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  ブータン(October 2003)



二度目のブータン訪問 (2003/10/16)


 昨日のお昼頃ブータンに着きました。「ヒマラヤの秘境」と呼ばれるこの美しい国を訪れるのは、今年の3月以来二度目です。僕を乗せたブータン国営のドゥルック航空機は、前回と同様にヒマラヤの山々の間を縫うようにして、ブータンのパロ空港に着陸しました。それから車で2時間近くかかって首都ティンプーに移動し、前回と同じ中心街のホテルにチェックインしました。昨日の日中は陽射しが強く、ジャケットを着ていたら暑いくらいでしたが、今朝はかなり寒くて、思わずホテルの部屋にあった温風ストーブのスイッチを入れました。ドゥルック航空の機内誌によると、10月のティンプーは平均最高気温が22℃で、平均最低気温は10℃です。

ブータンの学生達 バンコックから乗ったドゥルック航空は、途中ヤンゴンとダッカに止まりましたが、この飛行機の機内で珍しいものを見ました。それは金属製のナイフです。2001年の9月11日以来、あらゆる航空会社は万が一のテロに備えて、機内食用のナイフをプラスチック製に替えました。あれ以来、何度もいろんな飛行機に乗りましたが、機内で金属製のナイフを見たのは、おそらく今回が初めてです。3月にドゥルック航空に乗った時の事はちょっと覚えていませんが、気づかなかったということは、おそらくプラスチックのナイフだったのではないかと思います。今回出てきたナイフは不必要に大きめで、しかも刃にはよく切れるようにギザギザまで付いていました。これは、「ドゥルック航空にテロリストが乗るはずがない」というブータン政府の自信の表れでしょうか。



ブータンで高山病 (2003/10/17)


 前回ブータンに来た時もそうでしたが、ブータンに来ると頭痛を感じます。軽い頭痛ですが、これはおそらく高山病の症状なのでしょう。一日ごとに痛みが和らいでいるので、もうじき治ると思います。

 こちらに来る前に世銀の医務室でもらった高山病対策のペーパーによると、標高1800メートルを越えると、75%の人が高山病にかかるそうです。症状は様々で、めまいや頭痛や食欲不振、疲労感などだそうです。今滞在しているティンプーは標高が2300メートルくらいなので、高山病にかかっても不思議ではないですね。実際、僕が担当しているプロジェクトで働く予定だったイギリス人のコンサルタントは、この高地での任務に身体がついていかずに、3ヶ月の契約なのに2週間で帰国したそうです。高山病対策は、よく眠り、炭水化物と水分を多く摂ることだそうです。ということで、昨夜はパスタを食べてきました。パスタって、確か炭水化物ですよね。



ブータンで松茸を食べる。 (2003/10/17)


 ブータンでは松茸がとれるんです。日本人観光客が買うのか、空港のあるパロのお土産屋さんの入り口に、「マツタケあります」と日本語で書かれていたのを見たこともあります。前回ブータンに来た時は乾燥松茸を買って行って、帰りに成田から故郷の両親に送りました。後で聞いたら結構美味しかったということなので、今回はワシントンまで持って帰ろうかと思っています。実はその松茸を、今日ティンプーのレストランで食べました。

 今日は、このホームページのおかげで知り合ったMasaさんお薦めの「シャモダチ(キノコと唐辛子をチーズで煮込んだブータン料理)」を絶対に食べようと思っていたのです(Masaさんは、以前ブータンで青年海外協力隊員として働いていたことがあり、ブータンで現地語の歌を作ったこともあって、ブータンでは伝説の日本人になっています)。その「シャモダチ」に使うキノコは、普通は松茸ではなく、もっとありふれた小さめのマッシュルームです。でも、宿泊中のホテルにあるレストランで交渉したら、特別に松茸で「シャモダチ」を作ってもらえることになりました。はっきり言って、これがとても美味しかったんです。繰り返しますが、本当に美味しかったです。

 ブータンには、「シャモダチ」のように何らかの具をチーズで煮込んだ料理がいくつかあります。唐辛子をチーズで煮込んだものは「エマダチ」、じゃが芋をチーズで煮込んだものは「ケワダチ」です。ブータンはその地形や気候、国の大きさが似ていることから、スイスと比較されて「東洋のスイス」などと呼ばれることもあります。これらのチーズを使ったブータン料理も、スイスのチーズ・フォンデュと通じるところがあるのかもしれません。



ブータンの新聞は週一回 (2003/10/18)


 今朝起きたら、ホテルの部屋のドア下に新聞が届けられていました。その新聞は「クエンセル」というブータンで唯一の新聞で、週一回だけ毎週土曜日に発行されます。ブータンの国語である「ゾンカ語」と英語、そしてネパール語の三種類で作られているそうです。僕に届けられたのは当然英語版で、タブロイド版のような小さめの紙面20ページからなるものでした。

 ちなみに今日の「クエンセル」の一面トップ記事は、「今年8月に92歳で亡くなった現ワンチュク国王の祖母の埋葬儀式が、ブムタンで始まった」というものです。僕は今回の滞在中にブータン中央部のブムタンまで行くことになっていますが、実はこの埋葬儀式の混雑を避けるために、ブムタン行きを少し遅らせたのです。その他の一面の記事を以下に掲載しておきます。ブータンでは今どういうニュースがあるのか、参考にしてください。

「ブータン国営のドゥルック航空が、新機体2機をエアバス社から購入する契約が成立した。」
「ブータン北部のガサという地域で、野良犬が家畜を襲い24頭のラバ、6頭の牛、2頭のヤクが殺された。」
「ブータン第二の街フンツリンで、ブータンのある会社がインドから輸入したビールに異物が見つかった。その会社は処分に困り、先週一万4千ケースのビールを街の排水溝に流したため、街がビールくさい。」



パロ浄水場の落成式 (2003/10/21)


 ちょっと仕事の話をします。今回のブータン訪問は、世銀が融資をしている「ブータン都市開発プロジェクト」のために来ています。僕がチーム・リーダーを務めるこのプロジェクトは、パロ、トンサ、ブムタン、ワンディなどブータンの中小都市ばかり10都市を対象にしているものです。各都市で浄水場やゴミ処理場、都市河川の堤防、道路などの都市インフラを整備し、同時にそれらを維持運営するゾンカックと呼ばれる地方行政組織を強化・育成するのが狙いです。最近このプロジェクトのもとで建設が行われていたパロの浄水場が完成し、昨日その浄水場で落成式が行われました。ブータンの建設・居住大臣やパロ地方区の知事らに交じって、僕も世銀を代表して出席してきました。

 その落成式は、まずいろいろな宗教的儀式で厳かに始まりました。次に大臣と僕が、取水パイプから浄水場に水が流れ込むバルブを開けたのです。そのバルブには白く長い絹のリボンが結び付けられており、僕と大臣がそのリボンを引っ張ると、リボンの結び目に米が詰められていて、その米がパラパラと舞いました。こういう場合、紅白のテープをカットするというのはよく見たことがありますが、米の詰まったリボンをほどくというのは、ブータンに独特のセレモニーなのだと思います。その後、サフロンで黄色く色づけられた御飯と、バター入りの紅茶が振る舞われました。

 パロなどこのプロジェクトがカバーしている街では、今まで浄水施設がなく、住民は川などの水を未処理で飲んでいました。このプロジェクトにより安全な水の供給が進み、住民の健康状態の改善も期待されています。建設されたインフラが持続的な効果をもたらすよう、さらに今後はソフト面の支援に力を入れていこうと思っています。具体的には、維持管理マニュアルの作成や、ゾンカックの維持管理担当組織やスタッフの育成、望ましい水道料金体系や料金徴収体制に関するアドバイスなどなどです。

 昨日は上記の落成式に出席するため、一日中パロで過ごし夜遅くティンプーに戻ってきました。今日はこれからティンプーを発って、トンサ、ブムタン、シェムガン、ティンティビというブータン中央部、中南部の街を三泊四日で周ってきます。道中インターネットが使えるかどうか、今のところ分かりません。



ブムタン谷にソナムを訪ねる。 (2003/10/23)


 ブムタンにニ泊したあと、シェムガンというブータン中南部の町に来ています。ブムタンに行ったら絶対に会いたい女性がいました。その人の名はソナム。自転車で世界一周を成し遂げた友人のタツが、1998年にブムタンを訪れた時に一目惚れしたという女性です。タツが出版した「やった。」という本の128ページには、当時まだ二十歳前だった美しいソナムの写真が載っています。あの写真を見た日から、彼女の笑顔は僕の脳裏にも焼きついていました。

 さて、ブムタンに着いた日の夜、タツから聞いていたソナムの電話番号に電話してみました。そして、翌日ソナムの家を訪ねることになったのです。初めて見た実物のソナムは、あの写真とはかなり変わっていて、とてもふっくらとしていました。それもそのはず、ソナムは母親になっていたのです。これを知ったらタツは悲しむかもしれませんが、彼女は2001年にジグミさんという地元のエリートと結婚し、ほんの一週間前に女の子を出産したばかりでした。ソナムは、「一ダースくらい子供がほしい」と笑顔で話していました。

ブムタン谷の風景 ソナムの家で、アラという地酒をご馳走になりながら色々な話をしました。ソナムがタツから送られてきたという「やった。」を引っ張り出してきたので、僕はその本でソナムについて書かれてあるところを英語に訳してあげました。彼女は頬を赤くしながら笑顔で聞いていました。ソナムは、「自分の夢は先生になることだ」とタツに話したそうですが、その夢がかなって本当に先生になっていました。以前は高校で教えていたそうですが、今は小学校の先生だそうです。その小学校というのが、なんと世銀の教育プロジェクトで建設された学校だったのです。もしかしたら、僕もソナムに縁があったのかもしれません。彼女は現在は出産休暇中ですが、休暇が終わるとまたその小学校で教えるということです。今度ブムタンに来る時は、彼女が教壇に立っている姿も見てみたいものです。

 余談ですが、ソナムにはウゲンという名のこれまた美しいお姉さんがいます。ウゲンはまだ独身で「available」だというから、早速タツに教えてあげようと思っています。



ブータンで雲の中を走る走る。 (2003/10/24)


 三泊四日でブータン中央部、中南部を巡り、首都のティンプーに戻ってきました。今回訪れたのは、僕の担当しているプロジェクトが進行中のトンサ、ブムタン、シェムガン、ティンティビという地方の町です。それぞれの町でゾンカック(地方行政体)の担当者とミーティングをし、多くのプロジェクト現場を視察し、住民にインタビューを敢行してきました。運転手のチェクさん、ブータン政府のラデンさんと三人で、険しい山道を車で次から次へ移動しての強行軍でした。

 初日はまずティンプーから東へ走り、トンサまで約6時間かかって辿り着きました。トンサで仕事をこなした後、ブムタンへとさらに東へ3時間近く走り、その日はブムタンに泊まりました。二日目は一日中ブムタンで仕事をし、その日もブムタンに宿泊。三日目は早朝にブムタンを発って、まずトンサの南にあるシェムガンまで約6時間ほど走りました。シェムガンでひと仕事を終えた後、さらに南のティンティビまで一時間走り、速攻で仕事を片付け、夜はシェムガンに引き返して宿泊しました。そして今日は早朝6時にシェムガンを出発し、途中二度ほど食事のためにストップしましたが、それ以外はひたすら走り続け、夕方5時頃ようやくティンプーのホテルに到着したのです。計算してみると、この四日間で合計約27時間を車中で過ごしたことになります。

ブータンのヤクの群れ この27時間、僕はただ助手席に座っていただけですが、運転手のチェクさんは本当にご苦労様でした。でも、彼にとってはこのくらいの移動は慣れたものだったみたいです。慣れないこちらは、はっきり言って疲労困憊です。ブータンの山道は10メートルおきくらいに曲がりくねった急カーブがあり、アップダウンも激しく、舗装もあったりなかったりでデコボコです。ですから、ただ座っているだけとは言っても、身体は上下、左右、前後に揺れっ放しなのです。カーブでの遠心力やデコボコの揺れから身体のバランスを保つためには、常に腹筋と背筋に力を込め、両足を踏ん張り、窓の上の取っ手を全力で握り締めていなければなりません。しかも、ハンドル操作を一歩間違えば深い深い谷底に転落しかねないというスリルもあって、助手席の僕はずうっとハラハラドキドキしていたのです。まるで27時間もジェットコースターに乗っていたようなもので、心身ともに消耗させられました。実はまだ、船酔いのように身体が揺れている気がします。

 そうは言っても、ヒマラヤの大自然の中をドライブするというのは滅多にできるものではありません。ヤクの群れや珍しい猿も目にしましたし、ヒマラヤの草花や大小の滝など、それはそれは美しい光景ばかりでした。標高が3千メートルを越えるブムタン付近では、気がつくと雲の中をドライブしていました。雲の中を飛行機で飛んだことは何度もありますが、車で通ったのは初めてで、とても貴重な体験となりました。



ブータンのノミに刺される。 (2003/10/26)


 土曜、日曜とブータンの首都ティンプーはずうっと冷たい雨が降っていました。もう雨季は終わったはずなのに、どうしたんでしょうか。まあ、この週末はホテルにこもってミッション・レポートを書いていたので、天気はどうでもよかったんですけど。世銀のプロジェクト・ミッションでは、ミッション中に発見したプロジェクトの問題事項、その問題の解決策、その解決策を実行するスケジュールなどを、ミッション中に必ずレポートに纏めなければなりません。そして、それらをミッションの最後に相手国政府と話し合い、それぞれについて合意して来なければならないのです。先ほど、ようやくそのレポートを書き終えました。ひとりで8ページくらい書きました。明日の月曜日、このレポートの内容をブータン政府と話し合い、最後の詰めを行います。

 この週末、レポート書きに専念していたと言っても、実はなかなか集中できませんでした。その原因はノミです。どうやらシェムガンで泊まった宿でノミに刺されたようなのです。金曜日の朝、シェムガンの宿で目を覚ましたとき「どうも右腕が痒いなあ」と思っていたら、土曜日になってどんどんどんどん右腕が何箇所も赤く腫れてきました。ブータン人に腕を見せたら、「おそらくノミの仕業だ」と言われました。右腕に20箇所くらいと胸の辺りに10箇所くらい、合計30箇所くらい刺されたようです。今でもとても痒いです。こんな痒さは経験がありません。蚊に刺された時より何倍も痒いです。これは本当にノミの仕業なんでしょうか。変な病気でなければいいなあと心から願っています。



ブータンに伝わる四匹の力 (2003/10/27)


 今日のティンプーは、週末の冷たい雨が嘘のように爽やかに晴れ渡りました。ふと見上げると、ティンプーの街を囲むようにそびえ立つ山々が、うっすらと雪化粧していました。週末の雨がこれらの山頂付近では雪だったらしく、今年の初冠雪となったようです。

ブータンに伝わる四匹の力 さて、ブータンに来てから次のような絵を何度か目にしました。その絵とは、象の背中に猿が乗り、その猿の上にウサギが乗り、そのウサギの上に孔雀が乗り、その孔雀がくちばしでリンゴの木のような果樹をつついているという絵です。最初はティンプーの寺院で見かけたんですが、トンサのホテルの壁にも同じ絵が描かれていました。この絵は「Power of Four(四匹の力)」と呼ばれる物語に基づいているものだそうで、おそらくチベット仏教に伝わる物語だということです。

 その物語というのが、ちょっといい話なので紹介します。まず孔雀が果物の種をまき、ウサギが水をやり、猿が肥料をやり、象がその果樹を外敵から守るんだそうです。やがてその果樹が生長し実をつけますが、この四匹とも高い枝になる果実に手が届きません。そこで今度は、この絵のように象の上に猿が、その猿の上にウサギが、そのウサギの上に孔雀が乗っかって、ようやく孔雀が果実に届くのです。その孔雀により収穫された果実を、四匹で分かちあって食べるという訳です。この話は、役割分担と協力の大切さを実に鮮明に教えてくれています。

 思えば僕がブータンでやっている仕事も、この役割分担と協力によって成り立っていると言えます。象と猿とウサギと孔雀は、世銀とブータン政府と地方行政体と住民に置き換えられるのです。世銀が都市開発に必要な資金と知恵を貸し、ブータンの中央政府は政策的支援や必要な計画作りをし、ゾンカックと呼ばれる地方行政体は実際に工事や維持管理を担当し、そして住民は受益者として水道料金などを負担する。これはかなり簡素化した構図ですが、このうちのどれが欠けてもプロジェクトは成り立ちません。それぞれが違った役割を果たしながら、パートナーとして力を合わせる。その大切さを、改めて今ブータンで学んでいます。



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