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WASHINGTON 通信(July 2004)皆さん、ご無沙汰しています。シドニーの後、ニュージーランドのオークランドに滞在し、その後、東京ディズニーランドを経由して故郷の八戸に到着しました。ここ数年は毎年8月に帰省していましたが、いつも八戸は雨ばかりで冷たい夏でした。でも今年は結構、天気がいいですよ。先週までいたシドニーの濃い青空とは比べ物になりませんが、八戸にも白い雲の合間に水色の空が広がっています。故郷で、こんな気持ちのいい空を見たのは何年ぶりでしょうか。最高気温は20℃前後で、今の時期、冬のシドニーと夏の八戸はちょうど同じくらいの気候ですね。 毎年そうですが、娘たちと帰省すると、僕は彼女たちと僕の両親との間で通訳を務めなければなりません。日本語が苦手な娘たちと、英語が分からない僕の両親とのコミュニケーションは聞いていて笑えます。今日も、次女が公園に行きたいと言って、「パーク、パーク」と叫んでいました。すると僕の母が、「フォークが欲しいの?何を食べたいの?」と台所からフォークを取り出してきたのです。まあ娘たちも、ジイちゃん、バアちゃんと話すときは、なるべく日本語を使うようにと健気な努力をしているみたいですけど。 故郷での僕の楽しみは、なんと言っても美味しい食事です。食べるものが全て美味しくて、太りそうです。昨日は、あるところでウナギの蒲焼をご馳走になりました。「ウサギ追いし」で始まる童謡の「ふるさと」を、思わず「ウナギ美味し」と歌いたくなりました。 シドニー、オークランド、そして日本での夏休みを終えて、約3週間ぶりにワシントンに戻りました。来週からの仕事復帰に備えて、この週末は時差調整に専念したいと思います。 休みの後はいつもそう思いますが、今回の夏休みも終わってしまえば「アッという間」でした。たったひとつの心残りは、6月末に訪れた東京ディズニーランドで、娘たちが楽しみにしていた打ち上げ花火が、強風のため中止になったことでしょうか。その代わりと言ってはなんですが、日本にいる間、ほぼ毎晩のように娘たちと花火をしていました。当然ながら打ち上げ花火ではなく、線香花火などの手に持ってやる花火です。 アメリカではこういう花火を売っていないので、娘たちは大喜びでした。どうしてアメリカで売っていないのか、詳しいことは分かりませんが、おそらくこういう火薬類は危険なので販売が規制されているのではないでしょうか。と、こういう話を故郷でしていたら、甥っ子のコーヘイが「アメリカでは銃が販売されているのに、どうして花火は売られていないの?花火は銃より危険なの?」という素直で鋭い質問を投げかけてきました。誰かこの質問に答えられる人がいたら、教えてください。 日本は明日、選挙ですね。実は僕は既に投票を済ませました。先週、夏休み中の故郷で「在外選挙人の国内投票」というのをしてきたのです。海外在住の日本人は、「在外選挙人」として登録した後、(1)在外公館投票、(2)郵便投票、(3)日本国内における投票のうちいずれかの方法で投票できるのです。僕は過去に、2000年6月と2003年の11月にワシントンの大使館で在外公館投票を体験しましたが、「在外選挙人としての国内投票」は今回が初めてでした。期日前投票の人たちに混じっての投票でしたが、在外公館投票より手続きが簡単でした。 日本での夏休み中、「この国を想い、この国を創る」というキャッチ・フレーズの書かれた自民党のポスターをよく目にしました。でも、本気で国のことを想っている政治家なんて何人いるのでしょうか。現実は、「自分の選挙区を想い、票田を創る」という政治家の方が多いんじゃないかという気がします。僕は、国政選挙なのに地元への利益誘導のことばかり口にする候補者には絶対に投票しません。これからの政治家に必要なのは、「地球を想い、この国を変える」、そんな意気込みだと思っています。そんな候補者はいないかなあ。 明日の日曜日、選挙に行こうぜ。投票に行くとビールが飲めるところもあるらしい。 今日は夏休み後、初めての出勤でした。約3週間ぶりだったので、エレベーターに乗り込んだとき、「あれっ、自分のオフィスは何階だったっけ」と、思い出すのに暫しの時間が必用でした。コンピューターを立ち上げると、案の定、受信ボックスにはメールが400通くらい来ていて、うんざり。これから数日のうちに大急ぎで、これらのメールをやっつけようと思っています。 出張や夏休みが続いたためスッカリ忘れていましたが、僕が豪州ブリスベン市への出向から世銀に戻って、二年が経ちました。出向するときに条件があって、それは、「世銀に復帰してから最低二年間は働くこと」というものでした。さもなければ、出向にかかった費用の一部もしくは全部を肩代わりしなければならなかったのです。でも、これで晴れて自由の身となりました。今やめても損はしません。別に今の仕事をやめる予定はありませんが、何かに縛られているよりは、やっぱり自由がいいですよね。 ニュージーランドの話題はこれくらいにして、今日から通常の「ワシントン通信」に戻ります。三週間の夏休みからワシントンに戻ってきて、ひとつ不思議なことがありました。三週間前とは、どうも木々の景色が違うのです。街中の街路樹といい、公園の植栽といい、枝先が茶色く枯れている木がやたらに目に付くのです。全部同じように、枝の先だけ20センチから30センチくらいだけが枯れています。特定の種類の木だけではなくて、かなりいろんな木が同じように枯れています。地面や歩道には、枯れ落ちた枝先が転がっているのです。「ワシントン界隈に変な害虫が発生したのだろうか」、「それにしても、どうして枝先だけが枯れているのだろうか」、と妙に気になっていました。 ![]() ![]() 先週、ご近所のデアンドラさんと話していて、この謎がようやく解けました。デアンドラさんが言うには、ワシントン界隈の木々の枝先が枯れているのは、あの17年ゼミのせいなんだそうです。そう言えば、あんなに大発生していた17年ゼミですが、今では全く見ません。あの大量のセミ達は、木々の枝先に卵を産みつけてこの世を去って行ったんだそうです。 デアンドラさんによると、セミは枝を切り裂くように卵を産み付けるため、卵が産み付けられた枝先の部分は枯れてしまうのだそうです。そして、枯れた枝先は地面に落ちて、卵からかえったセミの幼虫は容易に土の中に入っていけるという訳です。セミ達は、これを計算づくで木々の枝先だけに卵を産み付けるといいます。何と頭のいいセミ達よ。ワシントンでは、17年後にまたセミが大発生したあと、木々の枝先が枯れることでしょう。17年後、僕はどこで何をしているのだろうか。 昨日書いたように枝先が枯れた木々もよく目に付きますが、ワシントン界隈で最近よく見かける樹木がもうひとつあります。実は我が家の庭にもこの木が二本あるのですが、夏休みから帰って来たら花が咲いていました。小さな花がモコモコと束になって咲くので、遠くからは大きな花がモッコリと咲いているようにも見えます。うちの庭にこの木を植えてくれた造園屋さんによると、この木の英語名は「Crape Myrtle」。これを辞典で調べてみたところ、日本名は「サルスベリ」でした。道理で、サルが滑りそうなほど幹や枝がツルツルしています。とても面白い命名ですが、このユーモラスな日本名を付けたのは誰なんでしょうか。![]() 「サルスベリ」は漢字では「百日紅」と書くそうです。紅色の花が百日も咲くかららしいのですが、少なくともワシントン界隈で目にする「サルスベリ」には、紅色の花だけでなく、紫やピンク色のものもあります。ちなみに、我が家の庭に咲いているのは紫色の「サルスベリ」なので、さしずめ「百日紫」とでも書きましょうか。このサルスベリ、本当に百日も咲いているとしたら、少なくとも9月の末くらいまでは咲いていることになります。さて実際は、いつまで花がもつのか、ちょっと楽しみです。 アメリカのスーパー・マーケットで買い物をすると、レジで必ず「Paper or Plastic ?」と聞かれます。「紙にしますか、プラスチックにしますか?」ということですが、これは買った商品を紙袋に入れますか、プラスチックの袋(ポリ袋)に入れますかと尋ねているのです。選択肢があるのはいいことですが、「自分は絶対に紙袋がいいとか、いや絶対にポリ袋がいい」とかいう人はあんまりいないような気がします。僕も、気分に応じて「Paper, please」とか適当に答えています。まあ、スーパーの紙袋は新聞や雑誌などを入れてリサイクルに出せるとか、ポリ袋はゴミ箱の中袋として使うとか、いろいろ考えて決めている人もいるのかもしれませんけど。それにしても、アメリカのレジは遅いですね。レジに並んでいると全然進まないのです。レジの店員さんもかなり「inefficient」だし、買い物客の方も小切手やクレジット・カードで買い物をするので、サインをしていたりと手間がかかるのかもしれません。でも、10ドルや20ドルの買い物くらい、現金で払えよ。とまあ、気の短い僕はアメリカのスーパーでイライラすることが多いのです。ですから、たまに韓国人がやっているアジア系のスーパーなどに行くと、レジの店員さんの手際の良さに惚れ惚れしてしまいます。 昨日、妻がこの本を買ってきました。最近発売されたクリントン前大統領の「My Life」です。ワシントンではどこの本屋にも、この本が山積みされています。この本のPRのために、クリントンさんの巨大な顔写真を店頭に張り出している本屋さんもあります。とにかく分厚い本です。巻末の謝辞と索引を除いても、まだ957ページもあります。妻は何ヶ月かけてこの本を読破するつもりだろうか。僕は自分では、とてもじゃないけどこの本を全部読めそうもありません。でも、今日この本をパラパラとめくっていて、「プロローグ」の部分だけ読んでみました。そこにはこんなことが書いてありました。クリントンさんは、ロー・スクールを終えたばかりの頃、自分の人生で達成したい目標を決めたそうです。その時に決めた目標とは、「立派な男になる」、「いい結婚をし、子供に恵まれる」、「いい友を持つ」、「政治で成功する」、そして「偉大な本を書く」という五つだそうです。この「My Life」という本を書いたことによって、全ての目標を達成したと言えるのかもしれません。 もうひとつ。洋書には必ずありますが、この「プロローグ」よりも前のページに、「この本を誰々に捧げる」というのが書いてありました。母に、ヒラリーに、チェルシーにと続いて、最後には祖父に捧げるとありました。その最後の部分を訳してみます。 「『他の人が見下しているような人々さえも、尊敬するように。なぜなら、結局私たちはそんなに違わないのだから』、と私に教えてくれた思い出の祖父にもこの本を捧げます。」 先日、いつものように仕事から帰って、郵便受けから束になった郵便物を抜き出しました。その中に、少し大きめの四角い封筒が入っていたのです。妻に宛てられた郵便物でしたが、よく見ると封筒の左上には、「George W. Bush」という差出人の名前が書いてありました。そう、あのジョージです。 ちょっと驚きましたが、すぐ妻に渡して開封してもらうと、中味は大統領主催の「ディナー・パーティー」への招待状でした。要するに、選挙資金集めのパーティーへのお誘いだったのです。「面白そうだから行ってみたら」と妻に言いながら、よくその招待状を読んでみると、一人当たり2500ドルとありました。これじゃあ高すぎて、行きたくても行けないです。 それにしても、どうしてこの招待状が妻のところに来たんでしょう。どういう人を対象にして、この招待状を出したんでしょうか。どうして、僕には来なかったのか(ちょっと悔しい)。妻は、いくつかのアメリカのプロフェッショナル・アソシエーションなどの団体に所属しているので、そこから名簿が大統領の選対にまわったんじゃないかと言っていました。アメリカは、「政治の夏」を迎えたようです。 「Bumper Sticker (バンパー・スティッカー)」をご存知でしょうか。アメリカでは、車の後部バンパーに大き目のスティッカーを貼っている車をよく目にします。このスティッカーを「バンパー・スティッカー」と呼ぶのですが、この後部バンパーというのが、結構人目につくのです。そのためか、人々はこの「バンパー・スティッカー」を通して、実に様々なメッセージを訴えています。でも最も多いのは、政治的なメッセージが書かれた「バンパー・スティッカー」ではないでしょうか。特に今年は大統領選挙の年なので、政治がらみのものが多いのかもしれません。「KERRY 04」とか「BUSH 04」と自分の支持者を単に表明しているだけのシンプルなモノもありますが、中にはとても面白いモノもあります。 最近ワシントンで見かけた「バンパー・スティッカー」に、「 RE-DEFEAT BUSH 」というのがありました。「DEFEAT BUSH (ブッシュを負かせ)」ではなく、「RE-DEFEAT BUSH (ブッシュを再び負かせ)」です。この「バンパー・スティッカー」を見て、僕は去年スリランカで会った若いアメリカ人女性のことを思い出しました。彼女は紛争地ジャフナでボランティアをしていたのですが、「ブッシュは2000年の大統領選挙に勝利していない。だから、彼があの選挙後に大統領職に就いたことは『クーデター』に等しい」と熱く語っていたのです。彼女はカリフォルニアの出身だと言っていましたが、こういうアメリカ人もいるんですよ。 確かにあの2000年の選挙は、どうも後味の悪いものでした。だから、「ブッシュはあのとき負けていた」と言い張る人もいるのでしょう。「今度も負かせ」とはそういうことです。もしスリランカで会ったあの彼女が今アメリカに戻っているならば、彼女の車のバンパーには、「RE-DEFEAT BUSH」というスティッカーが確実に貼られているはずだと思います。 前回、「2000年の大統領選挙は後味の悪いものだった」と書きましたが、勝敗を決めたフロリダ州では、ブッシュとゴアの得票差はわずか500票あまりだったみたいです。それどころか、投票用紙のパンチカードの穴がうまく開かなかったり、機械がそれを読み取れなかったりで無効になった票が、全米で150万票とも600万票とも言われています。今年の選挙も接戦みたいですから、国際的な選挙監視団が公正さを判断できたらいいのになあと思っていたら、先週のワシントン・ポストに面白い記事が載っていました。 その記事によると、アメリカ民主党の何人かの国会議員が、国連のアナン事務総長宛てに書簡を送って、「11月の大統領選挙に国連の選挙監視団を派遣するよう」に要請したそうです。でも国連側は、国会議員個人の要請ではなく、一国の政府からの要請がないと、選挙監視団は派遣できないというのです。そしてアメリカの議会は、国連がアメリカ大統領選挙において選挙監視を行うという案を否決したそうです。僕なんかは、アメリカが国連の選挙監視団を呼ぶというのは、途上国のお手本にもなるし、とってもいいアイデアだと思ったのですが。 ということで、11月の大統領選挙で国連の出番はありませんが、ある民間団体が「Fair Elections」というプロジェクトを立ち上げ、世界中から選挙監視員になってくれる人を募っています。こっちに期待してみましょう。 僕の勤める世銀の Staff Association (労働組合のようなもの)が、「定年制は年齢による差別だ」として、定年制の廃止を求める決議案を採択しました。確かにあるポストをこなす能力も体力もあるのなら、高齢だという理由だけでその人を強制的に退職させるのは、「Age Discrimination (年齢による差別)」と言えなくもないのかも。脳みそと体力の衰えは個人差があることですから、一律にある年齢で線を引くのも、問題だと言えば問題です。現在、世銀の定年は62歳ですが、この組合側の決議を受けてこれから定年制がどう変わって行くのか、マネージメント側の出方に注目です。 それにしても、差別にはいろんな差別があるものです。人種差別、性差別、宗教による差別、年齢による差別、千切りキャベツ、紫キャベツ、などなど。そういえば、日本では就職活動のための履歴書には必ず顔写真を貼りますが、アメリカでは履歴書に写真は絶対に貼りません。これは、写真を貼ると人種が明らかになるので、人種差別で落とされるのを防ぐためだと言われています。僕のところにも、「あなたのプロジェクトでコンサルタントとして使ってくれないか」と履歴書が送られてくることが時々ありますが、写真は絶対貼っていないし、中には生年月日も書いてない場合が多いです。生年月日を書かないのは、年齢による差別を防ごうという狙いがあるのでしょうか。 でも、定年制が廃止されても廃止されなくても、僕は62歳まで今の仕事を続けようとは思いません。それよりもっと早く退職して、老後はオーストラリアあたりでのんびり本でも書きたいものです。 ワシントン近郊のこの家を購入してから、もう半年になります。最近は造園屋さんを雇って、前庭を綺麗にしてもらいました。その造園屋さんに日本庭園の写真を見せて、「庭の一角はこんなイメージもいいかな」と話していたら、本当にどこかから大きな庭石を見つけてきてくれました。この庭石の横には「もみじ」も植えて、このスポットだけは日本庭園風に見えなくもないです。 この庭石を置いた直後は、娘たちが面白がって石の上によく座っていました。石の上からひっくり返ったら危ないし、上るときに石の周りの植栽を踏みつけてダメにしてしまうので、「石の上には上らないように」と何度か注意していました。そしたら最近は、もう上らなくなりました。本物の石の上には上らなくていいけど、「石の上にも三年」という諺があるように、娘たちには辛抱強い人間になってもらいたいものです。 ![]() ![]() おととい、長女のパスポート更新の手続きをするために、ワシントンの日本大使館に行ってきました。そこで目にしたのが、「ハッキリさせよう、あなたの国籍」という日本国法務省のパンフレットでした。そのパンフレットには、(1)20歳になる前に重国籍となった場合は22歳に達するまでに、(2)20歳になった後に重国籍となった場合は重国籍となった日から2年以内に、国籍の選択をしなければならない、と書いてありました。さらに、「期限までに国籍の選択をしなかったときには、場合によって日本の国籍を失うことがあります」とも書かれていました。 僕の娘たちはどちらもワシントンで生まれていますので、現在はアメリカと日本の二重国籍です。彼女たちは、アメリカと日本の両方のパスポートを持っているのです。だから、成人に二重国籍を認めていない現行の日本の法律では、彼女たちは22歳になるまでに、どちらかの国籍を選ばなければいけません。そんなことは、とっくに知っていました。でも一昨日このパンフレットを見て、「こんな時代遅れの法律はいつかきっと変えてやる」と決意を新たにしたのです。 実は、オーストラリアも以前は二重(多重)国籍を認めていませんでした。でも、僕が豪州ブリスベンに住んでいた数年前、法律を改正して重国籍を認める準備が進められていました。オーストラリア政府は、オーストラリアの国際競争力を強化するためには、海外で活躍するオーストラリア人を支え、彼らの経験と知識をオーストラリアに持ち帰る機会を促すことが必要だと考えたのです。そのために、重国籍を積極的に認めようとしたのです。おそらく今では法律が変わって、これが現実のものになっているはずです(「ブリスベン通信〜二重国籍をどう思いますか?」参照)。こういうのが、「グローバルな時代」に相応しい政府の対応だと思いませんか。 さて、法務省のパンフレットに話題を戻しましょう。僕が一番頭に来たのは、「場合によって日本の国籍を失うことがあります」というあいまいな一文です。「場合によって」とは、どういうことでしょうか。重国籍者はどういう場合に日本の国籍を失うのかを、ハッキリさせてください。「ハッキリさせよう、あなたの国籍」なんていうパンフレットを作っておきながら、法務省だって全然ハッキリしていないではないですか。 かつて日本は各藩の縄張り意識が強く、藩と藩の境である関所を通るときは、当時のパスポートとも言える「通行手形」が必要でした。その藩が廃止され、現在の県境を越えるときにはパスポートは必要ないですよね。国境を越えるときだけには、なぜか国籍をチェックされてパスポートが必用になります。いつの日か、国境が県境のようにボーダーレスになる日は来るんでしょうか。やっぱり、パスポートのいらない世界が理想です。 ( http://www.keicho.com ) |