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LOCAL PERSPECTIVE

「市民参加から市民主導へ」
〜最近の成人式に学ぶ〜




 インターネットで主な日本の新聞に一通り目を通すようになって久しい。最近はこんな記事を見つけた。福岡県の直方市で、新成人800人を市民会館一箇所に集めて成人式を開催するのではなく、4つの中学校を使って分散開催するというものだ。その理由はなんと私語防止。行政側と新成人の両方に対してあきれてしまった。

 成人式に関しては、以前も割と大きく報道されたことがある。1999年の仙台市と逗子市のケースである。この2市や今回の直方市の例は、成人式という行政主催の「イベント」に対する、新成人という「市民」の関わり方、という見方をすると非常に興味深い。報道をひもとくと、仙台では1999年の成人式に講師として吉村作治・早大教授を招いた。吉村氏は「知的探求」をテーマに講演を行ったところ、新成人の多くが講演を聞かず、携帯電話で友人と話したり、会場の外ではしゃいだりしていた。仙台市の藤井市長は、後に吉村氏に詫び状を出したという。一方逗子では、長島市長が成人式で配られた記念品に72万円の税金がかかっていると話し、来年も同じ記念品にするか、ジャンケンで勝った人に海外旅行をブレゼントするかを新成人に挙手を求めて決めさせた。

 吉村氏の仙台での講演内容を知る由もないが、新成人達が講師に対して礼を失していたのは事実であり、彼らを弁護する気は毛頭ない。しかし、成人式になぜ講演なのか、なぜ吉村氏なのか、なぜ知的探求なのかという疑問は残る。行政側が式のターゲットである新成人の意見も聞かずに勝手に選択したのであれば、それがいかに高尚な意図に基づいていたとしても、成人式にかかる税金を無駄にした行政側の責任は大きい。行政主導の施策に無理やり市民参加を期待しているようなもので、トップダウン型行政の典型である。

 それに引換え長島市長の提案は、税金の使い道の選択肢(全員がもらえるあまり魅力のない記念品か、少数の幸運者だけへの海外旅行か)を提示し、新成人という「市民」が直接どちらかを選ぶという、市民参加度の一歩進んだ型である。この手法は、市民が直接選択肢を特定できない高度に技術的な政策案件に特に有効である。しかし、成人式のようなターゲットがはっきりしているイベントや施策では、新成人の代表者が式の内容を直接企画、運営するなど主導して、行政側は予算面での補助や会場の手配などの後押しに徹するのが望ましい。新成人自らが式の企画に興味がなければ、わざわざ税金を使って成人式を開く正当性はないのである。自分達で選んだ講師であれば、耳を傾ける真剣さも増すというものだ。

 成人式の例を挙げたが、これは何も成人式や国際交流などのいわゆるイベントだけに限らず、街づくりや住民サービスにも同様にあてはまることである。都市計画でいえば、理想的なのは、行政が街づくりの案をまず作ってから市民の意見を聞くのではなく、市民が主導して案を作り、専門的知識が必要とあれば、行政側が全市的な立場からアドバイスを加えるといったボトムアップ型である。地方政府と市民との関係が、行政主導から市民参加へ、そしてもう一歩進んで受け身の市民参加からより積極的な市民主導へと変わっていくことが、地方分権の時代には求められている。

 手元の古い新聞によると、藤井仙台市長は当時の成人式の後で「来年からは市主催ではなく、新成人が自主的に開くなどはどうか。」と成人式の見直しを明言したという。この提案を市長の名誉のために書き添えるとともに、正しい方向への見直しであると歓迎したい。さて、21世紀は各地でどんな成人式が行われるのであろうか。

2000年12月 慶長寿彰



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