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WASHINGTON 通信(September 2003)成田で家族と合流し、一緒にワシントンに帰って来たのが日曜日でした。それ以来、時差ボケと疲労とで、落ち着いてパソコンの前に座る時間がありませんでした。子連れの旅行は本当に疲れます。特に我が家は、娘達がまだ小さい(4歳半と3歳)ので尚更です。一人で出張する方が何倍も楽です。 子供は時差調整を意図的に行おうとしないので、ワシントンに帰って来てからも当然ながら夜中に起きていたりと、不規則な睡眠パターンです。二人の娘のうちどちらかでも起きていると、こっちは翌日が仕事でも眠れないので大変です。二人揃って眠ってくれている時だけが、唯一こちらも眠れる時間なのです。 帰って来てからも大変ですが、旅行中もまして大変です。まず、子連れで海外へ行くとなると、子供の着替えなどでやっぱり荷物がかなり増えます。今回の三週間の夏休みに持っていった荷物は、家族全体で大きなスーツケースが二つ、大き目のキャリー・バッグひとつ、ノートパソコン入りショルダー・バッグが二つ(僕と妻がひとつずつ)、機内で使う身の回り品を入れた小さめのショルダー・バッグひとつ、そして、娘達がひっぱる小さめの子供用キャリー・バッグ二つ(長女と次女ひとつずつ)でした。次女は長女の真似をして自分のキャリー・バッグを持っていくと言い張っていたのに、それを自分で引っ張っていたのは旅行初日だけでした。娘達がもっと小さい頃は、これらに加えてベビーカーと飛行機の座席に取り付けるカーシートを持参していたので、それに比べれば荷物が少なくなった方かもしれません。 大抵の空港ではこれらの荷物をカートに載せて運べるのですが、一番大変なのは日本の駅です。どうして日本の駅は階段があんなに多いのでしょうか。エレベーターがある駅も最近は増えてきていますが、まだまだですね。エスカレーターさえない駅の階段も多いです。あってもエスカレーターは上りだけとか。階段では、せっかく車輪が付いているスーツケースやキャリー・バッグを転がしさえ出来ません。何度も重いスーツケースを持ち上げて、駅の階段を下りる羽目に合いました。これでは、まして車椅子やベビーカーは通れませんよね。夏休みで帰るたびに、日本の街のバリアフリーについて考えさせられます。 ワシントンはとても爽やかな秋晴れの日々が続いています。とは言っても日中はスーツを着ているとまだ暑いくらいで、先週のブリスベンと丁度同じくらいの気候です。 実は、去年の冬くらいから原因不明の皮膚病に悩まされています。皮膚病というと大げさですが、鼻の頭と鼻の穴の周りがカサカサになって、皮膚が剥けてきたり赤くなったりするのです。時によって多少の痒みや痛みを感じることもあります。鼻がカサカサして格好悪いので、日に何度もクリームを塗って誤魔化しています。いろんな軟膏やモイスチャー・クリームなどを試しましたが、全く治りません。もう9ヶ月くらいもこんな具合です。 先日ひょんなことから、この皮膚病の原因が分かりました。夏休みを終えて成田からワシントンに向う飛行機の機内で、長女が鼻の頭が痛いと言い出したのです。ワシントンに着く頃には、長女の鼻は、僕と全く同じようにカサカサになっていました。そうです。敵は機内の乾燥した空気だったのです。 思えば、去年の夏から最近にかけては、ほぼ毎月のように地球の反対側まで飛ぶ長距離の飛行機に乗っています。飛行機の機内の空気はとても乾燥しているので、これでは皮膚に良いわけがないのです。長女の鼻は、ワシントンに着いてすぐ治ったようですが、僕の場合は慢性化してしまったせいか、あるいは歳のせいか、一向に治る気配がありません。今は、ニュージーランド航空でもらったキウイ・フルーツから抽出したモイスチャー・クリームを試していますが、果たして効果があるでしょうか。もしこれがダメなら、オーストラリアの万能薬「エミュー・オイル」でも試してみようかと思っています。まあ、飛行機に乗らないことが一番いいのかもしれませんが。 あれから2年目の9月11日がやってきました。今日のワシントンは穏やかに晴れ渡り、街に翻る星条旗の数がいつもより多かったのを除けば、あの事件を思い出させる出来事は僕の周りでは全くありませんでした。オフィスでもあの事件の話題は一切出ず、全く普通の一日でした。 しかしながら、アメリカに対するテロの脅威は依然として消えていないし、イラク情勢などの関連で、その脅威はむしろ高まっているとも言えそうです。いつになったら、テロに脅えずに暮せるのか。その日はまだまだ見えません。 昨夜はメリーランド州ボルチモアまで行って、オリオールズとヤンキースの試合を観戦してきました。ずうっと松井の試合をこの目で見たいと思っていましたが、出張やら休暇やらでワシントンを留守にしているうちに、もうシーズンは大詰め。日程を調べたら、今シーズン中にヤンキースがボルチモアに来るのは今週が最後ということで、急遽行ってきました。二日前にインターネットで「残っている最高の席」を45ドルで買いましたが、三塁側内野席のとてもいい席でした。ワシントンのユニオン駅からボルチモアまでは、アムトラックの急行で北上し、たったの32分です。来シーズンは、時間を見つけてもっと見に来ようと思います。 さて、昨夜の松井ですが、いずれも左腕投手を相手にし4打数2安打1打点でした。第一打席はレフト線へのクリーンヒット。第二打席はランナーを一塁と三塁に置いて、鋭いゴロでピッチャーを強襲するヒットで打点を稼ぎました。試合は、5対3でオリオールズが勝ちましたが、松井はきっちりといい仕事をしているなあと感じました。これで松井のシーズン通算打点は104となり、これはヤンキースのチーム内ではトップ、アメリカン・リーグでも6位です。ホームランの数こそ、ここまで16本と少し期待はずれですが、二塁打は42本(昨日現在リーグ7位)も打っています。 日本での松井の去年の成績をちょっと調べてみたら、ホームランが50本で、二塁打が27本でした。試合数が違うので単純には比較できませんが、メジャー・リーグに来て、二塁打が増えてホームランが減った形になっています。日本ではホームランになる打球が、メジャーでは今ひとつフェンスを越えず、二塁打になっていると言えるかもしれません。考えられる理由は二つ。メジャーの球場の広さと、メジャーのピッチャーの球威でしょうか。 ヤンキースはアメリカン・リーグの東部地区で首位を走っています。もうプレーオフ出場は確実です。守備での活躍も含めて、松井がいなければ負けていた試合は少なくとも10試合以上はあるでしょう。異国できっちりと仕事をし、チームに貢献する。僕も見習いたいと思います。あとは、プレーオフ、そしてワールド・シリーズで是非一発を打って欲しいです。 「イザベル」という名のハリケーンが直撃しました。今ワシントンは木曜日の夜11時になろうとしていますが、外は暴風雨です。イザベルは、今夜半過ぎに我が家の真上辺りを通過しそうです。窓を閉めていても風の音がかなりうるさいです。はっきり言って、こんな凄い暴風雨は今まで経験したことがありません。送電線が強風にあおられているためか、時おり電気が消えます。既に停電している所も多くあるみたいですが、我が家はまだ停電にはなっていません。この雨と風は、明日金曜日の午後くらいまで続くようです。 今日の木曜日はお昼前から雨が降り出し、風も強くなってきました。僕のオフィスは朝から休みで、娘達のデイ・スクール(保育幼稚園)も午後から休校になりました。地下鉄とバスは午前11時に全面運休になり、空の便も朝からキャンセル続出です。お店やレストランなども午後からは全て閉まりました。ニュースでは、大きな木が倒れていたり、屋根が飛ばされたり、車が横倒しになっていたりという映像を流していますが、我が家は鉄筋の高層アパートなのでまあ大丈夫でしょう。イザベルに備えて、食料や水も十分に買ってあるし。 ハリケーンと聞いて僕が真っ先に思い出すのは、「イザベル」でも数年前に中南米で猛威を振るった「ミッチ」でもなく、「シャネルズ」です。シャネルズに「ハリケーン」という曲があるのを知っていますか。切ない歌詞を軽快なリズムにのせたこの歌が、僕は密かに好きだったのです。ハリケーンと聞いて懐かしくなり、今日は古いCDを引っ張り出してきて何回も聞いていました。あの歌がヒットしていたのは1981年だそうです。慶長17歳の夏でした。 「ハリケーン」 (作詞:湯川れいこ) あの娘(こ)捜すのさ Midnight チューチュー Train あの娘(こ)捜すのさ Midnight チューチュー Train 追いかけて 夜汽車の窓 運んでよ バカな俺を 「つらいの」と メモを残し 消えたのさ サヨナラも言わないで まるで 胸に 穴が開いたように 止まらない 止まらない 孤独の嵐だよ ハリケーン ハリケーン ハリケーン (Everyday is ザ どしゃ降り〜) 放さない 今度こそは 移り気な 罪の痛さに泣いた 俺の胸は ハリケーン♪ 昨夜ワシントンを直撃したハリケーン「イザベル」は途中から速度を速めたのか、今朝起きたら雨はすっかり上がっていました。今日の金曜日は、時おり強風が吹いたものの、薄日も差したりしてまずまずの天気でした。しかしながら、オフィスと学校は今日も休みで、僕は昨日から木金土日と思わぬ4連休になりました。 今日は午前中に車で出かける用事がありましたが、街を車で走っている際中に、イザベルの爪痕をまざまざと見せ付けられました。まず、街中に強風で飛ばされた木の葉や小枝が散乱していました。公園や住宅地の大きな木も、根こそぎ倒れていたり、幹の途中からポッキリと折れているものも多く見かけました。街路樹が道路に倒れかかっていて通行止めの幹線道路もあり、迂回を余儀なくされました。さらに、停電のためか、かなりの数の信号機が機能していないのです。交差点を通過するときは、当然ながら徐行運転です。我が家は大丈夫でしたが、昨夜から広範囲で停電が起こり、今日の夕方になってもまだ復旧していない所も多かったらしいのです。事実、今日の夕方、洗濯物を預けにいつものクリーニング屋さんに行ったら、停電のため休業中でした。 さて、「鉄筋の高層アパートに住んでいるから、我が家は大丈夫でしょう」と昨日は書きましたが、実は今朝起きてみると、寝室のカーペットがびしょ濡れになっていたのです。まだカーペットは乾かずに、寝室はかび臭くなってしまいました。この「カーペットびしょ濡れ事件」については、また日を改めて書くことにします。 今回ワシントンを直撃したハリケーンの名前は「イザベル」でした。日本では台風を1号、2号と通し番号で呼ぶのに、アメリカにやって来るハリケーンにはいつも人の名前が付いています。では、誰がどのようにハリケーンに名前を付けているのでしょうか?ちょっと気になったので調べてみました。 アメリカ連邦政府の危機管理庁(FEMA)のウェブサイトによると、最初にハリケーンに人の名前を付けて呼んだのはオーストラリア人の気象専門家で、それは19世紀の終わり頃のことだったそうです。アメリカでは、1953年からハリケーンに女性の名前を付けるようになったそうですが、1979年からは男性の名前も使われるようになったということです。 現在ハリケーンに名前を付けているのは、WMO(世界気象機関)という国連の専門機関です。毎年最初に発生するハリケーンの名前がAで始まり、次がB、その次がCというように、アルファベット順に名前が付けられているのです。ですから、アルファベットを数えていくと、「Isabel(イザベル)」は今年9番目のハリケーンだったということが分かります。2001年から2006年までのハリケーンの名前は既に決められていて、そればかりでなく、このハリケーンの名前は6年おきに繰り返されるのだそうです。ただし、被害が大きかったハリケーンの名前は永久に繰り返されることがなく、永久追放になるようです。このあたりは、被害者の家族に配慮しているのか、あるいは縁起をかついでいるのかもしれません。今回は20人くらいも死者が出たので、イザベルという名前は、ハリケーンの名前としてはほぼ確実に永久追放となるでしょう。 FEMAのサイトによると、WMOは大西洋上で発生するハリケーンだけでなく、太平洋上で発生するハリケーンにも名前を付けています。それによると、2001年に太平洋上に発生したハリケーンのうち、11番目のものは「キコ」という名前が付いていました。このまま行けば、2007年の11番目のハリケーンも「キコ」になるはずです。でも、何故か「キコ」という名前はあっても、「マサコ」という名前はないようです。このWMOという国際機関にもっと日本人の気象専門家が増えれば、ハリケーンにもっと日本人の名前が付く日が来るかもしれません。 我が家は高層アパートの9階なのに、先週のハリケーン「イザベル」がもたらした豪雨により、寝室の床のカーペットがびしょ濡れになりました。床全面に敷きつめてある備え付けのカーペットですが、はっきり言って、カーペットのその部分はまだ湿っぽいです。原因はいまだに分かりません。アパートの管理会社の人たちは、「窓から雨が浸入して壁を伝って床に達したのだろう」と言っていましたが、窓から雨が浸入した形跡はありませんでした。 実は、同じアパート内で十数軒も似たような「水漏れ」があったらしく、その問題が起きたアパートメント番号を管理人の頭越しに垣間見て驚きました。ほとんどが我が家の真上か真下なのです。これはもう建物の構造上の問題としか思えません。アパートのこの部分にパイプか何かの排水設備があって、それに欠陥が起きているのでしょう。その可能性を指摘し、「原因をきちんと調べて、故障箇所を直してください」と言っておきましたが、まず何もしないでしょう。 アメリカに来てから、このような水漏れをイヤというほど体験しています。流し台の下の排水パイプが漏れたり、水道の蛇口の取っ手部分から水が漏れたり、今もこのアパートの地下駐車場には、雨が降るとたくさんの水溜りが出来ます。 でも、一番酷かったのは、アメリカに来た当初、まだ独身時代に住んでいたアパートです。ある時、そのアパートのバスルームの天井から水が漏れ始めたのです。どうやら、どこかのパイプに穴でも開いたらしく、上の階でお風呂を使うと、うちの天井から水が漏るのです。管理担当者にこれを告げても、全然修理してくれません。何度も何度も報告しても、修理の人が来るのに三週間もかかりました。この間、僕は水漏れ箇所にバケツを置いたり、毎日バスルームの床の水を拭き取るのに大変でした。最後はアパートの管理室にどなりこみ、「このままだと来月の家賃は払わないぞ」と脅して、ようやく修理された次第です。アメリカは、こんなことでいいんでしょうか。少なくとも、水がしたたるのは、「アパート」の方ではなく、そのアパートに住む「いい男」だけにしてほしいものです。 以前、アメリカ政府が設けた電話商法撃退のためのウェブサイトについて書きました(今年の7月11日の「ワシントン通信」を参照ください)。そのサイトにインターネットでアクセスし、自分の電話番号を登録すれば、もう迷惑な押し売り電話はかかって来ないことになるはずでした。10月1日からの施行が決まっていたのに...。 ところが、です。昨日、連邦地方裁判所の裁判官が、「これは行政府の越権行為だ」という裁定を下したのです。実は、電話商法に頼っている多くの企業の連合組織が、この件をめぐって裁判を起こしていたようなのです。彼らの狙いは、何とか電話商法を続けられるようにというただその一点です。結果として、この裁判の結果は企業側に有利な判決になり、電話商法の撃退に「待った」がかかってしまいました。判決の理由は、「連邦議会は、このような行為を禁じる権限を行政府に与えていない」というものです。このニュースを聞いて、「ああ、アメリカは三権分立が機能しているなあ」と思うか、「ああ、アメリカはやっぱり訴訟社会だなあ」と思うか、あなたはどちらですか。 ニュースによると、あの電話商法撃退サイトに登録された電話番号は5千万以上もあったそうです。僕も含めて、「迷惑電話は御免だ」と自分の電話番号を登録した人にとっては、今回の裁定はちょっとがっかりでしょう。でも、これだけ多くの人が支持した施策ですから、連邦議会が新たな法律を作り行政府に権限を与えるのは時間の問題だという意見もあります。また、上位の裁判所にアピールすれば、今回の裁定が覆る可能性だってあります。今後、電話商法を続けたい企業側のロビー活動も活発になるかもしれません。この件については、新たな動きがあったらまた書こうと思います。 前回の続きです。きのう、この件をめぐる二転三転がありました。その内容に入る前に、この「電話商法撃退策」をおさらいしておきたいと思います。 あれは数ヶ月ほど前のことだったと思います。アメリカ連邦政府の「Federal Trade Commission(FTC〜連邦商業委員会とでも訳しましょうか)」が、電話商法を目的とした迷惑電話から市民を救うために、今後このような電話を受けたくない人は電話番号をウェブサイトに登録するようにと呼びかけました。これが、迷惑電話に悩まされていたアメリカ国民の間にまたたく間に広まり、5千万を越える電話番号が登録されたのです。登録された電話番号に商売目的で電話をした業者には、一回の電話につき最高11,000ドルの罰金が科されます。ただし、非営利のNPOや宗教団体などが慈善目的でかける電話と、政治家や政治団体がかける電話は罰金の対象外となっていました。こういう施策が来週10月1日からスタートするはずだったのです。 ところが、電話商法を存続させたい企業連盟がこの施策に反対して裁判を起こし、連邦オクラホマ地方裁判所の裁判官が、「これはFTCの越権行為であり、連邦議会はFTCにこのような施策を行う権限を与えていない」という裁定を下したのです。それが、今週火曜日の夜でした。前回はここまでの話でした。 さて、おとといの木曜日です。ならば、改めてFTCにその権限を与えようじゃないかと、連邦議会が動きました。異例のスピードでFTCにこの権限を与える法案が作成され、審議もほどほどに、その日のうちに上下両院で法案が通過してしまいました。下院は賛成票412に対して反対が8票、上院にいたっては95対0という圧倒的多数で、この法案が通ってしまったのです。これには、僕はアメリカ政治の凄さを見た思いがしました。「5千万のアメリカ人の選択が間違っているはずはない」と、一日で法案を通してしまう。こういうのを英語では「Political Will(政治の意志)」と呼びますが、日本の政治ではこうは行かないでしょう。 ここで終われば、電話商法撃退策は来週から実施されるはずでした。しかし同じ木曜日の夜、別の企業が起こしていた同様の裁判の判決が連邦デンバー地方裁判所で下されました。今度の裁定は、なんと「この施策は、表現の自由を保障した憲法に違反する」というものだったのです。「NPOや政治団体の電話はOKなのに、商売目的の電話はダメというのは差別だ」とも言っています。「憲法違反」という裁定が出てしまったからには、いくら「Political Will」があると言っても、議会が対処するには難しくなってきました。連邦最高裁など上位の裁判所が、このデンバー地方裁判所の判決を覆す以外には、この施策を甦らせる方法はないのかもしれません。 それにしても、今回の裁定を下した裁判官たちは、可哀想に悪者扱いされています。オクラホマの裁判官はウェストさんで、デンバーの方はノッティンガムさんという名前です。迷惑電話撃退策に不利な裁定を下したことから、「ウェストさんやノッティンガムさんの自宅電話番号をインターネット上で公開して、みんなで迷惑電話をかけてやれ」という悪質ないたずらを誘う書き込みが、インターネット上を駆け回っているそうです。気持ちは分かるけど、それをやっちゃあ、おしまいですよ。 最近は仕事でビデオ会議(Video-conference)が結構あります。ビデオ会議とは、例えばワシントンの会議室と外国の会議室をテレビ画面で結んで、互いの映像を見ながら会議をすることです。まあ、テレビ電話みたいなもんです。今週は木曜日の朝に、二つのビデオ会議が重なってしまいました。ひとつは、ワシントンとスリランカとの会議。もうひとつは、ワシントンとバングラデシュ、パキスタン、ネパールを結ぶ多元ビデオ会議でした。この二つ目の多元会議の方は僕が議長役だったので、他の会議と重なったのをいいことに、議長権限で会議を中止にしました。 はっきり言って、僕はこのビデオ会議が嫌いです。技術が年々進歩しているためか、最近は映像も音声も数年前よりは大分はっきりしてきましたが、まだまだトラブルは多いです。よく画像はブレるし、声もまだまだ聞きづらい時があります。これは、途上国と結んでいるせいなのかもしれませんが、技術的なことはよく分かりません。一番の問題は、相手側の声が数秒遅れてこちらに届くことです。こちらの声も数秒遅れて向こうに届いているのでしょう。これは国際電話の際にも時々ありますが、相手が話していないと思ってこっちが話すと、数秒後にお互いの声がぶつかってしまいます。やりにくいことこの上ないです。 ビデオ会議が嫌いな理由はもうひとつあります。ビデオ会議がある日は、必ず早朝出勤になるからです。僕は南アジアの国々を担当しているので、例えば、ワシントンの夏時間だと朝の8時はスリランカの夕方6時にあたり、ビデオ会議というと大抵はこの時間から始まります。そのため、ビデオ会議のある日は遅くとも7時半には家を出ないといけないのです。冬時間だともっと悲惨で、スリランカの夕方6時はワシントンの朝7時となり、さらに一時間早まってしまいます。あとひと月弱で冬時間になりますが、今年の冬はなるべくビデオ会議が少ないことを祈ります。 先日、ケニア人男性と日本人女性のカップルが暮らす家でホーム・パーティーがありました。招待されたのは日本人カップル一組(僕と妻)と、トリニダード・トバゴ人カップルが一組、そしてケニア人カップルが二組でした。子供も連れて来ていいということだったので、うちの娘達も一緒に行きました。赤ん坊を連れてきたケニア人夫婦もいました。 夕方5時に来てくれということでしたが、娘達の支度に時間がかかってしまったのと、その家が思ったより遠かったので、到着は6時近くになってしまいました。途中、5時半頃に妻が律儀にホスト宅に電話をして遅れる旨を伝えると、「まだ誰も来ていないから気にしないで」ということでした。着いてみたら、一時間近くも遅れたのに、やっぱり僕らが一番乗りでした。 さてその後、僕は枝豆をつまみながらビールをご馳走になり、ホスト役のカップルと談笑していましたが、他の招待客はなかなかやって来ません。二番目にやって来たのはトリニダード・トバゴ人のカップルで、もう7時をまわっていました。三番目にやって来たのはケニア人のカップルで、8時頃でした。最後のケニア人夫妻が現れたのは、8時半だったと思います。 その日は幸か不幸か、ホストが用意していたのはフルコースのディナーだったのです。立食形式のカジュアルなパーティーであれば、ゲストが全員揃わなくても食事をつまむことは可能ですが、フルコースではそうはいきません。ゲストが全員揃ってからディナー・テーブルに移り、食事が始まったのは9時頃でした。それからスープ、前菜、メイン、デザートと、皆でブッシュ政権の外交政策を肴にして、ディナーは延々と続きました。終わったのは夜の11時を過ぎていたと思います。娘達は、当然途中からソファーで眠り込んでしまいました。 アメリカに来てから、何度もこのようなホーム・パーティーに招待されたことがありますが、大体指定された時間より30分くらいは遅れて行くのが常識みたいです。一時間遅れたって、許容範囲のうちです。でも先日のパーティーでは、3時間遅れのカップルと3時間半遅れのカップルがいました。この二組はいずれもケニア人だったので、ホスト宅のご主人で自分もケニア人のウォンビアさんは、次のように言っていました。「今度からケニア人をディナーに招待する時は、ランチへの招待だと偽ることにしよう。そうすれば彼らは、丁度よくディナーの時間にやって来るはずだ」と。ウォンビアさん、あなたの言うとおりだと思います。でも、先日のディナーは本当に美味しかったです。ご馳走様でした。 アメリカの学校は9月から新年度が始まります。うちの娘達が通っているデイ・スクール(保育幼稚園)も、今月初めから新しい年度がスタートしました。四歳の長女は去年と同じ「恐竜組」、三歳になったばかりの次女は「蝶々組」から「笑顔組」に進級しました。それぞれの組には、担任の先生ひとりと補助の先生が数人ずつ割り振られています。年長の恐竜組では、文字や数などだけではなく、時に科学や地理などの授業もあります。毎週金曜日には宿題があって、月曜日に提出しなければなりません。クラスでの授業内容や宿題の多さなどは、担任の先生の独創性によるところが大きいようで、昨年度とは少し異なっているようです。 今年度の長女の担任は、ロージー先生という若い女性です。ロージー先生からの今年度最初の宿題は、「Class Pledge(クラスでの誓い)」という宣誓文を繰り返し読むことでした。読むといっても、長女はまだ四歳児ですからひとりでは読めません。まず僕が読んであげて、長女はあとから僕の言ったことを真似して声に出していました。その宣誓文を日本語に訳してみたので、以下に載せておきます。「恐竜組」の子供たちを見習って、僕もこの宣誓文を時々思い出して心を引き締めたいと思います。 私は毎日最善を尽くすことを誓います。 よく聞き、よく学び、勉強する時も遊ぶ時も公正を誓います。 暴力はふるわず、尊敬の念を持って他人に接します。 整理整頓を心がけます。 先生が話している時はきちんと聞き、全てのルールに従います。 教室で学校で、よき市民であることを誓います。 ( http://www.keicho.com ) |