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WASHINGTON 通信(November 2003)



ハロウィンのルール (2003/11/01)


 10月最終日の昨日はハロウィンでした。この日は毎年子供たちが楽しみにしているので、この日に間に合うように帰国すべく、今回のブータンへの出張日程を決めたと言っても過言ではありません。昨日、うちの娘達は二度仮装しました。一度目は日中デイ・スクールの行事で、長女が背中に羽の生えた妖精になり、次女は去年と同じでてんとう虫になりました。二度目は二人ともアメリカのテレビ番組のキャラクターに変身して、夜6時半くらいから近所の家々を周りました。僕も黒いマントを羽織り、口元から赤いインクで血をしたたらせ、吸血鬼に扮しました。子供達から「Vampire, Vampire」と呼ばれ、「ああ、吸血鬼は英語でVampireというのか」と思い知らされました。ちなみに妻は猫女になりました。

 去年と同じように、子供達は訪ねる家々でお菓子(キャンディーやチョコレート)を沢山もらい大喜びをしていました。我が家では、昨日もらったお菓子は一日に一個だけ食べてよいということにしました。だから、あんなに沢山のお菓子を食べ切るには2〜3ヶ月はかかりそうです。

 さて、ハロウィンの夜に家々を訪ねる時、ちょっとしたルールがあるそうです。それは、ドアが開いている家以外には行かないこと。昨夜気づいたのですが、この辺りのほとんどの一軒家は二重ドアになっていました。内側に木のドアがあり、外側にガラスなどでできている透明なドアがもうひとつあります。昨夜は大抵の家で、内側のドアを開けて外側のドアだけ閉めていました。それが、ハロウィンの子供達を呼び寄せるサインなのです。そういった家には、必ずカボチャのランプなどハロウィンの飾り付けがしてあります。何の飾りもなく、ドアも固く閉じられている家に行ってはいけないのです。それと、お菓子をもらう時は必ず玄関口でもらうそうで、家の中には決して入って行ってはいけないそうです。



カボチャの提灯はジャックの提灯 (2003/11/02)


 昨日の続きです。ハロウィンで訪れた多くの家々は、庭や玄関先にカボチャの提灯(ちょうちん)を置いていました。これは、カボチャの中味を丸く掘り出し、皮を切り抜いて顔などの絵を描き、中にロウソクを入れた提灯です。ロウソクの灯りがカボチャの皮の切り口からもれて、夜はとても綺麗に見えるのです。ハロウィン飾りの代表格であるこの「カボチャ提灯」に使うカボチャは、日本でよく見る皮が緑色のカボチャではなく、スイカのように丸々としてかなり大きめのオレンジ色のカボチャです。このオレンジ色の皮がロウソクの火に照らされて、より一層映えるのです。

 4歳の長女が通うデイ・スクールの教材によると、この「カボチャ提灯」の名前は「Jack-O-Lantern」というんだそうです。そしてこの名前は、アイルランドに伝わる次のような逸話から来ているということです。昔、Jack(ジャック)という男がいましたが、彼はとてもケチだったので天国に行けませんでした。行き場のないジャックの霊は、Lantern(提灯)を手に下げてあちこちをうろついていたそうです。やがて、その霊は「Jack of Lantern(提灯のジャック)」と呼ばれるようになり、ハロウィンのカボチャ提灯の名前になって現代に残っているのです。

 ハロウィンは終わりましたが、実は今日の日曜日、その「Jack-O-Lantern」を長女と一緒に作ってみました。まず朝方、直径40センチくらいある丸いカボチャのてっぺんを切り抜き、そこからカボチャの中味と種を掘り出し、皮だけにしました。その皮だけになったオレンジ色のカボチャをベランダに出して、しばらく太陽に当てて乾燥させました。夕方になって、カボチャの皮の表面にとんがり帽をかぶった魔法使いの顔をペンで描き、その輪郭や目、鼻、口などを細いノコギリのようなナイフで丁寧に切り抜きます。あとは暗くなるのを待って、中にロウソクを入れるだけです。ロウソクを入れたその「Jack-O-Lantern」は、実に鮮やかに魔法使いを浮かび上がらせました。初めて作ったのに大成功でした。

 厚いカボチャの皮から、顔の細部の形などを綺麗に切り抜くのは、かなりのスキルを要します。だから、自分ではかなり慎重に苦労して作ったつもりでした。それなのに、「(不器用な)アメリカ人が作れるんだから、結構簡単だったんじゃないの?」と妻に言われてしまいました。



在外投票をしてきました。 (2003/11/04)


 おとといの日曜日、ワシントンの日本大使館で第43回衆議院議員選挙の在外投票をしてきました。海外に住む日本人が投票できるのは、あらかじめ登録してある選挙区の比例代表選出議員だけです。僕は故郷の八戸市選挙管理委員会の在外選挙人名簿に登載されているので、東北比例区への一票となりました。ワシントンでの在外選挙の投票期間は、おとといの日曜日が最終日だったので(投票期間は各国の各投票所により異なる)、出張から帰っての滑り込みセーフでした。

 在外投票をするのは今回で二度目ですが、「こんなに面倒くさいものだったか」と改めて驚きました。まず、大き目の封筒に八戸市選管の住所や自分の名前、在外選挙人登録番号などを記入します。次に、その封筒と、あらかじめ交付されてあった在外選挙人証とパスポートを投票用紙交付人に提示して、投票用紙と中小二つの封筒をもらいます。投票用紙に政党名を記入した後、その投票用紙を小さい封筒に入れて封をします。そして、中くらいの封筒にまた登録番号と名前などを記入して、投票用紙が入った小さな封筒を入れて再び封をします。その中くらいの封筒の記載事項を受付人が確認し、最後に、立会人が最初に書いた大きめの封筒と中くらいの封筒の記載事項を確認して終わりです。

 結局、僕の投票用紙は大中小三つの封筒を経て、八戸市の選管に届き開封されることになります。ワシントンの大使館から東京の外務省を経て、八戸市に届けられるのでしょう。おそらく、開票できるのは選管だけという決まりがあるからこんなに面倒くさくて、在外投票の期間が日本での投票日よりかなり前に締め切られるのだと思います。おとといの日曜日で在外投票が締め切られたので、昨日発表された民主党の閣僚候補名簿を知る前に投票せざるをえませんでした。こんなのは、大使館員が開票してEメールで結果を日本各地の選管に送れるようになれば、手続きも簡単だし在外投票の期間も延ばせるのに...。その他、在外選挙の問題点は以前も「ブリスベン通信」に書きましたので、2001年7月24、25日の「ブリスベン通信」を参考にしてください。

 それにしてもおとといの大使館は、在外投票最終日の日曜日だというのにガラガラでした。今回も在外投票の投票率は極めて低いのではないでしょうか。日本にいる皆さんは今度の日曜日、是非投票所に足を運んでください。「自分の一票で日本の政治を変えるんだ」という気持ちを持って投票しましょう。



初めて携帯電話を使う。 (2003/11/06)


 出張に行く際はノートパソコンを持っていくというのは、おそらくどこの世界でももう常識でしょう。世銀では、それに加えて出張用に携帯電話のレンタルが最近始まりました。携帯電話を持つことを頑なに拒んでいた僕も、実は今回のブータン出張の際に携帯電話をレンタルして持っていきました。途上国へ出張の際、首都にいれば大抵は電話などのインフラが整っていますが、一旦フィールドへ出ると電話も通じないところが結構あるんです。だから、何か緊急の場合に家族と連絡が取れるように、世界中どこでも通じる携帯電話が必要だと常々思っていました。出張前に携帯電話をレンタルする際、「ブータンでも通じる電話をお願いします」と確認して、NOKIAというメーカーの「Global Phone Works」というサービスを利用することにしました。「これであればブータンでも通じる」と言われたからです。この携帯の電話番号はイギリスの国番号44で始まるものだったので、イギリスの会社のサービスだったのかもしれません。

 さて先月ブータンに行く途中のバンコックで、この携帯電話からワシントンの家族に電話してみました。僕が携帯電話を使ったのは、このときが生まれて初めてでした。率直に言って、「結構便利じゃん」と思いました。で、ブータンに着いてこの携帯電話を使おうとしましたが、全然機能しません。電話番号を押す度に「No Service」と画面に表示されるのです。「Global Phone Works」がworkしないのです。ブータンにいる間、何度も何度も試しましたが結局ダメでした。ブータンからの帰路、インドのコルカタではこの携帯電話が使えましたが、日本ではまた使えませんでした。

 ワシントンに帰ってきて今週の月曜日に、早速この携帯電話を返還しました。そして今、レンタル料を返してもらうように交渉しています。ブータンでも使えるというからレンタルしたのに使えなかった訳ですから、当然の要求だと思っています。本当に、世界中どこでも使える携帯電話ってあるんでしょうか。



日本は予選快勝、アメリカは予選敗退 (2003/11/08)


 来年に迫ったアテネ・オリンピックの野球のことです。長嶋監督率いるジャパンは中国、台湾、韓国に三連勝してアテネ行きを決めたようですが、こちらアメリカは昨日メキシコに敗れてアテネ行きを逃しました。オリンピックの野球に本場のアメリカが出ないなんて、ちょっと寂しいですね。しかもアメリカは、前回のシドニー・オリンピックで金メダルに輝いたディフェンディング・チャンピオンです。あの時のアメリカ・チームは、前ドジャース監督のラソーダさんが監督を務めていました。

 長嶋ジャパンは日本のプロ野球の一軍選手で固めたようですが、アメリカはメジャー・リーグの選手の予選出場が認められなかったため、マイナー・リーグの選手を中心にしたチームでした。それでも予選リーグは三戦全勝で勝ちあがり、昨日の試合は決勝トーナメントの初戦(準々決勝)だったのです。結果は2対1で惜敗です。トーナメントですから一回負ければ終わりなのです。確かアジア大会の最終予選は、四カ国による総当りのリーグ戦方式でしたよね。予選の方式は、各大陸によって違うようです。もしアメリカ大陸の予選もリーグ戦方式であれば、おそらくアメリカもアテネに行ってたでしょう。

 今日のワシントン・ポストにも、「全くメダルの可能性がないイタリアやオランダが出場を決めているのに、メダルの有力候補であるアメリカが予選敗退とはどうしたことか」という不満タラタラの記事が載っていました。引退が決まっているヤンキースのクレメンス投手が「オリンピックで投げたい」と言っていたそうで、それも叶わぬ夢となりました。それにしても、どうしてメジャー・リーグの選手がオリンピックに出てはいけないのでしょうか。オリンピックでもバスケットボールやアイスホッケーなどは、NBAやNHLの選手がドリーム・チームを結成しているのに。最高の舞台で最高の選手がぶつかりあう。ファンはそれを望んでいるはずなのですが。



ベテランの日 (2003/11/11)


 ワシントンはとても寒くなって来ました。昨日は朝の最低気温が華氏で30度でした。華氏の32度が摂氏の0度ですから、昨日の最低気温は氷点下だったということになります。この冬初めてコートを着て出勤しました。

 今日11月11日は、「ベテラン(退役軍人)の日」という休日でした。アメリカには珍しく、曜日指定ではなく日付指定の休日です。この休日のため子供達のデイ・スクールはお休みでしたが、僕が勤める世銀はお休みではありませんでした。そこで、いつもは夕方から出勤して来るナニーに、朝から来てもらって娘達の面倒を見てもらいました。

 世銀をはじめ国連システムの機関では、年間の休日数が決められています。以前は年間9日間だったと思うのですが、今日カレンダーを見て数えてみたら、いつの間にか11日に増えたようです。基本的には、そのオフィスが存在する国の祝日に合わせて休日になるのですが、その国の年間祝日数が11日を越える場合には、周りが休んでいても国際機関の職員は休日出勤となるのです。アメリカでは今日の「ベテランの日」が、丁度その休日出勤にあたる日でした。

 さて、その「ベテランの日」の今朝の新聞のスポーツ欄には、昨日発表されたメジャー・リーグの今年の「Rookie of the Year(新人王)」の記事が比較的大きく載っていました。ご存知のようにヤンキースの松井が、記者投票により僅差で新人王を逃しました。日本のプロ野球で実績があることから、「松井はそもそもルーキーではない」という議論が一部で根強く、それが記者投票の結果に表れたのは明らかです。ルーキーではなくベテラン扱いされたということで、今日の「ベテランの日」には全く相応しい話題となりました。



ドレミはDo Re Mi (2003/11/12)


 4歳の長女が少し前から毎週土曜日にピアノを習い始めました。彼女に付き添ってピアノの授業に出ていると、結構勉強になります。僕は今までは、どの鍵盤が「ド」かということさえも知らなかったのですが、今ではちゃんと分かります。そのうち僕もピアノが弾けるようになるかもしれません。

 日本語の「ドレミファソラシド」は、英語では「Do Re Mi Fa Sol La Ti Do」です。「ソ」は「So」ではなくて「Sol」であり、「シ」は「Si」ではなくて「Ti」なのです。僕が英語のスペルを考えずに無意識に「ドレミファ〜」と歌うと、必ず長女に「『レ』は『Le』ではなくて『Re』だよ」と注意されます。彼女はアメリカで生まれ育っているので「L」と「R」の発音は全く違う音として体得しているようですが、僕は生粋の日本人なので、意識して区別しないと「L」と「R」の発音があいまいになってしまうのです。

 そう言えば、「ドはドーナツのド〜、レはレモンのレ〜」という歌がありますよね。でも、レモンのスペルは「Lemon」ですから、音階の「レ」が「Re」だとしたら、「レはレモンのレ」というのは厳密に言ったら間違いですね。だからこの歌は、娘達の前では歌わないようにしようと思います。そうでないと、父親の威厳が損なわれそうです。



家を買うなら、お湯が豊富な家がいい (2003/11/14)


 先日、妻と二人で「家を買うためのセミナー」というのに行って来ました。弁護士さんと銀行の住宅ローンの担当者が来て、アメリカで家を買うための法的な手続きのことや、その他の注意すべきことを教えてくれました。その中で一番印象に残っている言葉は、次のようなものでした。「家を買う前には、その家に行って水道からお湯を15分くらい出しっ放しにしてみなさい。それでもまだお湯が出たら、その家はお湯のタンクが大きいので、大家族でもお風呂に困りませんよ。」

 これには本当にそうだなあと、妙に感心してしまいました。と言うのは、アメリカに来てからお湯がすぐ出なくなって困ることが多いからです。それでも独身時代は大丈夫でした。結婚してからは、妻がシャワーを浴びた後に続けて僕がシャワーを浴びようとすると、途中でお湯が出なくなり冷たい水になってしまうことがよくあります。寒いからお湯を温める時間が余計にかかるのか、冬場は特にそういうことが多いです。たまに湯船にたっぷりお湯をはろうとすると、もうしばらくはお湯は出ません。お湯で食器を洗ったり、温水で洗濯をしたりした後は、お湯がなくなるのでシャワーも使えません。そういうことなので我が家では毎日、娘達は夕方5時頃デイ・スクールから帰って来てすぐナニーがお風呂に入れてくれて、妻は就寝前の深夜にシャワーを浴び、僕は出勤前の朝にシャワーを浴びています。

 おそらく、アメリカ人は湯船にお湯をはることなどなく、シャワーもあっさりと済ませるので、あんまりお湯は使わないのでしょう。だからアメリカの普通の住宅は、お湯のタンクがかなり小さ目にできているのでしょうね。もしアメリカで家を買うようなことがあれば、あのセミナーで教わったことを是非実行してみたいと思います。



増え続ける迷惑メール (2003/11/16)


 以前何度か迷惑な電話商法について書きましたが、数から言ったら迷惑メールの方が圧倒的に多いですね。最近は特に多くなって来ました。日によっても違いますが、毎日20〜30通くらいの迷惑メールが来ます。9割くらいが英語のメールで、日本からの迷惑メールはほんの1割くらいです。内容は実に様々で、アダルトサイトやデート相手の紹介から、ローンの斡旋、自動車のセールス、保険の勧誘、家の修理請け負いますというのまであります。まあ、ホームページ上でメールアドレスを公開しているので仕方がないのかもしれませんけど、公開していないメールアドレスの方にも時々来ます。

 日本からの迷惑メールは、タイトル欄に「未承諾広告」と書いてあるので直ちに削除できますが、英語の迷惑メールの方は、そういう識別方法がないだけにちと厄介です。今のところ、いちいちタイトルを確認してから削除していますが、これ以上増え続けると、そんな時間はなくなりそうです。中にはタイトルがなかったり、意味の分からないタイトルだったりして、メールを開いてから初めて迷惑メールだと分かるものもあります。英語の迷惑メールのいい撃退方法があれば、誰か教えて下さい。アメリカも、せめて「未承諾広告」とタイトル欄に記入することを義務付けたらいいのに。



ドゥバイからの高額請求 (2003/11/17)


 クレジット・カードは何枚か持っていますが、いつも使うのはユナイテッド航空のマイレージが貯まるビザ・カードです。途上国へ行った時なども、大抵はこのカードでホテル代などを清算します。インターネットでの買い物などにもよく使っていました。ところが、このクレジット・カードが不正に利用されてしまったのです。

 9月末に受け取ったこのカードの使用明細書を見て、唖然としました。9月7日と8日連続で、アラブ首長国連邦のドゥバイから高額の請求が記載されているではありませんか。二日間の合計で約1700ドル(20万円くらい)でした。その明細書によるとドゥバイのある電話会社からの請求でしたが、全く身に覚えがありません。直ちにカード会社に電話して、このカードを無効にし、番号の違う新しいカードを発行してもらうことにしました。幸い連絡が早かったため、この1700ドルは払わずに済みました。ただ、「この請求は全く身に覚えがありません」という署名入りの宣誓書をカード会社に提出しなければなりませんでした。

 さて、どうして僕のカードがこんな不正に使われてしまったのでしょうか。インターネット・ショッピングでカード番号を入力した際、セキュリティ上の問題があったのかもしれません。でも僕が思うに、7月の出張の際にスリランカで使ったこのカードの番号が、何らかの方法でドゥバイの業者に知られたという可能性の方が高いと思います。これは全くの推測ですが、スリランカとドゥバイは、最近エミレーツ航空がスリランカ航空を買収したこともあって何かと繋がりが多いのです。今度スリランカに行く時は、なるべくクレジット・カードを使わないようにしようと思っています。

 でも、確かクレジット・カードというのは、カード裏面のサインと買い手のサインが一致して初めて有効になるんでしたよね。それがいつから、サインなしでも買い物が可能になったんでしょうか。インターネットやテレホン・ショッピングでは、カードの番号を伝えるだけでサインなしでも簡単に買い物ができてしまいます。これは非常に便利なのですが、逆に言うと、カード番号が知られただけで、誰かが自分のカードを不正に使用するという危険性があるわけです。これは怖いですね。とりあえずは、今後ともカードの使用明細書を、毎月念入りにチェックしようと思っています。



同性同士の結婚を禁じるのは違憲 (2003/11/18)


 今夜はこれがトップ・ニュースでした。マサチューセッツ州の最高裁が、「同性同士の結婚を禁じるのは違憲だ」という判決を下したのです。さらに、州議会に対して180日以内に同性同士の結婚が可能になるような法整備をするように命令したのです。要するに、「誰と結婚してどういう家族をつくるかというのは、個人の自由であり、国家や州政府や他人がとやかく言うことではない」というのです。今日の判決を寛容と見るか、行き過ぎと見るかは、まだまだアメリカ国内でも意見が分かれるところのようです。皆さんはどう思いますか?

 僕は生まれ変わっても男性と結婚したいとは思いませんが、他人が同性と結婚したいと言うなら、それを尊重してもいいかなとは思います。ただ、「子供はどうなるんだろう」というのが唯一ひっかかる点です。もし同性のカップルが養子をもらい、その子が大きくなって両親のことをどう思うだろうかと考えると、ちょっと複雑です。こう考えること自体が、既に同性愛者を何らかの偏見で見ている証拠かもしれませんが、その子が納得してくれることを望みます。でも、どんな親であろうと、子供は親を選べないんですよね。自分の子供に全然愛情を注がない男女の夫婦だってあり得るわけですから、それよりは、愛情たっぷりの同性愛者の親の方が子供にとってはいいのかもしれません。誰にだって養子をもらう権利はあるんだし、結局、いろんな形の家族形態が「あり」だっていうことでしょうか。

 明日は、今日の判決に関連して、僕が勤める世銀内の同性愛者たちについて書こうと思います。



世銀内の同性愛クラブ (2003/11/19)


 ちょっとアブナいタイトルですが、世銀にはGLOBEという職員のクラブがあります。このGLOBEは、Gay, Lesbian, Or Bisexual Employeesの略で、要するにゲイやレズ、あるいはバイの職員たちの集まりです。1993年に作られたこのクラブは、現在150人ほどのメンバーがいるそうです。僕は世銀に入った当初、この組織内にこういうクラブがあって、クラブの活動報告やメンバーの募集などが公然と行われていることに少なからず驚きました。

 このクラブは、これまで世銀内の同性愛者職員の待遇改善に大きく貢献してきました。具体的には、1998年から、世銀職員と暮している同性のパートナーが健康保険などの恩恵を受けられるようになりましたが、これもGLOBEの働きかけの成果と言えるでしょう。さらに2002年からは、同性のパートナーも、扶養手当や生存者年金など普通の配偶者と全く同じ恩恵を受けられる対象になりました。

 もう少し分かり易くするために、世銀職員のAさんに登場してもらいましょう。Aさんは同性愛者で、同性のBさんと暮しています。仮にBさんを無職としましょう。Bさんは無職のため、1998年以前は健康保険に加入していませんでした。でも1998年から、Bさんは世銀職員であるAさんのパートナーとして、世銀が契約している健康保健でカバーされることになりました。さらに2002年からは、BさんはAさんの扶養家族として認められ、Aさんに扶養手当が支給されることになりました。Aさんが定年後に死亡したとしても、Bさんに生命保険が支払われるし、Bさんは世銀職員の配偶者として引き続き世銀の年金をもらえるわけです。

 同性愛者たちは、法律上の正式な結婚ができないので、同性同士の同棲という形で暮している場合が多いはずです。これも彼らに言わせれば、れっきとした家族の形なのです。ところが法律上の夫婦でないという理由だけで、これまでは扶養手当や家族年金などの給与外手当ての対象にならなかったのです。それがGLOBEの働きかけにより、上述したように少なくとも世銀内の同性愛者の待遇は格段に良くなったのです。

 そう言えば、もう10年近くも前に世銀に入ったばかりの頃、オフィス内の廊下を歩いていると、すれ違う男性によくウィンクをされたのを覚えています。あれはきっと、GLOBEのメンバー達だったのかもしれません。最近は同性愛者にもてなくなったようで、そういうことは全くなくなりました。哀しいような嬉しいような、ちょっと複雑な心境です。



インフルエンザの予防注射 (2003/11/21)


  先日CNNのニュースで、インフルエンザの予防接種を呼びかけていました。今年の冬は、インフルエンザが猛威を振るうことが予想されているそうです(SARSが再び流行するという噂もありますが)。ということで、その予防注射を受けて来ました。幸いなことに僕の勤める世銀の医務室では、職員に対して今月の火、水、木曜日に限って無料でインフルエンザの予防接種をしてくれるのです。おとといの水曜日、予防接種が始まる11時半きっかりにその医務室に行ってみたら、既に10人くらいの行列ができていました。でも、担当の看護婦さんのやっつけ仕事のような手際のよさで、あっと言う間に順番がまわって来て、あっと言う間に注射が終わりました。注射のあとには、丸くて小さなバンドエイドをペタンと貼られました。

 実は1999年の年末に、インフルエンザに罹って大変な思いをしたことがあります。救急車で救急病院に運ばれたのです。インフルエンザによる高熱と激しい咳で息苦しくなり、必死でハアハアと呼吸をしているうちにどんどん鼓動が激しくなり、最後には全身が麻痺して動けなくなりました。妻が救急車を呼んでくれて、アメリカの救急車に初めて乗りました。救急車の中でも激しく咳き込んでいると、「咳をする時は、菌をばら撒かないように口を手でカバーしなさい。自分はインフルエンザに感染したくないわ」と、救急隊員の女性に怒られました。その後、救急病院に到着したはいいが、僕は診察まで5時間も待たされました。その冬はインフルエンザが大流行した年だったので、その救急病院は患者で溢れてかえっていたのです。あれでは、何のために救急車で運ばれたのか分かりませんでした。

 ちなみにあの全身麻痺は、過呼吸症候群により血液中の酸素と二酸化炭素のバランスが崩れたことが原因だったようです。ハアハアと激しく呼吸をせずに、ゆっくりと深呼吸をするようにしていると麻痺が治ってきました。あんな経験は二度としたくないので、今年は予防注射を受けることにしたのです。だからインフルエンザにも、それが引き起こした過呼吸症候群にも罹らないはずです。皆さんも、念のため予防接種をしてもらった方がいいですよ。



ケネディ暗殺から40年 (2003/11/23)


 昨日11月22日は、1963年の同日にケネディ大統領(JFK)がテキサス州ダラスで暗殺されてから丁度40年目にあたる日でした。そのため昨日はこちらのテレビも新聞も、JFKの特集が多かったようです。そのJFKの墓は、ワシントン近郊の「アーリントン国立墓地」にあります。墓地内の小高い丘にあるJFKの墓石の後方には、妻のジャクリーンに灯された「永遠の炎」が今も燃え続けています。そして、墓の前方のテラスを囲む大理石の壁には、JFKが残した数々の名言が刻まれています。僕も何度かこの墓を訪れたことがありますが、刻まれた彼の言葉を読む度に感銘を受けます。

 そのJFKの名言の中で最も有名なものは、彼が1961年の大統領就任演説で用いた以下の言葉でしょう。

「Ask not what your country can do for you、ask what you can do for your country(国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるかを問いなさい)」

 さて、JFKが生きていたら、今のアメリカを、そして世界の現状をどう思ったでしょうか。そして、どんな言葉で我々を導いてくれたでしょうか。おそらく、「自分が地球のために何ができるかを問いなさい」と言ってくれるのではないかと思います。



日本大使館からの電話 (2003/11/25)


 今日、体調が悪く家で寝ていると、何度か電話で起こされました。そのうちのひとつは、日本大使館からの電話でした。先月の在外選挙の案内を僕に送ったところ、大使館に戻ってきてしまったので、「在留届」の住所変更を提出してくれとのことでした。海外に3ヶ月以上滞在する日本人は、最寄りの日本大使館か領事館に「在留届」という紙切れを一枚提出することになっています。我が家は3年くらい前に、同じアパートの15階から9階に引っ越しましたが、僕の「在留届」のアパートメント番号が、まだ15階に住んでいた時の番号になっていたようです。

 その電話をかけてきた大使館の職員は、「住所変更のために一度大使館に来て下さい」と言うのです。「郵送かインターネットでの変更はできませんか」と聞くと、出来ないと言う。寝ているところを起こされた機嫌の悪さも手伝って、「かなり遅れてますね」とイヤミを言ってしまいました。

 今時、書類一枚提出するのに、わざわざ役所に出向かなければならないなんて、本当に時代遅れもいいところです。つい最近、バージニア州の運転免許証をインターネットで更新したことを思えば(2003年10月10日の「ワシントン通信」を参照ください)、顧客に対するサービスの差は歴然としています。外務省は「在留届を提出しないと、何かあったときに大使館の援助は受けられない」と言いますが、こんなことだから、在留届の提出率も在外選挙の登録率も低いんですよ。この場で猛省を促したいと思います。在留届の住所変更なんて、提出する気もしませんね。出してほしかったら、せめてインターネット上で提出できるようにしてみなさい。



アメリカの青くて四角いケーキ (2003/11/27)


 先週末、長女の同級生であるケビン君の誕生会がありました。その誕生会が行われたのが、なんとボウリング場だったのです。それも、ちょっと普通のボウリング場とは違っていました。まず、ピンがとても小さいし、投げるボウルも直径15センチくらいのものでした。でも、レーンの長さは普通のボウリング場と同じに見えました。初めて見ましたが、この小さなピンを小さなボウルで倒すボウリングは、「ダックピン・ボウリング」と呼ばれるものだそうです。ボウルが小さいので、小さな子供でも転がせるのです。うちの娘達も含めて、ケビン君の誕生会に招待された子供達は、この「ダックピン・ボウリング」でひとまず遊んだあと、ボウリング場内の別室に移って誕生会となりました。

 その誕生会で出てきたケーキが、青くて四角いケーキでした。もっと正確に言うと、青や白や黄色や赤のクリームが長方形のケーキの表面を覆っていました。でも、青いクリームの占める割合が一番高いので、遠くから見ると青いケーキに見えるのです。とても身体に悪そうで僕は遠慮しましたが、娘達はしっかり食べていました。アメリカでは、こういうドギツい色のクリームがついたケーキをよく見かけます。それと四角いケーキというのもよく見ます。バースデイ・ケーキは、やっぱり白い生クリームの丸いケーキにこだわりたいと思うのは、僕だけでしょうか。



感謝祭の終わりが歳末商戦の始まり (2003/11/29)


 現在4連休の真っ最中です。アメリカは、11月の第四木曜日が感謝祭(Thanksgiving)の休日で、大抵のところは日曜日までの長い週末(long weekend)となります。感謝祭の当日は、毎年そうですが街が閑散としています。お店もほとんど休みなので、街を行く人も車もほとんどありません。その代わりと言っては何ですが、きのうの金曜日からデパートやショッピング・モールは大混雑になります。アメリカでは感謝祭の翌日が歳末商戦のスタートの日なので、買い物客が殺到するのです。新聞によると、感謝祭の翌日からクリスマスまでの約ひと月の間に、年間の4割近い売上げを記録するお店もあるんだそうです。

 さて、その歳末商戦スタートの昨日はどこも大売出しで、バーゲン・セールも多かったようです。日本の初売りの感じに似ているかもしれません。「Hechts」というデパートは、昨日は朝の6時に開店し夜の11時まで営業していたそうです。休みの日に朝6時から起き出してショッピングをするなんて、僕には到底考えられません。でも、そんな時間に開店するということは、買いに行くお客さんもいるということなんでしょう。



異常すぎるイラク情勢 (2003/11/30)


 どうもイラク情勢は悪化の一途を辿っているとしか思えません。イラクでの米軍兵士の死者数は、「戦争中」だった3月、4月よりも今月の方が多かったそうです。トルコではイギリスを標的にしたテロもありました。国連、赤十字、イタリア軍も標的になり、昨日はスペイン情報省職員と日本の外交官も犠牲になりました。イラクにいる外国人全てがテロの標的にされていると思った方がいいかもしれません。とても恐ろしいことですし、とても悲しいことです。

 そんな中、おとといのアメリカ感謝祭の日、ブッシュ大統領がバグダッドを訪れて米軍兵士を激励し、感謝祭お決まりの七面鳥をふるまったということです。このニュースには驚きましたが、それもそのはず、ブッシュがイラクを訪れるということは、大統領の家族も知らなかったということです。大統領を乗せたエア・フォース・ワンは日が暮れてからバグダッドに到着し、3時間も経たない内に引き返してきたそうです。ブッシュがイラクを訪問したというニュース報道も、全ては彼がバグダッドを飛び去った後のことでした。

 この大統領のイラク訪問に関して昨日のワシントン・ポストの社説に、「大統領がこれほど神経質に秘密行動をとらなければならなかったという事実こそが、今のイラク情勢を物語っている」というようなことが書いてありました。全くその通りです。どう考えても今のイラク情勢は異常すぎます。



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