フロントページガルーダの翼>甦ったボロブドール
ガルーダの翼にのせて

第4章 甦ったボロブドール




4.甦ったボロブドール

 ジャカルタから飛行機で約1時間、世界最大の仏教遺跡ボロブドール寺院はジャワ島のほぼ中央に位置する。ジョグジャの街から車を飛ばすと、突如前方に視界を遮る黒ずんだ「山」が現れるが、これが120メートル四方、高さ42メートルという巨大な「石の山」、ボロブドールである。ボロブドールの魅力は、そのスケールや最上段からの雄大な眺めもさることながら、仏陀の一生が緻密に浮き彫りされている壁画や、何層にも積み上げられた切石の上に置かれた等身大の仏座像、多くのストゥーパ(鐘形の仏像安置塔)などにより生み出される幾何学的な美しさである。9世紀に建立されたと言われるこの遺跡が、19世紀に発見されるまで土中に埋もれ続けていたとは、この上もない神秘を感ぜずにはいられない。千年の眠りから甦ったボロブドールは、かつての仏教社会からイスラム社会へのこの国の変遷を、どのように思ったことだろう。

 インドネシアは全人口の9割がイスラム教徒という、世界最大のイスラム社会である。とは言っても信仰の自由は憲法で保障されており、残りの1割は多い順に、キリスト教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、その他となっている。特筆すべきはこの国には宗教省という役所があり、国民は自分の宗教を登録しなければならないことである。初めてインドネシアを訪れた時、私は何度も現地の学生達に「宗教は何か。神道か」(神道が果たして宗教なのかという議論はあるだろうが、彼らは日本人の宗教は神道だと思っている)と尋ねられ、そのたびに回答に苦しみながらも「宗教はない」と答えた。確かに私の家には神棚なるものがあることはあるが、個人的には信仰心のかけらもないからである。私のような非宗教性は、日本人には典型であろうが、インドネシアではそうは問屋が卸さない。この国では無宗教は犬猫同然、あるいは共産主義ととられ、時に非合法とされる危険性をはらんでいるのである。だから私の「宗教はない」という答えを聞くと、彼らはしばしば不思議そうな顔をし、敬虔な仏教徒のラムリは、「たとえメジャーな宗教を信仰していなくても、君自身の宗教はあるはずだ。それはトシイズム(私は彼らにトシと呼ばれている)とでも名付ければいい」と言ってくれた。なるほど、全て人は自分の中に自分だけの神様を持っているようだ。

 インドネシアのイスラム教はアラブ諸国ほど狂信的ではないものの、社会生活と確実に結びついている。宗教というものをほとんど意識したことがなかった私には、正に異文化そのものであった。異文化社会においては、その異文化を理解し尊重することが何よりも重要であると分かっているつもりではいたが、毎朝4時頃モスクから流れてくるけたたましいコーランに、無理やり叩き起こされることだけには本当に参ってしまった。暑いから眠れないだけだと、うがった分析をしていた日本人もいたが、総じて早起きなインドネシア人には感心させられた。年中暑いインドネシアでは、寝る時に掛け布団を掛ける習慣がなく、その代わり腹が冷えないようにロングピロウ(抱き枕)を抱いて寝る。これは実に寝心地がよく、日本でも販売すれば売れること間違いなしである。ともあれ我々異教徒は、安眠のため回教国へは耳栓を持参した方が良さそうである。

 また、イスラム社会は豚肉やアルコールを口にしないことや、断食月(ラマダーン)があること、4人まで妻を持てること等は知っていたが、左手を使ってはいけないことは知らなかった。他人に物を渡す時に、私が何気なく左手を使って注意されたことが何度もあった。イスラムでは左手は不浄の手であるらしい。

 それから、イスラム教徒は日に5度のお祈りをしなければならず、一緒に働いていても、時々「ちょっと祈ってくる」と言って突然いなくなることには驚かされた。過労死が問題になる程、仕事や組織を全てに優先させる歪んだ労働実態の日本社会ではとても考えられない。彼らにとって、アッラーの神はどんなボスよりも偉大であり、お祈りは仕事なんかよりもはるかに重要なものなのである。西洋的価値観で生産性や効率の低下を云々する前に、彼らのイスラム的思考体系と、それに基づく行動を尊重することが大事である。私は何度も彼らの祈りの場面を目の当たりにしたが、近寄り難いまでの厳粛さに思わず息をひそめてしまった。

 仏教が栄えたボロブドールの時代からイスラム主流の現代に至るまで、インドネシア社会は宗教と共にあったと言っても過言ではない。インドネシア人にとって最高の価値は「神」であり、それはアッラーであったり、キリストであったり、釈迦であったり、バロンであったりする。一部では紛争の火種にもなる宗教ではあるが、この国の人々を見ていると、それは人間が創造した最高の慰みではないだろうかと思えてくる。ただし、宗教が異なるために結婚できない多くの恋人たちにとっては別であるが・・・。(第4章終わり)

前章へ> <次章へ


Local & Global〜地方公務員から転身した国際公務員のサイト
( http://www.keicho.com )