フロントページワールド通信>ブータン(2004/4)
WORLD 通信

  ブータン(April 2004)



ブータンでトム・クルーズになる (2004/04/19)


 バンコックからカルカッタを経由して、昨日のお昼頃ブータンに着きました。このヒマラヤの美しい小国に来るのは、今回が三度目です。

 いつもそうですが、ブータン国営のドゥルック航空がパロ空港に着陸する直前は、かなりヒヤヒヤします。ヒマラヤの山々の間を縫うようにして飛行機が高度を下げるので、機内の窓から見ていると目前に山肌が迫り、山に衝突するんじゃないかと思うこともしばしばなのです。山ばかりのブータンには、滑走路を作れるほど長く平らな土地は西部のパロだけにしかないそうです。だから空港はパロにしかありません。あとの国内の移動は、曲がりくねった山道をひたすら車で走るしかないのです。

ブータンの人々 ブータンに来るといつも、タイムマシンに乗って何百年か昔にさかのぼったような錯覚を感じます。この国の景色にも起因しているのでしょうが、着物のような民族衣装を着た無口で素朴で暖かい人々がそう感じさせるのかもしれません。昨日、空港のあるパロからティンプーに移動中、山あいの集落を行き交うブータンの人々を車中から眺めていたら、「あれっ、こういう光景は最近どこかで見たなあ」と思いました。よく考えてみると、「ラスト・サムライ」に出てくる19世紀の日本の光景に、どことなく似ていたのです。という訳で、あの映画の中のトム・クルーズが「サムライ文化」に対して感じたのと同じような畏敬の念を、今ブータンで感じています。



ブータンは国中まるごと世界遺産 (2004/04/20)


 独自の伝統文化を守ることに熱心なブータンには、厳しいドレス・コードがあることは以前書きました。同じように建築物に関しても、とても厳しい基準があります。従ってブータンの建物は、全て歴史的文化遺産であると言っても過言ではありません。ブータン建築の様々な特徴の中で、特に僕が好きなのは窓の形です。ブータンの窓は、かならずガラスの外側に枠がついていて、その窓枠がとてもユニークな形をしているのです。この窓枠の形を言葉で説明するのはかなり難しいのですが、上側が鍋の蓋のようにと言いますか、ダルマさんのようにと言いますか、大小の半円を重ねたような形になっているのです。言っておきますが、ブータンにある全ての建物の全ての窓には、必ず同じ形の窓枠がついています。公衆便所の窓にだって、この窓枠がついているのです。そこまで徹底しているのは本当に凄いことだと思いませんか。本気で文化を守るというのは、こういうことなのでしょう。

ブータンの歴史的建築物ブータンの窓枠

 ブータンは、ユニークな民族衣装や建築物だけでなく、その自然環境といい、祭りや食文化といい、「国民総生産より国民総幸福を目指す」という国家コンセプトまで、全てが貴重すぎるくらい貴重です。言わば、国中まるごと世界遺産みたいなものなのです。どうか、テレビやインターネットの普及に負けないで、独自の文化を守り続けてほしいと願わざるをえません。



ブータンの遅すぎるインターネット (2004/04/21)


 ブータンのインターネット事情については以前も書きましたが、ティンプーに来るたびに「インターネット・カフェ」の数が増えていることに気づきます。昨日も街を歩いていて、新しいインターネット・カフェを発見しました。もうこのトレンドは止まりそうにありません。

 僕はブータンに来るたびに、ブータン唯一のインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)である「DrukNet」と短期契約を結ぶことにしています。なぜなら、ブータンにはAOLなど外国のISPのアクセス・ポイントがひとつもないし、インターネット・カフェでは日本語が書けないからです。

 ブータン人の忍耐強さとも関係しているのかもしれませんが、ブータンのインターネットは恐ろしく遅いです。自分のラップ・トップを使うとインターネット・カフェよりは少しはマシですが、それでも遅すぎる。ブロード・バンドに慣れてしまった自分には、かなり苦痛です。僕は今までいろんな国でインターネットを試しましたが、ブータンのインターネットが世界一遅いです。あんまり遅すぎて、例えばインターネット上でメールをチェックできるはずの世銀のウェブメールは、ブータンでは使えません。世銀のウェブメールはセキュリティ上の理由で、3分間アイドル状態が続くと自動的にログ・オフするように設定されています。でも、ここブータンではページが開くのに3分以上かかることェ多いので、開く前にログ・オフしてしまうのです。

 という訳で、当サイトの更新も一苦労です。ワシントンでは5分でできる更新も、ブータンでは30分くらいかかるのです。ですから申し訳ありませんが、ブータンにいる間はコメントや質問をいただいても返事は書けません。更新だけに専念したいと思いますので悪しからず。でもコメントくださいね。あとで必ず返事を書きますから。



信号機のない国 (2004/04/22)


 ブータンの首都ティンプーの街を歩いていて、ちょっと気になることがあります。それは、ティンプーの街並みと自動車とのミスマッチです。先日書いたようにブータンの建物は、独自の文化を守る厳しい建築規制によって、どれも歴史的建造物のような美しい建物ばかりです。そういった歴史的街並みに、人工的としか言いようのない「金属のカタマリ」である自動車は、どうも相応しくないと感じているのです。

 最近、ティンプーのメイン・ストリートは拡張工事が完了し、それに伴い路上駐車が可能になりました。このためにそのメイン・ストリートは、歴史的街並みの前にずらりと「金属のカタマリ」がいつも並んでいます。せめて駐車場は、メイン・ストリートからは見えないような位置にするなどの配慮はできなかったのでしょうか。ブータンの街並みには、自動車ではなく人力車とか馬車が似合うはずです。

ティンプーのおまわりさん そうは言っても、まだまだブータンは交通量も少ないし、街を走る車もノロノロ運転です。実は、ブータンには信号機がありません。いや、断定はできませんが、首都のティンプーにないくらいだから、おそらくどこの街にもないはずです。世界中でも、信号機がない国なんてブータンくらいじゃないでしょうか。

 信号機がないということで、街中に何箇所かある交差点では、おまわりさんが交通整理をしています。交差点の真ん中に建てられたガゼボのような建物の中で、ヘルメットをかぶったおまわりさんが、しきりに両手を動かして車を誘導しているのです。こういう光景は、なんとものどかでいいですね。

 でも、この街に来るたびに、ティンプーの交通量は確実に増えているなあと感じます。いつかこの街にも信号機ができて、あの交通整理のおまわりさんがいなくなるのかと思うと、ちょっと残念な気がします。



ヒマラヤの雲間を走る (2004/04/26)


 先週金曜日に首都のティンプーを出発し、ワンディ、トンサ、ブムタンというブータン中央部の街をまわって先ほどティンプーに戻ってきました。約半年前にも同じ行程をドライブしましたが、ティンプーからワンディまでが2時間半、ワンディからトンサまでが4〜5時間、トンサからブムタンまでがさらに2時間と、ひたすら曲がりくねったデコボコの山道を、上へ下へと走ってきました。途中、山道でのパンクなどもあり、当初の二泊三日の予定が三泊四日になってしまったのです。

 世銀は現在、今回訪れたワンディ、トンサ、ブムタンなどの街で、水道やゴミの収集・処理などの住民サービスを向上させるためにプロジェクト融資を行っています。そのプロジェクトの進捗状況を把握するため、浄水場などの工事現場を視察し、各県の知事やスタッフとミーティングをして、プロジェクトの問題点や今後の方策を話し合ってきたのです。

ヒマラヤ連峰 山道を走りながらランド・クルーザーの高度計を見ていたら、一番標高の低いワンディのあたりは1900メートルで、ブムタン付近では3600メートルを超えました。これだけ高度が違うので当然気温も全く違い、ワンディでは暑いくらいでしたが、ブムタンでは朝晩はとても寒く薪ストーブを使いました。そういえば中学か高校の時に、「高度が100メートル上がると気温は約0.6℃下がる」と習った覚えがあります。

 ブータンの山道のドライブは本当に体力を消耗しますが、それを補っても余りあるような素晴らしい景色に出会えます。遠くには雪をかぶったヒマラヤ連峰、近くには高原の珍しい草花や、美しい渓流、滝など、こういった景色を眺めていると長いドライブの時間を忘れさせてくれます。雲の中を走ったり、雲を見下ろしながらのドライブも珍しい体験です。ブータンの山奥のような滅多に行けないところに行けて、滅多に見られない景色を見られるのも、この仕事の役得かもしれません。でも本音を言えば、仕事ではなく休暇で来たいものですね。



ヒマラヤの草花に肥やしを与える (2004/04/27)


 中央ブータンまでの三泊四日のフィールド旅行の最中、とても困ったことがありました。昨日も書いたように、ブータンでは街から街へ移動するのには、何時間も山道をドライブしなければなりません。今回はトンサとブムタンの間で、最高5時間近くも走り続けました。従って、ドライブ中にトイレに行きたくなると大変困るのです。山道にトイレなどありませんし、たまに出くわす民家を訪ねても、そういう家にもまずトイレなんてない場合が多いのです。

 一応、水分をなるべく摂らないようにするとか、朝はなるべく食べないようにするとかしても、自然の摂理には逆らえず便意はやってきます。そういう時には仕方がないので、車を止めて林の中に入って行き、そこで用を足すしかありません。当然僕もやりましたが、男性も女性もそうするしかないのです。ちょっと抵抗はありますが、ヒマラヤの草花に肥やしを与えていると思ってポジティブに考えることにしましょう。


 さて、今日ティンプーの国連オフィスに勤める日本人女性とランチをしていて、「ブータンで山道を移動する時は、トイレに困りますね」という話を僕が切り出しました。すると彼女に、「どうして困るの?あんな大自然の中で用を足せるほど気持ちのいいことはないじゃない」と言われてしまいました。なるほど、ブータンに住むということは、そういう域に達することのようです。


 それにしても、山道で見つけたヒマラヤの春の花々は、実にいろんな種類があるものです。高度によっても、当然ながら咲いている花の種類が異なります。名前を知らない花もたくさんありました。ああいった花々も、もしかしたら僕の前に通った誰かの肥やしで育っているのかもしれませんね。



ヤクを知らないヤクの専門家 (2004/04/28)


ブータンのヤク ヤクという動物をご存知でしょうか。高地に住む毛深い牛のような珍しい動物です。毛深いため寒い土地にしか住めず、冬場はかなり低いところまで下りてくるそうですが、夏場は気温の低い高地に暮らします。先週、トンサからブムタンへ行く途中の3000メートルを超える高地で、何度もこのヤクを見かけました。ブータンには、このヤクに関して面白いジョークがあります。それをちょっと紹介します。

 あるロシア人のヤク専門家が、FAO(国連食糧農業機関)の招きでブータンにやってきました。彼はヤクを利用した畜産業をブータンに導入する目的で、やってきたのです。彼はブータンに着いて早速、ヤクの生息する高地に出かけていきます。そこで彼は毛深い動物を見かけ、「あの奇妙な動物は何ですか」と同行したブータン人に尋ねました。そのブータン人は、「あれがヤクですよ」とロシア人のヤク専門家に教えたのは言うまでもありません。

 ヤクの専門家がヤクを知らなかったというこのジョークを、僕はブータンで少なくとも2〜3回聞いたことがあります。このジョークは単なる笑い話ではなく、ブータンに相応しい大事な教訓を暗示しているような気もします。それは、「安易に外国の専門家や知識を導入しようとせず、まずは現地に根付いた伝統的なやり方を尊重すべし」ということかもしれません。これは何も畜産業だけに限らず、あらゆることにあてはまるでしょう。僕も、「ロシア人のヤク専門家」にならないように、現地の人々の声に真摯に耳を傾けたいと思います。



山の上の龍宮城 (2004/04/29)


 ブータンの各県の中心には、「ゾン」と呼ばれる巨大なお城のような建物があります。この「ゾン」は地方行政のオフィスであるとともに、多くの僧侶が生活をしている宗教活動の中心でもあるのです。要するに、県庁とお寺が合体したような不思議な建物なのです。この「ゾン」は軍事的拠点でもあったためか、大抵は山の上か山の中腹に建っています。こういう所にこういう巨大な建築物を建てるというのは、資材を運ぶだけでも相当の労力だったでしょう。僕はブータン各地の「ゾン」を見るたびに、何故か浦島太郎の龍宮城を連想してしまいます。でもあれは海の中、こっちは山の上ですが。

トンサのゾン



ホームページが結ぶブータンゆかりの日本人 (2004/05/03)


 ブータンのパロ空港から、カルカッタ、バンコック、成田と経由して先ほどワシントンDCに戻りました。ワシントン・ダレス国際空港で入国審査の際、人を見下しからかうような態度の入国管理官に接し、「ああブータンの人々は暖かかったなあ」と今更ながら思い出しています(注:アメリカ人にだっていい人はいますよ。でもこの国は、いい人の割合がブータンよりかなり少ない気がします)。

 ブータンの遅すぎるインターネット事情により、ブータンからはゲストブックに寄せられた質問やコメントへの返事を書き込めずにいました。これらの質問やコメントへは明日にでも返事を書きますので、申し訳ありませんが今しばらくお待ちください。

 さて、今回のブータン滞在中にお会いした何人かの日本人より、この「Local & Global」のサイトについて言及していただきました。まず驚いたのが、JICA(日本国際協力機構)ブータン事務所所長のスギモト氏のお言葉でした。僕が名刺を差し出すと、「あのホームページの慶長さんでしょ。僕は去年12月にブータンに赴任したばかりですが、赴任前は慶長さんのサイトでブータンについて勉強しました」と言うではありませんか。恐縮です。

 次にティンプーのホテルで偶然出会ったADB(アジア開発銀行)のウエダさん。またまた名刺を差し出すと、「えっ、あの慶長さん?ホームページ拝見しています」という嬉しいお言葉。ADB本部があるマニラから来ていたウエダさんは、僕の大学の後輩ということも分かって話が弾んだのは言うまでもありません。さらに、UNDP(国連開発計画)のティンプー事務所に勤務するテラダさんからも、「ホームページ、よく見てますよ」と言っていただきました。

 そういえば、ブータン滞在中に現地語で「クズザンポ(こんにちは)」という歌を作り、今でもその歌がブータンのテレビで流れるという元青年海外協力隊員のマサさんと知り合ったのも、このホームページがきっかけでした。それから、ブータンゆかりの日本人と言えば、この人を忘れてはいけません。そう、「4年3ヶ月も有給休暇をもらい世界一周5万5千キロを自転車で走ってきちゃった男」こと坂本達である。僕は今回のブータン滞在中、仕事の合間を縫って、達がブータンで計画している「恩返しプロジェクト」を立ち上げられるべく、いろいろな根回しに努めました。

 それにしてもインターネットの威力は凄い。ひとつのホームページが「ブータン」というキーワードをめぐって、ワシントンとティンプーとマニラと東京と大阪を結んでしまう。こうやって結ばれた人たちが意を同じくすれば、ブータンのために、いや世界のために何かできるような気がします。うん、きっとできる。



子供の笑顔を増やす仕事 (2004/05/05)


 世銀のウォルフェンソン総裁は1995年の就任当初、「世銀の業務内容を測るモノサシは、難解な統計などではなく、途上国の子供たちの笑顔である」というようなことを言いました。要するに、世銀の業務が成功すればするほど、途上国の子供たちの笑顔が増えるはずだというわけです。このウォルフェンソン総裁の言葉は、ブータンの国家目標である「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)」にそっくりそのまま通じるところがありますよね。なぜなら笑顔というものは、金銭的な裕福さによってではなく、幸せな心によってもたらされるはずだからです。

 今回のブータン滞在中も、道端で、街の広場で、オフィスの裏庭で、多くの子供たちに出会いました。僕は途上国に行くとよく子供たちの写真を撮るのですが、貧しくても思いっきり明るい彼らの笑顔には、いつも励まされます。ウォルフェンソン総裁の言葉を借りれば、彼らの笑顔を増やすのが僕の仕事なのに、逆にこっちが笑顔を分けてもらうこともしばしばなのです。

 ということで、これで今回の「ブータン通信」は終わりにします。次回からはまた「ワシントン通信」としてお送りします。それにしても今回のブータン滞在中、ブータン政府のカウンターパートが渋い顔ばかりしていたのは、どういう訳だろうか。別に僕が無理難題をふっかけたり、厳しい交渉ごとを持ち出したりしたわけでもないのに。まあ、いいや。ボスによれば、僕の仕事は途上国の子供たちの笑顔を増やすことであって、途上国の役人たちの笑顔を増やすことではないのだから。

ブータンの子供たちブータンの子供たち



Local & Global〜地方公務員から転身した国際公務員のサイト
( http://www.keicho.com )