フロントページガルーダの翼>ラフレシアを求めて
ガルーダの翼にのせて

第5章 ラフレシアを求めて




5.ラフレシアを求めて

 1990年4月から9月にかけて開催された「国際花と緑の博覧会(花の万博)」では、世界各国からいろいろな種類の植物が大阪の鶴見緑地に会せられ、我々の目を楽しませてくれた。その中でも最も注目を集めたもののひとつは、日本政府苑に展示されていた世界最大の花「ラフレシア」であったろう。19世紀の初めに、時のシンガポール総督ラッフルズによって発見されたこのラフレシアは、インドネシアのスマトラ島とその周辺の島々のジャングルにしか分布していないばかりか、開花後数日で腐って溶けてしまうために、「幻の花」とも呼ばれている。ブドウ科のつる植物に寄生するラフレシアは、根も葉も茎もなく、この花についての詳しいことは、現在でもあまり分かっていないという。私も花の万博会場で実際に見たのであるが、防腐加工を施され半球型の容器に閉じ込められた「植物界最大の驚異」ラフレシアは、直径が約1メートル、赤茶けた何ともグロテスクな花であった。花というよりは、巨大なキノコといった感じがした。

 さて、この世界最大の花ラフレシアが、実はもうひとつ花の万博にお目見えするはずだったということを知る人は少ない。1989年9月、建設省都市局公園緑地課に派遣され実務研修生として働いていた私は、夏期休暇を久しぶりのインドネシアでリゾートしようと企んでいた。しかし、ドリンク剤やオムロン、ネムトールを装備し、文字通り24時間態勢の戦場と化した霞ヶ関の不夜城・建設省では、夏期休暇という言葉自体がそもそもタブーであった。にもかかわらず、絶え間なく降ってくる仕事の空襲から逃れるためには国外脱出しかないと決め込んだ私は、航空券を買ってしまえばこっちのものと、強引にガルーダを手配してしまった。「研修生が一週間も休みをとって、しかも海外へ行くなんて前代未聞だ」というありがたいお言葉(前代未聞とは、私にとって褒め言葉以外の何物でもない)を頂き、建設省公園緑地課内の花の万博推進室が「花博」の準備にあたっていたこともあって、「ラフレシアをもうひと花持って帰ります」という大見得を切って出発したのであった。

 インドネシアに着いて早速、友人達に「ラフレシアはどこにあるんだ」と聞きまくり、どうやらボゴールの植物園にあるらしいということを突き止めた。ボゴールは、ジャカルタから南へ高速バスで約1時間のところにある街で、面積110ヘクタールを誇るその「大熱帯植物園」は世界的に有名である。日本の植物園のイメージでここを訪れた私は、植物園の門をくぐった途端に面食らってしまった。そこは、植物園というよりも広大なジャングルそのものであった。日本のように、きれいな花々が咲き乱れているというちゃちな植物園ではなく、不気味にさえ思える鬱蒼とした熱帯雨林の巨木に包まれていた。「ラフレシアはどこに咲いているか」とレンジャーに尋ねると、「以前はこの植物園にも確かにラフレシアはあったが、今はもうなくなってしまった」と、かつてラフレシアが咲いていたというあたりを案内してくれた。「それではどこに行けばラフレシアが見られるのか」と聞くと、「バンカ島へ行きなさい」と言われた。かつて地理の時間に、ビリトン島と共に世界的な錫の産地だと習った、あのバンカ島である。スマトラ島の東に浮かぶバンカ島へは、さすがに行くわけにいかず、ついにラフレシアを断念せざるを得なかった。そのショックと数時間歩き回ったことで、一気に疲労感に襲われ、残りの部分は馬車に揺られてのジャングル探検となった。余談ではあるが、このボゴール植物園には、そのスケールに似合わず、「ここを一緒に訪れたカップルはやがて別れる」という実に井の頭公園的で陳腐な迷信があるということなので、ハネムーナーは注意されたい。

 という訳で、私の努力の甲斐もなく「花博」ではたった一輪のラフレシアが展示されたに過ぎないが、「花博」が終わった今も、「人と自然の共生」を謳ったその理念だけは終わらせることなく継承していかねばならない。ラフレシアが自生できるような熱帯雨林を保護する必要性を強く感じながら、いつかバンカ島へ行ってやろうと思っている今日この頃である。(第5章終わり)

前章へ> <次章へ


Local & Global〜地方公務員から転身した国際公務員のサイト
( http://www.keicho.com )