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第8章 共にアジアの時代へ




8.共にアジアの時代へ

 「日本人ならあなたにも責任がある。」

 国立インドネシア大学で国際関係論を学ぶジャワ出身の女子大生タティのこの言葉を聞いて、私はしばらく動けなかった。無数のショーケースの中の人形や風景がこの国の歴史を展開しているインドネシア歴史博物館で、第二次大戦中の日本軍占領下の状況を伝える場面にさしかかった時の彼女の言葉であった。それまで恥ずかしながら歴史というものにあまり興味を持っていなかった私にとって、それは当時のアジア諸国への日本軍の侵攻という紛れもない事実を改めて思い知らされ、同時に歴史認識の重要性を悟ったいい機会であった。歴史と現代と未来は、疑いもなく連続した時空であるゆえ、歴史を認識しそれに照合することは、現代におけるあらゆる問題を考察する上で、あるいは未来を予測する上で、非常に有効な手段になり得る。そういう意味では歴史は最高の教科書であるし、無知と偏見からは何も生まれない。

 日本は、その後独立したインドネシアに多額の経済支援を続けている。今では日本の二国間ODAの最大供与国はインドネシアである。日本もまた、石油を中心にインドネシア全輸出量の約半分を買っており、その豊富な天然資源に大きく依存している。また、ジャカルタを筆頭に、街には車や電気製品から日用品に至るまでメイド・イン・ジャパンが氾濫しており、少なくとも経済面だけを見ると、戦後のインドネシアと日本は密接な関係にあると言える。しかし、表面的な外交上の関係はどうであれ、悲しいことにインドネシアの庶民は日本人に対してあまり良い印象を持っていないというのが、多くのインドネシア人と話をした結果の私の実感である。「強い円を武器に、したい放題をしている」と現地の友人は話す。安い土地や労働力、甘い環境基準等を求める日本企業の進出ラッシュは、「軍服を背広に着替えて日本軍が再来した」と言われるほどである。過去の日本の国家コンセプトであった「富国強兵(柴田恭兵ではない)」は、今や「富国強幣」とたった一文字が変わったにすぎず、彼らインドネシア人に与えている脅威にはちっとも変わりがないのではないかと考えるのは、少し悲観的すぎようか。少なくとも日本の経済援助が、インドネシア人の一般庶民やとりわけ最貧層に行き届いていないのは、残念ながら事実のようである。

 インドネシアは日本軍の占領下に入る前に、数百年にわたってオランダの植民地であった。しかし、オランダの支配には誇りを持って懐かしみ、オランダ語を使う老人達もいる反面、日本軍の侵攻に対しては、思い出したくない悪夢という印象が強いという。この違いはどこから来るのだろうか。当時の日本軍が、相当残酷なことをしたと思わざるを得ない。また現在でも、インドネシアでは欧米人は尊敬されるが、日本人は尊敬されないというのを聞いたことがある。欧米人は仕事を離れても、インドネシア人に無償で教育を施したり、文化を教えてくれたりするそうであるが、日本人は単に打算的で、仕事以外は全く閉鎖的で現地に溶け込もうともしないという。現地の人たちの最大の不満は、インドネシアに進出している日本の企業に就職しても、日本人ではないという理由だけで給料も安く、いくら優秀な人材でも高いポストに就けないことだという。これでは、現地の人たちに顰蹙を買うだけである。こんなことをしているから、未だに日本は何をしでかすか分からないと、アジア諸国に根強く残る日本軍国主義復活への不安感を拭い去ることができない。莫大な円借款のために日本に遠慮をしている彼らの気持ちが分からないようでは、真の友人となるべきアジアとの精神的な距離を縮めることなどできない。

 前述のインドネシア歴史博物館は、ジャカルタのど真ん中、ムルデカ広場中央に位置する独立記念塔モナスの地下にある。100メートルを優に越える高さを持つこのモナスは、若い独立国家インドネシアの威信を示すように、てっぺんに炎をかざし天を突き刺してそびえ立っている。「インドネシアは独立を果たしたけれど、それは単に政治的に国家としての線引きをしたにすぎない。本当の意味での統一国家への道はまだまだ険しい」とは、今では私の親友となった中国系インドネシア人ジョノの言葉である。彼は多民族国家インドネシアの真の統一(多様性の中の統一)を目指して、国立インドネシア大学で人類学を専攻した。彼は、「古代文明が栄えたようなアジアの時代を取り戻したい。そのために日本がアジアをリードしていってほしい」とも私に話した。瞬く南十字星の下での彼のそんな言葉は、日本でぬくぬくと過ごしていた私に「世界」を感じさせるのに十分であったし、同時に私は彼らと同じアジア人なんだという意識を強く持たせてくれた。完全に脱亜してしまいながら、入欧などできるはずもない日本は、先進国の驕りを捨て、歴史認識を踏まえた上で、そろそろアジアに戻り、アジアに目を向け、アジアと共に歩まなければいけないのではないだろうか。西洋のパラダイムから東洋のパラダイムへ、アジアの時代21世紀はもうそこまで来ている。(第8章終わり)

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