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  スリランカ(October 2002)



戦地ジャフナより無事帰還 (2002/10/06)


 バングラデシュのダッカを発ち、バンコック経由でスリランカのコロンボ空港に到着したのが、10月2日の深夜でした。ホテルにチェックインしたのは、10月3日の午前2時近くです。一睡もしないまま、その日の朝5時にコロンボを出発して陸路ジャフナへ向かいました。スリランカ最北部のジャフナは、ご存知のように、タミールの虎とスリランカ政府軍が戦闘を繰り返していた主戦場です。今年2月の停戦合意を経て和平交渉が徐々に進む中、内戦で壊滅したスリランカ北部地域の緊急復興支援プログラムを世銀が中心となって進めるべく、急遽僕がジャフナへ行くことになりました。

 停戦合意がなされたとは言え、地雷が10万個も埋められている地域で、まだまだ何が起こるか分からないので、UNと車体に大きく書いたトヨタのランド・クルーザーの前後に大きな国連旗を結び付けての出発です(世銀は国連の専門機関なんです)。20年近い内戦の間、全く維持管理のなされていない凸凹道路を通って、約9時間かかってジャフナの国連寄宿舎に到着しました。途中何度も、スリランカ政府軍とタミールの虎双方のチェックポイントを通り、「地雷に注意」とか「地雷撤去済み」とか書かれた無数の看板を目にしました。

 ジャフナの国連寄宿舎に着くとすぐに、国連のセキュリティ・ブリーフィングがありました。そこで言われたことは、第一に地雷に注意すること。そのために、地雷が埋まっているかもしれないので、舗装されている道以外は歩かないこと。そして、地雷が落ちているかもしれないので、自分が落とした物以外は拾わないことでした。第二に、酔っ払った兵士達に注意すること。和平プロセスが進むに従い、兵士達はやることがなくなり、昼間からアルコール類を飲んで酔っ払っていることが多いんだそうです。そんな兵士にからまれたら、撃たれる事だってあるというわけです。あとは、マラリアやデング熱を媒介する蚊や、ジャフナには多くの野良犬がいるので、それらにも注意すること等々でした。

 2泊3日の滞在でしたが、やはりジャフナの街は悲惨な状況でした。多くの建物が破壊されて、内戦の激しさを物語っていました。街には、そこいら中を軍人が行き交い、国際赤十字や国境なき医師団、UNHCRなど人道援助機関のオフィスも多くありました。

 今朝6時半にジャフナを出発し、途中内戦のためジャフナ地区から逃れてきた人々を収容している難民キャンプを視察して、夕方の5時頃コロンボのホテルに戻りました。これを書きながらドッと疲れが出てきたところです。難民キャンプにいた子供達の中には、ビー玉で遊んでいる子供もいました。子供達は、帰り際には「バイバ〜イ」と皆元気よく手を振って、僕を追いかけて来ました。悲惨な状況にもかかわらず、屈託のない笑顔を見せてくれる子供たちに出会うと、こちらが救われたような思いがします。あの子供たちがジャフナに戻れるような日はやってくるのでしょうか。きっとやってくると信じます。



仕事三昧、肩凝り二枚 (2002/10/08)


 昨日の日曜日は、三週間の今回の出張期間中で唯一の休日でした。休日と言っても、ミーティングや現場視察がないだけで、朝から晩まで仕事三昧でした。どこにいてもEメールが追っかけてくるからです。実際、今はスリランカにいますが、昨日はバングラデシュやらブータンやらの仕事をEメールで処理していました。「Eメールなんかなければ、もっとのんびりできるのに」と、この文明の利器を発明した人物が恨めしく思えてきました。実際、Eメールは便利なんだか不便なんだか、どっちなんでしょう。結局、仕事が一段落したのは深夜の12時頃でした。ホテルの部屋でずうっとコンピューターに向かっていたせいで、酷い肩凝りに悩まされています。いつもの事とは言え、出張中は、ワシントンにいる時とは比べ物にならない程の長時間労働です。



垂直に消えた人と、水平に消えた人。 (2002/10/09)


 今、スリランカの内戦に関するある統計を見ています。スリランカ政府軍とタミールの虎が20年近くも衝突を繰り返していたため、かなりの犠牲者が出ています。死者は6万5千人。主戦場となった北部や東部の州から逃げた人は、150万人。このうち、70万人がスリランカを離れたといいます。そして17万人以上が今でも難民キャンプでの生活を強いられています。

 これに関連して、あるスリランカ人がこんな事を言っていました。この内戦のため、彼の友達の多くが消えてしまったと言うのです。その消え方には2種類あって、垂直に消えるか、水平に消えるかのどちらかなんだそうです。垂直に消えた人とは、亡くなって天にのぼった人。水平に消えた人とは、国を出て外国に逃れた人の意味です。なかなか上手いことを言うなあ、と思ったのですが、ジョークとして笑えないところがかなり虚しいです。



ゴールデン・ガール (2002/10/10)


 まだスリランカにいます。今は、ホテルのミニ・バーに入っていた月桂冠の生貯蔵「冷酒」というヤツをちびりちびりとやりながら書いています。ラベルには、「アルコール分14度、品質保持のためUVカット壜使用」とあります。コロンボでやる日本酒も結構イケますね。

 まあそれはよいとして、あれは数日前のことでした。世銀のコロンボ事務所が入っているビルの一階にあるテレビの前に、沢山の人だかりができていました。どうやらスポーツ中継のようでしたが、あんまり気にせずオフィスに向かいました。翌日のスリランカの地元英字新聞で、あんなに沢山の人たちが集まっていた理由が分かりました。韓国の釜山で開催されているアジア大会の陸上女子100メートルで、スリランカの選手が金メダルを取ったのです。彼女の名前は、スサンティカ・ジャヤシンゲさん。自己の持つアジア記録を更新し、11秒15で100メートルを駆け抜けました。それ以来、こちらの新聞は「ゴールデン・ガール」と称し、スサンティカさん一色です。彼女はシドニー・オリンピックでもメダルを取っているそうで(確か銅メダル)、次の目標はオリンピックでの金メダルだそうです。笑顔が可愛いお嬢さんで、僕もいっぺんにファンになってしまいました(でもちょっと筋肉がスゴすぎる)。次のオリンピック、スリランカのスサンティカさんに注目です。



金だけでなく知恵も出す。そしてもちろん汗も流す。 (2002/10/15)


 内戦で破壊されたスリランカ北部地域の緊急復興プログラムを進めている世銀が、今週水曜日に、旧首都のコロンボでドナー調整会議を招集しました。これには、世銀や国連諸機関、アジア開発銀行などの国際機関の他に、日本やドイツ、オランダ、アメリカなどの主要援助国も参加しました。その会議の中で、何度も「スリランカはアフガニスタンではない」という言葉を耳にしました。テロ、空爆、そして復興支援という流れを経て国際社会が大注目するアフガニスタンと、同じ戦後の復興ということだけで何もかも比べられては堪らないというのです。

 しかしながら、「スリランカはアフガニスタンではない」というその言葉とは裏腹に、スリランカ北部地域の復興支援は「ミニ・アフガニスタン」の様相を呈してきました。地元の新聞によると、まず、近々ノルウェーのオスロで、スリランカ北部地域復興のための国際会議が開催されるらしいのです。そして、来年早々にもあのアフガニスタンの時と同じように、日本で資金集めの援助国会議が行われるということです。既に日本政府は、元国連事務次長であの東京都知事選で惨敗した明石康さんをスリランカ北部復興の担当官に任命して、その明石さんが来月スリランカにやって来るんだそうです。う〜ん、やっぱりこれは「ミニ・アフガニスタン」だ。アフガニスタンにとっての緒方貞子さんの役を、スリランカでは明石さんがやるという訳です。

 コロンボでの水曜日の会議では、2時間ほどの会議の間、日本の代表はひと言も発言をしませんでした。発言をしなかったのは、その日本の代表者くらいのものでした。日本は、金額ベースでは世銀などの国際機関をはるかに上回る額の援助をこの国に注入しているといいます。スリランカ最大の援助国なのです。それなのに、こういう場でどうしてもっと積極的に関与しないのか。日本人として、ちょっと歯がゆい思いをしました。金だけでなく知恵も出す。そしてもちろん汗も流す。そうじゃないと、「顔が見えない日本の援助」はいつまで経っても感謝されません。



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