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  南アフリカ(May 2005)



暗黒のヨハネスブルグ (2005/05/09)


 急な出張で、南アフリカのヨハネスブルグに来ています。空港近くのホテルにチェックインした途端に大停電。先が思いやられますが、とりあえず、ロウソクの火を頼りに、これを書いています。

 ワシントンを発ったのは、母の日でした。出発直前に、「どうしてパパは、いつもどっかにいなくなるの?」と6歳の長女に聞かれました。「仕事だから、しょうがないでしょ」と言うと、「じゃあ、仕事を変えなさい」だって。「Change your job!」と大声で言われてしまいました。ちょっと考えてしまいますね。



南アフリカの東ロンドン (2005/05/10)


 今朝早くヨハネスブルグを発って、南アフリカの東南部にある「East London(東ロンドン?)」という街に着きました。実は、南アフリカ航空に載せたはずの僕のスーツケースが、またまた届きませんでした。乗り換えもなしに一直線に飛んできて荷物が届かなかったのは、初めての経験です。今日は朝一番で9時から地元の市役所とミーティングがあったのですが、荷物がないので着替えも出来ず、仕方なしにジャケットもネクタイも着用せずに出席しました。幸いなことに、ミーティングが終わってお昼頃ホテルに戻ったら、スーツケースが届いていてホッとしました。

 今回の急な出張の目的地は、インド洋に面した、ここ東ロンドンだったのです。正式な行政区域名はバッファロー市といいますが、この市は、東ロンドンと周辺のいくつかの町が合併してできた新しい自治体です。南アフリカはアパルトヘイト時代から、白人中心の居住地域と、いわゆるタウンシップと呼ばれていた黒人居住区がはっきりと分かれていました。行政組織もそれぞれ別々だったので、アパルトヘイト終焉後は、政府の方針でそれらを統合する目的の市町村合併がいくつも行われたのです。タウンシップ地域の行政サービスは、インフラ整備不足もあって、望ましいレベルにはほど遠いと言えるでしょう。「合併によって編入された周辺地域の行政サービスをいかに向上させるか」、これは日本の市町村合併にも共通するテーマだと思います。



数字で見る南アフリカのエイズ危機 (2005/05/12)


 都市計画に欠かせないのが、その都市の将来人口の予測です。将来人口は大抵の場合、自然増加(出生数マイナス死亡数)と人為的増加(外部からの流入人口)に分けて予測されます。僕が現在滞在している南アフリカのバッファロー市の人口予測資料を眺めていて、自然増加がマイナスであることが目に留まりました。要するに、死亡数が出生数を上回っているのです。しかも、年々死亡者数が増えていきます。これは、まさしくエイズが原因なのです。

 南アフリカのエイズ危機については何度も耳にしていましたが、ここまで深刻だとは思ってもいませんでした。エイズによる人口減少というように、数字で表されるとその深刻さがハッキリしますね。いろいろな資料から、南アフリカ共和国全体のHIV/AIDS感染の実態を表す数字を、さらに拾ってみました。

・国民全体の約12%が感染している。
・妊婦の4人に一人が感染している。
・性的にアクティブな年代の約22%が感染している。
・10万人の赤ん坊が感染している。
・毎日約700人ずつ新たな感染者が増えている。
・国民の平均寿命は現在約50歳だが、15年後には約40歳に落ちる。


 さて、これだけ深刻ですから国も自治体もエイズ対策や感染予防に必死になっているはずです。その予防策の一端を、バッファロー市役所のトイレで発見しました。トイレの壁に「Condoman Condotainer(Condom Container)」という容器が設置され、誰でも無料でコンドームを入手できるようになっていたのです。この容器に描かれた「コンドーマン」というふざけたようなキャラクターが、問題の深刻さをほんの一瞬だけ忘れさせてくれました。

トイレに設置された無料コンドームの容器コンドーマン無料のコンドーム



アフリカの蹄の底にいます。 (2005/05/13)


アフリカ大陸 帚木蓬生氏の小説で知りましたが、南アフリカには「アフリカの蹄(ひづめ)」という別称があるそうです。なるほどアフリカ大陸の一番下にあるから、そう呼ばれるのも納得できます。僕が今いるのは、その蹄のさらに底のあたりで、バッファロー市の東ロンドンという町です。インド洋に面した温暖な気候の地で、今は冬ですが、一日の最低気温は摂氏15℃〜20℃くらい、最高気温は天気がよければ30℃に達します。地元の人は、15℃を下回ると「非常に寒い(very very cold)」と感じるそうです。

 僕がアフリカ大陸に来たのは本当に久しぶりです。実は世銀に入った当初、僕の最初の担当は東アフリカでした。あの頃、エチオピア、エリトリア、ジブチ、ケニアなどの国々を訪れました。最後にエリトリアに行ったのが1995年の春頃ですから、今回は実に10年ぶりのアフリカになります。

 あの頃、何度かアフリカで病気になったのを覚えています。ジブチでは高熱と悪寒で地元の病院に担ぎ込まれました。その病院の体温計は、丸いリトマス試験紙みたいなのを額に貼り付け、色の変化で温度を計るものでした。その体温計を使った黒人の看護婦さんは、僕の熱は37.5度だから平熱だと言ったのです。その病院に来る前、僕が持っていた日本製の体温計で計ったときは39度近くありました。そう伝えても、看護婦さんは「37.5度だから平熱だ」の一点張り。「百歩譲って僕の熱が37.5度だという結果を受け入れたとしても、僕の平熱は36度だから立派に発熱してるじゃないか」、と言ったところで、ふと思いました。アフリカの黒人は平熱が高いに違いないと。

 気温15℃で「非常に寒い」と言っていた南アフリカの黒人ドライバーの言葉を聞いて、このことを思い出したのです。やっぱり黒人は普段から体温が高く、体温との差が大きいから、15℃くらいでとっても寒く感じるのではないでしょうか。これは僕の仮説であり、未だに証明できていませんけど。



週末はケープタウン (2005/05/14)


ケープタウンのテーブル・マウンテン 毎日、毎日、忙しくてストレスが溜まってきたので、「週末はケープタウンで美味しい物でも食べよう」と突然思い立って飛んできました。空港からケープタウンの街に近づくにつれて、左手に頂上が平らな不恰好な山が見えてきます。まるでテーブルのようだと思っていたら、その名は「テーブル・マウンテン」というのだそうです。ホテルにチェックインしたあと、早速このテーブル・マウンテンに登ってみました。標高は千メートルを越えているのに、高速ケーブルカーで頂上までたったの3分。上からは、ネルソン・マンデラ氏が投獄されていたロッベン島も見えました。

 それから、やっぱりケープタウンに来たんだからということで、1498年に「バスコ・ダ・ガマ」が訪れたという喜望峰にも行ってきました。ケープタウンの街からは車で約一時間。海風と絶景に囲まれた心地よいドライブです。喜望峰はアフリカの最南端かと思ったら、現地の立て看板には「アフリカ大陸の最も南西の地点」とありました。最南端ではないようですね。喜望峰は英語で「Cape of Good Hope」といいます。全てのアフリカ人が、「Good Hope」を持てる時代が早く来ることを願ってやみません。

アフリカの最も南西の地点「喜望峰」喜望峰の看板



ケープタウンで寿司を食う。 (2005/05/15)


ケープタウンのウォーター・フロントケープタウンの寿司バー

 イースト・ロンドンに戻りました。結局ケープタウンにいたのは正味26時間。ほんの束の間の滞在でしたが、寿司を食べてきました。ケープタウンのお洒落なウォーター・フロントに「寿司バー」があったのです。まぐろ、さけ、いなり、カリフォルニア・ロール、アボカド・ロールを食べました。寿司を握っていたのは、中国人のようです。

 普段は、途上国への出張中は絶対に「生もの」を口にしないように気をつけています。生野菜は食べないし、卵も肉も魚もしっかり焼いてくれと注文を付けます。でも今回は、寿司バーの誘惑に勝てませんでした。まあケープタウンなら大丈夫だろうと思い、多少のリスクを冒したのです。明日も普通にこの「南アフリカ通信」が投稿されていたら、僕は元気だと思ってください。

 ケープタウンの寿司は旨かったかどうかというと、まあまあでした。マグロはトロとまではいかないけれど、アメリカで食べるマグロより脂がのっていたと思います。でも、寿司が旨かったというよりも、久しぶりに味わった「キッコーマンの醤油」が旨かったと言った方が正しいかもしれません。ビンを見たら、この醤油はメイド・イン・シンガポールでした。

ケープタウンの寿司「まぐろ」ケープタウンの寿司「さけ」ケープタウンの寿司バーの醤油



ケープタウンの風景 (2005/05/16)


ケープタウンから喜望峰への途中の風景ケープタウンのクロック・タワーシマウマの皮が売られていた

 ケープタウンで撮った写真を、もうちょっと載せておきます。それにしても、シマウマの皮を売っていたのには驚きました。あれを売るのは、違法じゃないんでしょうか。それから、ケープタウンで食べた寿司は、どうやら大丈夫だったようです。途上国に何度も訪れて、既にいろんな免疫ができている僕の体ですから、あんまり参考にならないかもしれませんけど...。

ケープタウンのウォーター・フロントケープタウンのウォーター・フロントで見つけたアートマンデラ氏が投獄されたいたロッベン島へのゲイトウェイ



南アフリカに咲く花々 (2005/05/18)


 ヨハネスブルグの空港からです。これからヨーロッパ経由でワシントンに帰ります。南アフリカから最後の投稿は、出張時には恒例の「花シリーズ」です。初冬の南アフリカで今回よく目に付いたのは、一番左のオレンジ色のトサカのような花。また誰か、花の名前に詳しい方がいたら教えてくださいね。




南アフリカの罠 (2005/06/01)


 実は、先月南アフリカに出張していた時に、カード犯罪の被害に遭いました。ケープタウンでの出来事だったのですが、ちょっとその時の様子を再現してみます。

 現地のお金が必要で、あるATMでキャッシュを引き出そうとした時のことでした。アメリカのA銀行から発行されたATMカードをそのケープタウンのATMに挿入したところ、最初はカードもお金も出て来ませんでした。「キャンセル・ボタン」などを押してみたり、5分くらいの間いろいろやってみてもカードが戻ってきません。そうこうしているうちに、現地の男たち4〜5人に囲まれてしまいました。彼らは「PIN(暗証番号)を再入力しないと、カードは戻ってこないよ」と言うのです。「何か変だなあ」とは思いましたが、何をしてもカードが戻って来ないので、仕方なしに暗証番号を押しました。すると不思議にカードが戻ってきて、僕が現金引き出しの操作をやり直すと、今度はキャッシュがきちんと出てきたのです。

 次の日、胸騒ぎがしてインターネットで自分の口座を確認したところ、身に覚えのないお金の引き出しがあるのを発見しました。僕がおろした金額以外に、八回に渡って約850ドル(9万円ちょっと)が南アフリカで引き出されていたのです。すぐにワシントンのA銀行に電話をして、その口座の全ての取引を停止してもらいました。今から思えば、「暗証番号を再入力しろ」と言ったあの男たちこそ犯罪グループの一味だったのでしょう。あの時、僕の肩越しに暗証番号を盗み見ていたに違いありません。それでは、どうしてカードが盗まれていないのに、犯人は僕の口座からお金を引き出すことができたのでしょうか。

 A銀行の担当者によれば、おそらくカードが偽造されたのだろうとのことでした。僕のカードがATMから出てこなかった5分くらいの間に、何らかの手段でカード情報を盗まれたらしいのです。ATMに細工をして、カード情報を読み取るようなデバイスを装着していたか、あるいは、ATMの裏にでも犯人グループの一人がいて、カードを一時的に預かり情報をコピーしたか。そうやって読み取ったカード情報をもとにニセのカードを作り、一方で仲間が暗証番号の入力を促してそれを盗み見る。犯人達はその偽造カードと暗証番号で、僕のお金を引き出していたという訳です。僕が迂闊だったのは、あそこで暗証番号を入力してしまったこと。まんまと罠にかかりました。

 昨日、僕のその口座があるA銀行に行って、AFFIDAVIT(宣誓供述書)というのを提出してきました。幸いなことに、この件が偽造カードによる犯罪だということが証明されれば、盗まれたお金は銀行が補償してくれるそうです。皆さんも、ATMを使用するときは気をつけてください。少なくとも、ケープタウンのウォーター・フロント近くのATMでは、お金を引き出さない方がいいですよ。



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