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WASHINGTON 通信(June 2003)



成田空港とSARSとマスク (2003/06/11)


 コロンボからバンコックと成田を経由してワシントンに戻りました。やはり、新型肺炎SARSの影響で海外旅行を控える人が多いためか、コロンボ、バンコック、成田の各空港とも、いつもより混雑度が低かったように思います。

 さて、この三つの空港で旅行客や空港職員を観察していて、面白いことに気づきました。僕が注目していたのは、マスクです。ニュースでは、SARS対策として機内や空港でマスクをしている人の姿が多く映りますが、実際はどうなのかと思ったのです。まずコロンボの空港では、マスクをしている人は一人も見かけませんでした。次にSARSで死者も出ているタイですが、バンコックの空港ではマスクをしている人をちらほら見かけました。とは言っても、あまり多くなかったですね。せいぜい、百人に一人くらいの割合です。バンコックの空港でマスクをしていたのは、日本人風の人が多いような気がしました。確かめた訳ではないので、もしかしたら中国人かもしれませんけど。

 そして、成田空港。ここは、もう飛行機を降りた途端、雰囲気が違いました。マスクだらけ。でもよく見ると、マスクをしているのは一般の旅行客ではなくて、空港職員の方でした。成田の検疫、入国審査、税関で働いていた職員のマスク装着率はほぼ100%でした。一方、旅行者のマスク装着率は、バンコックの空港と同じくらいで、ちらほら見かけただけでした。成田空港の職員があれだけ徹底していたのは、おそらくマスクを着けるようにという指示がどこかから出ているのでしょうね。空港の職員やスチュワーデスさんたちが、SARSの危険に最もさらされているのかもしれません。

 ところで、成田からワシントンまでの全日空の機内で、僕はマスクをしていました。何も、成田空港の職員の徹底さに学ぼうと思ったわけではありません。通路を隔てて隣に座っていたアジア人女性が、やたらに咳をしていたので、万が一に備えようと思ったからです。まあ、マスクの効果がどれくらいあるのかは分かりませんが、「万が一」が「億が一」くらいにはなったかもしれません。



超多忙の一年 (2003/06/13)


 出向先の豪州ブリスベンからワシントンに戻って来たのは、去年の6月初旬でした。スリランカに行っていて気づかぬうちに、あれから一年が経ったんですね。この一年間は、超多忙な日々でした。スリランカに4回、バングラデシュに2回、ブータンに1回出張しました。延べ出張日数は120日に迫ります。一応、世銀には「90日ルール」というのがあって、年間の海外出張が90日を超えたら、出張命令を拒否できることになっています。でも、実際はクライアントもいることだし、自分の勤務評定もあることだし、拒否などほとんどできません。第一、プロジェクトの最高責任者である「タスク・リーダー」となると、自分で出張命令を出しているようなものですから、どうしても行かないわけにはいかないのです。

 一年のうち120日というと、4ヶ月近くも海外出張していたことになります。これはちょっと、多すぎますね。もしかしたら、妻は僕がまだブリスベンで単身赴任していると思っているかもしれません。まあ、それは冗談としても、どうにか仕事量を減らせないものでしょうか。とは言いながら、今後も出張の予定がビシバシ入っています。夏休みが待ち遠しいです。



むつ市の雲丹をワシントンで食べる。 (2003/06/15)


 以前、メイン産とカリフォルニア産の雲丹が日本に輸出されていると書きましたが、日本の雲丹もアメリカに輸入されていることが分かりました。妻が昨日、近くのフィッシュ・マーケットで見つけてきたその生雲丹は、青森県むつ市からの輸入物でした。ラベルを見ると、商品名は「うにごころ」で、むつ市の「二ツ森商店」というところが出荷しているようです。100グラムのパックに入っていて、12ドルです。この「うにごころ」、日本ではいくらなんでしょうか?味は、当然ながら美味しかったです。ワシントンにいて故郷である青森県の雲丹を食べられるなんて、思ってもいませんでした。あのフィッシュ・マーケットへ、またちょくちょく買いに行こうと思います。



6歳から99歳向けのクールなおもちゃ (2003/06/17)


 昨日の日曜日、長女がデイ・スクールの同級生であるインド人のドゥバル君の「お誕生会」に呼ばれていました。そこで、おとといの土曜日に家族でおもちゃ屋さんに行き、ドゥバル君へのプレゼントを探しました。いろいろ迷った挙句に決めたのは、レゴというブロックのおもちゃで、組み立てるとカッコいい飛行機になるヤツです。長女も、「それでいいよ」と納得しました。

 ドゥバル君は今度5歳になったので、これくらいは組み立てられるかな、いやちょっと難しいかもしれないなあと思っていました。そこで、これは何歳向けのおもちゃなのかとパッケージをよく見ると、そこには「6歳から99歳向け」とありました。5歳の子供に6歳向けのおもちゃは、少々チャレンジングで丁度いいと思いましたが、それにしても上限が99歳とは笑えますよねえ。こういうおもちゃに年齢の上限がついているなんて、初めて見ました。100歳のおじいさんには向かないということでしょうか?

 さて、昨日この「ブロックおもちゃ」を長女から貰った時、ドゥバル君は「cool(カッコいいじゃん!)」と言ったそうです。今ごろ、お父さんと一緒に組み立てているかな。



ヒラリーの回顧録 (2003/06/19)


 先週発売になったヒラリー・クリントンの回顧録「Living History」が話題になっています。発売初日に約20万部が売れたそうです。僕の妻も、しっかり買っていました。ヒラリーは先週から今週にかけて、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などマスコミに出まくっていて、彼女の顔を見かけない日はありません。

 以前ワシントン・ポストのあるコラムに、「ビル・クリントンは、大統領になりたいから他人のためになることをするタイプ」で、「ヒラリーは、世の中のためになることをしたいから大統領を目指すタイプ」だとありました。この言葉は、二人の性格の違いをとても良く表していると思います。

 さて、この二人が再びホワイト・ハウスの住人になることはあるのでしょうか。僕は、早ければ2008年の大統領選挙にも、アメリカ史上初の女性大統領を目指してヒラリーが立候補するような気がします。もしかしたら、来年の大統領選挙という可能性も全くゼロではないかもしれませんが、来年の選挙に関しては、既に民主党からは立候補者が続々と名乗りを挙げています。やっぱり、2008年の方が現実的でしょう。今回の回顧録の出版は、そのための布石だという見方をワシントン界隈では耳にします。



クリントンの講演料 (2003/06/20)


 昨日の続きです。ヒラリーが最近マスコミに出まくっていると書きましたが、それに関連して、夫である前大統領ビル・クリントン氏のことも先日のワシントン・ポストに載っていました。上院議員であるヒラリーの資産公開で、クリントン氏の講演料がばれてしまったというのです。

 それによると、クリントン氏は2002年に全世界で60回の講演を行い、950万ドルを稼いだというのです。彼は去年の3月に僕がいたブリスベンにも講演に来ましたが、僕は丁度バングラデシュに出張中だったため、彼の話を聞き逃しました。

 ワシントン・ポストの記事によれば、2002年にクリントン氏に一番高い講演料を払ったのは、日本の団体です。「Mito City Political Research Group」という団体が、40万ドル(1ドル125円換算で5千万円)払ったそうです。記事に出ていた英語名を直訳すると「水戸市政治研究会」となりますが、一体どういう団体なんでしょうか。ただ、彼の話を通訳を介して聞くと、面白さが半減するような気がします。そういった意味では、5千万円は高いですね。

 さて、このクリントン氏、一説には次のニューヨーク市長選挙に出馬するという噂もあります。ヒラリー共々、この夫婦からはまだまだ目が離せません。



6月の卒業式 (2003/06/24)


 卒業式と言えば、日本では3月と決まっていますが、アメリカでは5月か6月に行われることが多いようです。先週は、娘達の通うデイ・スクールで卒業式がありました。我が家の長女はまだ4歳で、卒業まではもう一年あるのですが、一応年長組に入っているため、仲間たちと一緒に卒業式をやりました。卒業しないけど、カリキュラムを全て修了したので卒業式だけやってしまったのです。

 さて、その長女の卒業式ですが、我が家も夫婦そろって仕事を休み出席しました。僕がビデオを構え、妻がカメラを抱えての親バカぶりでした。この子が、もうこんなに大きくなったのかと思うと、ちょっと感動して一瞬ウルウルしてしまいました。

 一丁前にガウンと博士帽を着けた子供たちが、先生から修了証書をもらい、一人一人マイクの前で将来は何になりたいかを発表しました。うちの長女は、このデイ・スクールの先生に憧れていたので、将来は自分も先生になりたいと言っていました。

 最後の方で子供たちが歌を歌いました。卒業式の当日は、子供たちが怒鳴るように歌っていたので、何て歌っているのか歌詞が全然分かりませんでした。後で長女に歌詞を確かめて、「とてもいい歌だったんだ」と感動しました。その歌の歌詞を、日本語に訳して書きとめておきます。

♪わたし達は、辛抱強く成長します♪
♪だから、わたしと他の子供たちのために世界を救って♪
♪わたし達は、一人一人成長の仕方が違います♪
♪だから、今日は愛と尊敬を教えて♪



メリッサ先生さようなら (2003/06/26)


 前回の続きです。先日の卒業式が、デイ・スクールで長女のクラスの担任をしていたメリッサ先生とのお別れの日になりました。メリッサ先生は大学を卒業してすぐ、このデイ・スクールにやって来て一年間だけいました。今後は、フロリダ大学の修士課程に進むそうです。うちの長女は、この先生のことがとても気に入っていたので、ちょっと残念ではあります。

 聞くところによると、このメリッサ先生は修士課程で幼児教育を専攻するそうで、将来は再び教育の現場に戻ってくるみたいです。アメリカでは彼女のように、修士課程に進む前に何らかの職業経験を積もうと考えている人が多いようです。それも、専攻に直結する分野の職業です。それが、修士の勉強にも役に立つからです。大学院側も、何らかの職業経験がある人を修士の学生として受け入れたいという傾向があるようです。その方が、クラスでの議論が実社会での経験を活かしたものとなるからです。

 僕自身も、4年余り仕事をしてからアメリカの大学院で学んだという経験があります。おそらく勤務経験が無かったら、大学院を修了できなかったかもしれないなあとさえ思います。当時のクラスメートの年齢も実に様々で、教授よりはるかに年上の学生も何人かいました。日本でも、社会人の大学院入学が増えてきていると聞きます。大学院において、実社会に本当に役立つ専門家を養成するためには、必要なことかもしれません。まあ、専攻にもよりますけどね。

 ということで、メリッサ先生、大学院の勉強頑張って下さい。長女のこと、いろいろありがとうございました。



ありがとうリムネシア、さようならリムネシア (2003/06/29)


 5月からずうっと雨ばかりだったワシントンですが、一週間くらい前から暑い日が続いています。ようやく夏が来たようです。

 さて、フロントページで報告した通り、このホームページを移転することにしました。今回が、このリムネシアの無料ホームページからお送りする最後の「ワシントン通信」です。思えば、丁度2年前に、ブリスベンからこのホームページをスタートさせました。数ある無料ホームページの中から、フレームのナビゲーション機能と、どこかインドネシアを想像させる「リムネシア」という名前が気に入って、このホームページを選びました。2年間を振り返ると、このリムネシアのお陰で様々な出会いがありました。リムネシアさん、本当にお世話になりました。自分の最初のホームページとして、いつまでも記憶に残ることでしょう。

 そして、今まで私のホームページを訪れてくれた皆さんにも、この機会に深く感謝したいと思います。移転後も、心機一転頑張りますのでどうかよろしくお願いします。移転先は、日本時間の7月1日にこのホームページで発表する予定です(まだ移転準備が完了していないもので)。ガイアックス系の皆さんも、引き続きよろしくお願いします。それではリムネシアさん、さようなら。



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