっぱり妻に対してです。僕のブリスベンでの一年間は、彼女の犠牲の上に成り立っていたようなものです。本当にありがとう。娘達にも寂しい思いをさせたと思います。もうすぐ帰るからね。

 という訳で、今回が「ブリスベン通信」の最終回です。数えてみたら、去年7月1日の第1回以来、今回で247回目でした。更新率は実に7割4分です。イチローの打率を遥かに越え、マリナーズの勝率より高いでしょう。これも、読んでくれた皆さんのお陰です。ありがとう。

 さてこのHP、ワシントンに戻ってからどうするかは全くの未定です。「ワシントン通信」として再出発するとしても、今までのように頻繁には更新できないと思います。世銀に戻れば仕事もブリスベンよりはプレッシャーが多いですし、それ以上に、コンピューターの前に座る時間よりも、家族との時間を大切にしたいと思っています。まあ、新庄の打率くらいの更新率を目指すとしましょうか。

 いよいよ出発の時間が近づいて来ました。ブリスベンは本当にいい街ですね。またいつか絶対に戻ってきます。とりあえず、来年4月中旬に「アジア太平洋都市サミット」に参加するために戻って来る予定です。その時まで、さようならブリスベン。さようなら。

「さよならブリスベン」 by Keicho

瞳に街(きみ)を焼き付けた、尽きせぬ想い
明日になればもうここには、僕はいない
巡る全てのもの、急ぎ足で変わっていくけれど
さよならブリスベン
いつまでも忘れないよ
雨に濡れながら、僕は大人になっていくよ♪



Local & Global〜地方公務員から転身した国際公務員のサイト
( http://www.keicho.com )