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ガルーダの翼にのせて

第1章 インドネシアに魅せられて




「観光は、異なった国の人々の相互理解を深め、平和な世界を築くために欠かせないものとなりつつある。また、人々に世界についての知識を与え、ひいては他国の生活様式や考え方の相違に対する寛容の心を養う最も確かな道である。」(国連事務総長 ハビエル・ペレス・デクエヤル)


1.インドネシアに魅せられて

 ジャカルタ経由バリ島デンパサール行き、成田発ガルーダ・インドネシア航空873便は、バリ島でのトロピカル・リゾートを目論む学生、OL、ハネムーナーといった日本人旅行者で、いつもごった返している。成田を昼前に離陸するこの便が、赤道を通過しジャカルタに着くのは、熱帯の太陽も威力を弱め始める夕刻である。私は学生時代に当地を訪れて以来数度この便を利用しているが、ジャカルタ・スカルノハッタ国際空港で降りる日本人は、いつもほとんど私一人であり、この瞬間に少なからず優越感を覚える。というのは、以前バリ島デンパサール空港で遭遇した大勢の日本人の若者の、所構わぬ騒動ぶりに閉口し、彼らとは一線を画したいからである。自分も同じ日本人旅行者であることに対する引け目と、経済大国日本に生まれたからこそ自由に海外旅行ができることへの矛盾を感じながらも、同胞への嫌悪感と団体パッケージ・ツアーへの不快感を禁じえなかったのである。

 さて、大学院時代(1986年、夏)に、JICA(国際協力事業団)の都市環境調査プロジェクトに参加するためにジャカルタで約一ヶ月を過ごすことになった私は、初めての海外ということもあって、はっきり言って不安であった。治安、衛生状態、反日感情、酷暑、言葉、飛行機事故、そして帰国後すぐの前期試験等々。肝炎とコレラの予防接種(痛くて非常に高い!)とラッパのマークの正露丸でその不安を紛らし、腹を据えて現地へ飛んだ。日が経つにつれ、私の不安は赤道直下の太陽にさらされて一滴も残らずに蒸発し、元来夏が大好きであった私は、インドネシア人の素朴さと暖かさ、それに一緒にプロジェクトに参加したインドネシア大学の学生達の明るさ、無邪気さもあって、ヤシ油とガラム(香料入り煙草)の匂いに満ちたこの国に急激にひかれていった。そしてその後は、たとえ熱帯特有の強烈なスコールに見舞われても、不安の滴は二度と顔をのぞかせることはなく、鰻登りの温度計のように私の気分は上昇し続けた。

 私が外国人だから好奇の目を向けられたのかもしれないが、街を歩いていると行き交う人々はたいてい微笑み、話し掛けてくる。私が日本人だと分かると、「アジノモト」、「オシン」、「ココロノトモ」と知っている日本語を浴びせてくる。ちなみに「ココロノトモ」とは、広く東南アジアで知られているらしい五輪真弓の「心の友」という歌で、テレビ・ドラマ「おしん」とともに、この歌を知らないインドネシア人はほとんどいないくらいであった。私も現地で初めて聞いたのであるが、なかなかの名曲で不覚にも気に入ってしまった。それと、私の顔が現地のリチ・リカルドーという俳優に似ているらしく、その事を何度となく言われ、私の祖先はオラン・ウータンかジャワ原人であることを確信させられた。

 ジャカルタでの予定の一ヶ月は瞬時のように過ぎ、その頃はもう自分の名前はリチ・リカルドーだと思い込んでいた私は、前期試験をすっぽかし、滞在の延長を決めることに少しの躊躇も必要としなかった。できればこのまま日本なんかに帰りたくないと心から思ったし、今でもあの時帰ってこなければよかったと本気で思っている。以来、インドネシアの魅力にとりつかれ、首都ジャカルタを拠点とし、数々の王朝が栄えたジョグジャカルタ、世界最大の仏教遺跡ボロブドール、神々の島バリ、学生の街バンドン、大熱帯植物園で有名なボゴール、マリン・リゾートのプロウスリブと、訪れるたびに私を中毒にさせるインドネシアの魅力の一端をこれから紹介させていただく。(第1章終わり)

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